大正日本史明治歴史

明治大正を生きた近代を代表する文豪兼軍医「森鴎外」を歴女が解説

3-3、嫁姑問題に悩まされた

鴎外の最初の結婚は、無理矢理に好きでもない女性と結婚させられたせいか、長男は生まれたが離婚。その後、41歳で18歳年下の志げと結婚、絶世の美人だが名家の令嬢らしくかなりのわがままで悪妻として有名ですが、鴎外の母とのバトルも激しく鴎外は悩まされ続け、その様子は「半日」という短編小説にも。

鴎外の母は、嫁には財布を握らせず、そのこともあって姑と暮らすのを嫌がる志げは子供を連れて別居し、鴎外は嫁の家と実家を行き来する二重生活を送ったということ。

そして鴎外は志げに小説を書いて発散することを勧め、仕上がった作品を鴎外が校閲したりと夫婦で過ごす時間が増えて夫婦のコミュニケーションが深まり、志げのイライラもおさまったが、志げは夫の鷗外が補筆しまくった原稿を、そのまま出版社へ持ちこんだそう。
鴎外の子供たちは、それぞれ父について書いていて、鴎外はたいへんに愛情深く繊細でいて心の強い人だったそう。

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3-4、鴎外と脚気

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By published by 東洋文化協會 (The Eastern Culture Association) – The Japanese book “幕末・明治・大正 回顧八十年史” (Memories for 80 years, Bakumatsu, Meiji, Taisho), パブリック・ドメイン, Link

鴎外は歴史に残る近代文学者ですが、軍医としてはすさまじい汚点を残しています。

今では脚気という病気はビタミンB1不足で起こるのは常識ですが、当時はビタミンが発見されておらず、脚気は幕末から明治の日本では、14代将軍徳川家茂、その夫人の和宮から庶民に至るまで、脚気で亡くなった人は多く、コレラ、結核と並ぶ深刻な病気。しかしヨーロッパにはない病気だったので、アジアの風土病であるとか、アジア特有の細菌が原因だと考える研究者は多かったということ。

細菌学は当時の医学の最先端で、細菌学者のコッホも脚気は細菌が原因で、病原菌が発見されると考えていたなど、この時代の医学では脚気細菌説は自然なことだったそう。なのでドイツ医学の東大医学部で学び、ドイツ留学した陸軍軍医の鴎外は脚気細菌説をとったのですね。

しかしイギリスで最新の臨床内科を学んだ海軍軍医の高木兼寛は、ヨーロッパに脚気がないので、脚気の原因を蛋白質の不足と考え、肉食で脚気を防げるのではと、明治17年(1884年)訓練航海で2隻の船の食事内容を、和食と洋食にする実験をしたところ、和食の船では脚気が発生し、洋食の船には発生せず。以後、海軍ではカレーとか洋食をとりいれるようになり、肉より麦飯が有効ということも判明したので、日清戦争が起こる前には脚気が激減。

しかし、鴎外ら陸軍軍医たちは細菌説に固執して、海軍が兵食改革で脚気が激減した結果を無視、陸軍の兵食はあくまでも白米を用いたということ。白米が食べられるのが魅力で陸軍に入った人も多かったとはいえ、日清戦争では戦死者よりも脚気の戦病死者のほうが多かったとさえ言われるほど、陸軍の兵隊さんたちの脚気の罹患は深刻な問題。

海軍でほぼ撲滅されたのに、陸軍の脚気は日露戦争でも改善されなかったのは、鴎外が意地だけで麦飯導入を拒んだせいで、日露戦争時、陸軍には約25万人の脚気患者が発生して約2万7千人死亡、戦死者の多くも脚気にかかっていたそう。もちろん戦中戦後に軍医トップの責任者鴎外への非難は陸軍内部にもあったが、鴎外は責任を取らず。

なんと、鈴木梅太郎が米糠からビタミンB1であるオリザニンを発見しても、鴎外は細菌説に固執し、栄養説を批判、鈴木を罵倒する論文まで発表、内容は学術論文というよりも感情的な罵詈雑言で、研究が栄養説にほぼ決定後も、鴎外は死ぬまで認めずに細菌説を主張し続けたということ。

鴎外は、陸軍軍医としてもトップの地位で退役し、普通ならば華族に列せられるのが叙爵されなかったのは脚気問題が原因と言われているそうで、海軍の高木兼寛は男爵に叙されて、麦飯を奨励したことから「麦飯男爵」と慕われたそうです。
ちなみに陸軍は、鴎外が軍医総監を退職 した直後、兵食に パン食や麦飯を導入 したということ。

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こ、これはひどいな、理論的に証明できなくても、大勢が死に至る脚気が治るなら、白米にも海軍陸軍にもこだわる必要ないだろうが。

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文学者、翻訳者としては明治人に多大な影響を与えたが、軍医としては問題

森鴎外は、子供の頃から津和野藩の典医の家の跡継ぎとして期待され、勉学に励み若くして東大に進学、ドイツに留学した当時のエリート中のエリート医師でした。軍でも医官として出世したが、文学の才能もあり、得意のドイツ語でドイツ文学を翻訳紹介し、後々まで残る名作品を多く残しています。

自身の日記や家族の回想などもあるため、プライベートなことも後の時代のわれわれにも色々と知ることが出来てとても興味深い人物。

しかし脚気予防に対する頑固な態度が、呆然とするほどの犠牲を伴っていたことを知ってしまうと、いったいなにが鴎外をそこまでにさせたのか、陸軍として改善できなかったのかといたたまれなくなるのが残念です。

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angelica