日本史歴史飛鳥時代

大化の改新で政治を変えた「中大兄皇子」を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

日本初、年号の制定

大和朝廷を牛耳り続けた蘇我氏がいなくなり、皇太子の座についた中大兄皇子は政治の改革をはじめます。その最初に決まったのが年号の制定でした。私たちにも馴染みのあるものですが、飛鳥時代から実装されたものなんですね。そして、一番最初の年号は「大化」。なので、これから行われる一連の改革を「大化の改新」といいます。

ちなみに、今日日年号は天皇一代につきひとつと決まっていて、改号するのは天皇が代わるときのみです。けれど、この時代では凶事があったり、逆に良い事があったという理由だけでころころ変えてしまいます。

難波宮から「改新の詔」

天皇は皇極天皇から孝徳天皇へ譲位され、中大兄皇子は皇太子になりました。皇太子とはいえ、実権はクーデターの功労者の中大兄皇子にあります。

朝廷は飛鳥から大阪の難波宮へ遷都して、そこで「改新の詔」を発表しました。

「改新の詔」で出されたのは下記の四つ政策で、これによって国家の仕組みを改め、天皇を中心とした中央集権国家を目指したのです。

公地公民

すべての土地と民は公のものと定めるもの。「公」とはこの時代ではすなわち、「天皇」を指します。土地も、そこに住む人々もみんな天皇のものだよ、ということになります。

班田収受の法

国民の戸籍を作り、ひとりひとりに田んぼを貸し与える制度です。与えられた田んぼは「口分田」と呼ばれました。しかし、もちろんタダ貸してくれるわけではなく、与えられた面積に応じて税金がかけられます。さらに、この田んぼは与えられた本人がなくなると国に返さなければならない土地でした。

租庸調制

簡単に言うと三種類の税金徴収制度です。

まず、班田収授の法で借りた口分田で収穫した米の3%~10%を税として納める「租」。

「傭」は一定期間都にいてタダで労働して納める税でした。しかし、地方に住む人たちは簡単に都に行くことはできません。そこで、労働力の代わりに布や塩などを納めることもできました。

最後に、各地は特産物を納める「調」です。

国郡里制

全国を約60の国に分け、国の中を郡、郡の中を里に分けた制度。これは今の県や市と同じようなものですね。県知事や市長と同じように、それぞれトップに国司、郡司、里長を置きます。ただし、彼らは選挙で選ばれた人ではなく、国が任命した役人です。

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