日本史歴史飛鳥時代

大化の改新で政治を変えた「中大兄皇子」を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

4.後継者を巡って壬申の乱

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By Guretaro – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link

天智天皇の死

蘇我氏へのクーデターから日本のトップとして走り続けた天智天皇。しかし、「庚午年籍」を作成した翌671年の年の瀬に帰らぬ人となります。その死は具体的な内容は歴史書に書かれていないため、暗殺説などもささやかれるほどでした。

天智天皇の跡継ぎ問題

この時代の皇位継承権は天皇の息子より、天皇の兄弟や配偶者のほうが先でしたから、天智天皇の次の天皇は「弟の大海人皇子」と決まっていました。しかし、「息子の大友皇子」が成長すると次第に皇太子に推されるようになります。

そんな状況のなか、天智天皇は重い病にかかってしまいました。そして、弟の大海人皇子を枕元に呼び出すと、「天皇の座を継いでほしい」と後事を託そうとするのです。それに対して大海人皇子は「天皇の病気が治るよう祈るために出家いたします」と辞退して吉野に去っていきました。「出家する」ということは「俗世を捨てること」で、煩わしい人間関係や権力争いから遠ざかることを意味します。けれど、このとき多くの近臣たちが大海人皇子について吉野へ行ってしまったために、吉野で新たな勢力が生まれることとなったのです。

そうして、いよいよ天智天皇が崩御すると大海人皇子が挙兵して大友皇子と戦う「壬申の乱」が起こりました。乱の結果、精鋭を率いた大海人皇子の勝利となり、天武天皇として即位します。

朝廷を刷新した中大兄皇子

朝廷を変えるクーデターを起こした中大兄皇子。後半の「白村江の戦い」での大敗、そして皇位継承をめぐって「壬申の乱」も含め、古代日本で起こった波乱の中心人物でもありました。

戦いや政治面がピックアップされますが、和歌の才能もある人でした。後世に藤原定家が編纂した小倉百人一首は天智天皇の歌から始まりますよ。

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