
参勤交代の影響1. 街道の整備
現代のように車や飛行機での移動手段はなく、参勤交代は徒歩による長旅となりました。天候や自然災害などで旅が困難になった時でも国元から江戸に期日までの到着が必須であり、そのため街道の整備が行われ、橋や道路が建設されていったのです。
そもそも当時は参勤交代のような長旅を想定していなかったためか、交通のインフラが整っていない状況でした。川を渡ろうにも橋がなく、橋を渡ろうにも橋が遠く、道を歩こうにも道と言える道がない状況だったのです。
このため、参勤交代をきっかけとして日本全体のインフラ設備が少しずつ整えられていきました。また、こうした道路整備の改革と整備は関ヶ原の戦い後の徳川家康も積極的に取り組んでおり、今でも中山道、東海道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道は有名ですね。
参勤交代の影響2. 経済と文化の発展
参勤交代は藩の財政を圧迫させたものの、一方で日本全体に大きな経済効果をもたらしました。まず街道を整備するのに費用がかかりますし、その道中には多くの宿屋も誕生したのです。それも参勤交代の長旅は数百人から数千人規模の大名行列ですから、宿泊費も相当な額になったことでしょう。
ちなみに、浮世絵師の歌川広重の作品には傑作と呼ばれる「東海道五十三次」がありますが、これは文字どおり東海道にある五十三の宿場町を描いたものです。さらに参勤交代では藩主は藩元……つまり国元と江戸の両方に住む必要があるため、国元の居城と江戸藩邸の両方の維持費がかかるようになりました。
また、遊郭も参勤交代によって繁栄した文化の一つです。各藩の家臣の多くは参勤交代で江戸に単身赴任していましたから、江戸の人口の約半数が武士という状況になり、そのため遊郭が繁栄する結果になりました。
\次のページで「参勤交代の廃止の原因」を解説!/