4-2、漱石と持病
漱石は、歳を重ねるごとに病気がちとなり、肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病、命取りとなった胃潰瘍まで、病気のデパートのように。「硝子戸の中」は直接自身の病気に言及していたが、「吾輩は猫である」の苦沙弥先生は胃弱で、「明暗」が痔の診察の場面で始まるなど、小説にも自身の病気を下敷きにした描写があるのは有名。「秋風やひびの入りたる胃の袋」など、病気を題材にした句も多数。また、漱石は天然痘のあばたが残っていることで自分の容姿に劣等感を抱いていたが、当時は写真家が修正を加えることが多く、残っている写真にはあばたの跡がないということ。
漱石が、神経衰弱やうつ病、あるいは統合失調症を患っていたことが、当時のエリート層で最上級のインテリの漱石の生涯と作品にいかに影響を及ぼしているのかが現在では精神医学者の研究対象となっており、実際に漱石が主題のいくつか学術論文が発表されたほど。
4-3、漱石の作品は海外でも翻訳
漱石の欧米での知名度はそれほど高くはないが、主要な作品のいくつかが英訳されて一定の評価を得ているということ。
また中国、台湾、韓国ではよく知られていて、多くの作品が中国語や韓国語に翻訳されているそう。中国語圏では周作人に紹介されて以来、多くのファンに愛され、韓国でも昔から漱石作品が親しまれていたが、1990年代以降特に人気が高く、「漱石ブーム」と言われるほどだということ。
漱石のイギリス留学当時の最後の下宿の反対側に、昭和59年(1984年)に恒松郁生による「ロンドン漱石記念館」が設立。漱石の下宿、出会った人々、読んだ書籍などを展示して一般公開されたが、2016年9月末に閉館。しかし漱石ファンからの強い要望で、2019年5月8日にロンドン南郊のサリー州にある恒松宅の一部を改装して再開されたそうです。
4-4、漱石の子孫
漱石は妻の鏡子との間に2男5女(一人夭折)がいましたが、子供たち孫たちも、作家、音楽家、エッセイスト、クリエイターなどを輩出しています。
エリート教授の道から小説家に転身して明治の文豪に
夏目漱石は、混乱した明治初期の時代の影響か、また自身が複雑な生い立ちで、ごく当たり前の両親の愛情を受けなかったためか、子供の頃から進路や色々なことがあるたびに鬱鬱として悩みぬいた人でした。
当時としては先進的に英文学研究を志し、エリートコースでイギリス留学もしたのに悩みは一層深まり、最後は小説を書くことで才能を開花し、木曜会のサロンでは後進にも影響を与え、数々の漱石の作品は時代を超えてファンを魅了し歴史に名を残しています。
しかし存命中、教師としてあの小泉八雲と較べられて自信を無くしたり、その後も色々なストレスで胃潰瘍やうつ病に悩まされた漱石はいかにも気の毒、100年後の人気や影響を見せれば気が晴れるだろうかと考えたりもするこの頃です。