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フランスの歴史的修道院「モンサンミッシェル」を戦国通のサラリーマンが徹底わかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。世界遺産に登録されている施設が世界には約千件の登録がされているようだ。

当然ながら日本も多数の世界遺産が存在しているようだが、今回紹介するフランスは五位と約四十件も美しい歴史的建造物がある。

数ある中で、観光スポットとしても人気の高い修道院施設のモンサンミッシェルを歴史マニアでもあるライターのwhat_0831と一緒に紹介していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/what

国内の歴史だけでなく、国外の歴史にも興味がある。特にフランスは行ってみたい国の一位でもあり、モンサンミッシェルにいつか必ず足を運んでみたい。

モンサンミッシェルの始まり

image by PIXTA / 58206641

大規模な修道院施設の始まりから見ていきましょう。

大天使からのお告げ

五世紀に設立されたアヴランシュ司教のオベールによって作られました。アヴランシュはケルト人の一部部族から由来したといわれラテン語が用いられていたようです。アヴランシュを直訳すると河口に住む戦士と訳され主にヴァイキングの襲来から身を守っていました。

またオベールがある時、夢を見ていた際に大天使ミカエルからのお告げで岩山に聖堂を建てよと受けたが悪魔のお告げだと思い込み当初は信じなかったようです。ところが三度目のお告げ時に、夢から覚めると頭に穴が開いていたことでお告げが本当であると気づき建築に取り掛かりました。

十世紀頃に現在地のフランスの西海岸に位置した場所に移動したとされ、リシャール一世にベネディクト会の修道院を建てて現在に近い形になります。

王位継承権を巡る戦いの舞台となる

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十四世紀から十五世紀にかけてフランス王国の王位継承と領土争いによって、フランス王朝内が二つに分かれて戦いが発生しました。当初はフランスの王位継承をしたフィリップ六世を認め臣従していたイギリス国王のエドワード三世が、スコットランド王がフランスの下へ亡命しこれをフィリップ六世は受け入れます。

亡命を受け入れたことに賛成できていなかったエドワード三世は、フランス王位継承権を再び主張し始めフィリップ六世に敵対していきました。この戦いによってイギリスとフランスの間にあったモンサンミッシェルが封鎖され、要塞として利用されていたようです。

島に渡るために干潮時に現れる道を辿っていくしかなかったことで、大きな被害を受けることなくモンサンミッシェルは乗り切りました。

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モンサンミッシェルがある島は、昔モン・トップと呼ばれ墓の山としてケルト人の信仰場所でもあったようだ。

百年戦争終結

長きに渡って行われた百年戦争は、フランス側の統一したことで勝利したことになりました。勝利に貢献したヴァロワ王朝のルイ十一世が大天使ミカエルを称えたことで人々の崇拝意識が高まり多くの人達がモンサンミッシェルを訪れるようになっていきます。

多数の人が訪れるようになってきましたが、交通手段が限られていたためモンサンミッシェルへ向かう道中で盗賊と遭遇し病によって倒れてしまいました。やっとたどり着いたとしても、道は干潮時にしか渡ること出来なかったことでモンサンミッシェル前で足踏みしてしまったようです。

当時は干潮と満潮の時間を図る術もありません。渡っている最中に満潮となり命を落としてしまった人も多くいました。

\次のページで「モンサンミッシェルの構造と地形」を解説!/

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