日本史

ガラスから大砲まで自作した「佐久間象山」幕末の天才学者で思想家について歴女が解説

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はっはっは、ったく、すごい自信だな、この時代なら切腹して責任とれって言われなかったのかね。しかしこの落首、うまいぞ。

3-7、不肖の息子

象山の一人息子の佐久間恪二郎は、父象山と共に上洛したが、父が暗殺されたため、父の門弟の会津藩士山本覚馬のすすめで仇討のために三浦啓之助と名乗って新選組に入隊、局長近藤勇の近習として優遇されるが、父譲りの傲慢さで素行が悪く脱走。

慶応4年(1868年)、伯父の勝海舟の紹介で慶應義塾に入学、維新後は象山の息子であることを利用して司法省に出仕したが、警察官との間に暴行事件を起こして免職に。そして松山県裁判所で裁判官になるものの、31歳の時に食中毒で亡くなったということ。

3-8、象山の読み方

象山の読み方が、しょうざんか、ぞうざんかで、昔から論争があります。
地元ではぞうざんと呼ばれている理由は、象山の浦町の生家の西南に小さな丘陵があり、その姿が象が臥せた姿に似ていると、地元では象山(ぞうざん)とよんでいるので、象山の雅号はこの象山とかかわりがあるとされているそう。
象山本人は「象山説」という文のなかで、この雅号の山来は宋の哲学者陸象山(陸九淵)からではなく、故郷の象山にちなんだと書いているが、読み方については説明していないということ。

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詠み方か、それはむずかしいな。昔から濁らない音を良しとするようだから、しょうざんの方が通りやすいかも。

儒学と蘭学を会得し、本を読んだだけで写真機から大砲まで自作した天才自信家

佐久間象山は子供の頃から頭がよくて藩公にも期待され、その後は蘭学の必要性を感じてオランダ語を会得し、百科事典や専門書を読んだだけでガラスから写真機、大砲に至るまでを自作した天才的な人でした。

幕末の時期は弟子の吉田松陰の密航事件のあおりで、松代に蟄居中で活動せず。しかし塾を開いて門弟に教えたり、噂を聞いてやってきた志士たちと話をしたりと幕末の名士たちに影響を与えたのですが、有能な人ではあるけれど傲慢だとか自己顕示欲が強いのを隠そうともしない、合理的過ぎるアスペルガー症候群型の人物のようで、かなり評判が悪く藩でも孤立し敵も多かったそう。そして元治元年に許されて上洛し、これからというときに暗殺されてしまったのが残念です。

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angelica