
4-6、江藤新平の写真提出を拒否
江藤新平が佐賀の乱を起こしたとき、大久保利通は捜査に江藤の写真を用いようとしたのですが、象二郎が江藤の写真を持っていることがわかり、警視庁から江藤の写真の提出を頼まれました。しかし象二郎は、「友人を縛する手掛かりに、おれの記念せる写真を差し出せとは真平御免なり。如何なる処分でも仕切るというのなら勝手にするがよい」と一喝。写真の提出を拒否し、江藤逮捕の後は、 副島種臣や板垣退助らと共に、自分の功績と引き換えに江藤の減刑を政府に訴えたということ。
4-7、インサイダー取引で岩崎弥太郎に莫大な利益をもたらす
明治新政府樹立後、紙幣貨幣全国統一化に乗り出したとき、岩崎弥太郎は、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前に察知し、10万両の資金を用意して藩札を大量に買占め、新政府に買い取らせて莫大な利益を得たということ。この情報を流したのは、なんと新政府の高官となっていた象二郎。
その後、象二郎の娘と弥太郎の息子の結婚で両家は親戚に、弥太郎は最初から政商として暗躍し、後に三菱財閥を築いたのは有名ですが、いろは丸事件の賠償金といい現代では出来ないことですよね。
4-8、ある裁判での象二郎
象二郎は、ある時賃借事件の為に訴えられて、法廷に召喚して証言台に立ったときの話で、象二郎の履歴調べとして、「参議を免ぜられたのは、何年何月か」と聞かれて、簡単に、「記憶せず」と返答。原告は「そのような一生涯の大事を記憶していない理由はないだろう」と詰め寄ったところ、象二郎はたちまち威丈高になって「不肖この象二郎は、維新前は土佐藩の家老だった者だ。靴磨きとか、草履取りの分際で成り上がった出来星紳士ならば、参議になったことを大事件として後生大事に記憶しているだろうが、自分はそんな小さい人間ではない」と言い、その後はペラペラと散々に相手をからかってバカにしたので、原告は激怒のあまりに声を失ったということ。
4-9、板垣退助、勝海舟も驚く借金王
象二郎が、政治活動と遊びで借金がかさんで破算しそうだと聞き、幼友達で親友の板垣退助が必死に金の算段をして届けると、象二郎は料亭で豪遊していたという話。また、勝海舟も何とか助けようと思って、密かに象二郎の借金の額を調べさせたが、あまりに桁外れなのを知って、アジアには太すぎる動物と言って驚きあきれたそう。陸奥宗光も「後藤は外国帝王の風姿度量を備えている」と語るなど、周囲が困惑するほどの素行だが、憎めない人物だったということ。
象二郎は、汽車で井上馨と乗り合わせてお互いの抱負を語り合ったことがあり、井上が「我は数千萬円の財を造って見たし」と語り、象二郎は「我は数億円の借金がしてみたし」と答えたそう。
明治維新での自らの役割を果たした人
後藤象二郎は彼の仕えた藩主山内容堂みたいに豪傑っぽいエピソードが多く、態度もでかいし言うこともはっきりしているのでパークス公使やアーネスト・サトウら外国人受けもよかったよう。土佐の同郷人龍馬ほどの人物だったとは思えませんが、龍馬の船中八策を容堂に進言し、将軍慶喜の大政奉還の根回しのための説得に走り回り、立派に明治維新での役目を果たしたのは間違いないことです。
それにしても、明治以後に幕末の話を聞いても一切語らなかったというのが、ちょっと不思議ですね。