「リーマンショック」はわりと最近の出来事ですね。

今でもよく聞く言葉だから、知っている人も多いはずです。だけど、リーマンショックっていうのは結局何だったんだ?実はよくわかっていないという人もいるかもしれない。この機会にもう一度しっかり学んでおこう。

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、現在はイギリスで大学院に在籍中のライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。実は元銀行員という経歴を活かして、今回は「リーマンショック」について解説する。

リーマンショックは100年に一度の金融危機!?

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リーマン・ブラザーズの経営破綻

2008年9月15日、人々に大きな衝撃を与える出来事が起こりました。アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻したのです。

リーマン・ブラザーズはアメリカの投資銀行で、当時は第四位の規模を誇っていました。そのため経営上の危機が明らかになってからも、まさか本当に経営破綻するとは思われていませんでした。金融市場への混乱を避けるために政府が何らかの救済措置をとるだろう、と考えられていたのです。しかし、最終的に公的資金の投入は見送られることが決まります。

その結果、経営再建の見込みが立たなくなったリーマン・ブラザーズは米連邦破産法の適用を申請。市場の予想を裏切り、破産してしまったのです。

世界的な金融危機へ

リーマン・ブラザーズの経営破綻により、金融市場は大混乱となりました。潰れるはずのない超大手の投資銀行が破産したことで、ほかの金融機関も危ないのではないかという不安が人々の間に広がったからです。

この混乱はアメリカだけでなく世界各国に波及し、その後100年に一度とも言われる世界的な金融危機が訪れました。リーマン・ブラザーズの経営破綻が発端となったために、この金融危機がリーマンショックと呼ばれているのです。リーマンショックは第二次世界大戦を引き起こした1929年の「世界大恐慌」と並び、歴史に残る重要な出来事として捉えられています。

ちなみに、リーマン・ブラザーズが破産したこと自体を指してリーマンショックと呼ぶことも。また、リーマンショックというのは日本独自の呼称で、英語では”the global financial crisis”(世界金融危機)”the 2008 financial crisis”(2008年金融危機)などと呼ばれるのが一般的です。

リーマン・ブラザーズはなぜ破綻したのか

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By David Shankbone - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

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アメリカの住宅バブル

リーマン・ブラザーズの経営破綻は衝撃的な出来事として受け止められましたが、当時の状況を紐解くと、そこに至るまでの兆候は十分にあったことがわかります。

21世紀に入ったころから、アメリカでは住宅バブルが膨らんでいました。世界的な低金利の影響で、市場にあふれた資金が不動産へと流れ込んでいたからです。この住宅価格の高騰を背景に、アメリカの金融機関ではサブプライムローンが積極的に取り扱われるようになりました。サブプライムローンとは低所得者層向けの住宅ローンで、通常よりも金利は高めですが審査が緩いのが特徴の融資です。

滞納リスクの高い融資であるサブプライムローンですが、住宅バブルに沸いている間はそれほど問題となることはありませんでした。借り手が返済できなくなったときは、価格の上昇した住宅を担保に差し入れて再びお金を借りることができたからです。つまり、サブプライムローンは右肩上がりの住宅価格に支えられた仕組みだったと言うことができます。

しかし、不動産価格の上昇は永遠には続きません。膨らみきった住宅バブルが崩壊し、2006年頃から住宅の価格が徐々に下がり始めたのです。すると、低所得者層はローンを返済することも新たにお金を借りることもできなくなってしまいます。こうして、サブプライムローンは不良債権化していったのです。

世界中にばら撒かれていたサブプライムローン

当初、サブプライムローンの焦げ付きはそれほど重大な問題とは考えられていませんでした。人気を博していたとはいえ、その残高は住宅ローンの全残高のおよそ2割程度。決して対処できないほどの量ではないと思われていたからです。

しかし、問題の本質は別のところにありました。サブプライムローンは証券化され、様々な金融商品に組み込まれていたのです。低所得者を対象としたサブプライムローンは本来リスクの高い商品ですが、ほかの優良商品と組み合わせることで、見せかけのリスクを抑えることができます。こうしてつくられた金融商品が、世界中にばら撒かれていたのです。

住宅バブルの崩壊に伴って、サブプライムローンの組み込まれた多くの金融商品の価値が下落してしまいました。すると投資家は不安をあおられ、保有する金融商品を投げ売りするようになります。こうして金融商品の価値はさらに下がり、金融市場が混乱を極めていったのです。

サブプライムローンの取り扱いが多かったリーマン・ブラザーズ

リーマン・ブラザーズは、不動産関連の金融商品を数多く取り扱っていました。そのため、サブプライムローンの不良債権化や金融商品への信用縮小の中で、多額の負債を抱えるようになります。リーマン・ブラザーズが経営破綻に追い込まれたのは、住宅バブルの崩壊とそれに伴うサブプライムローン問題の影響を直接的に被ったからです。

実は破産する直前まで、最悪の事態を防ぐための交渉が水面下で続けられていました。混乱を防ぐため、リーマン・ブラザーズの買収に手を挙げていた国内外の大手金融機関もあったのです。しかし、公的資金は投入しないというアメリカ政府の決定を受けて状況は変わります。負債額があまりに大きかったため、政府の援助なしでは買収することができなかったからです。

結果として、リーマン・ブラザーズは2008年9月15日に破産申請。これをきっかけに、世界が同時不況に引き込まれていきました。

世界全体に広がった影響

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被害の大きかったヨーロッパ

リーマンショックは、すぐに震源地のアメリカ経済を直撃しました。ダウ平均株価は下落の一途をたどり、GDPの成長率も前年比でマイナス。5%程度だった失業率は10%台にまで悪化したのです。

しかしリーマンショックの被害はアメリカだけでなく、世界中に広がります。特に直接的な影響を受けたのはヨーロッパ諸国でした。ヨーロッパの金融機関は、アメリカの金融商品を大量に保有していたからです。

しかも、もともとヨーロッパ内部にも経済問題が山積みでした。アイルランドやスペインでも不動産価格は高騰していて、アメリカに続きバブル崩壊。好景気が追い風となって政府債務を増加させていたギリシャやイタリアでは、リーマンショックのあおりを受けて信用リスクが上昇しました。

アメリカから訪れた景気悪化に内部の問題が重なったため、ヨーロッパの被害はアメリカよりも甚大に。後に続くギリシャ危機や欧州債務問題などもリーマンショックが一因と言われています。

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アジアや日本への影響は?

一方、リーマンショックは当初アジアにはそれほど脅威を与えてないと考えられていました。しかし、徐々に影響はアジアでも見られるようになります。香港などのアジア圏に融資をしていたヨーロッパの金融機関が、経営難から続々と資金を引き揚げたためです。

1990年代のバブル崩壊の教訓からサブプライムローンの保有量が少なかった日本でも、リーマンショックの影響は軽微なものに留まっていました。しかし経済への損害が少なかったことで、金融市場で行き場を無くした投資資金が日本に集まってくるようになります。日本円が「安全資産」と捉えられ、円高となったのです。自動車などの輸出に支えられている日本経済にとって、円高は好ましい状況ではありません。こうして、結局は日本経済も不況に突入していくのです。

不況へどう立ち向かったか

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初期対応の早かったアメリカ

リーマンショックに直面したアメリカ政府の対応は迅速でした。リーマン・ブラザーズの経営破綻を受け、ほかの企業の連鎖的な倒産を食い止めるために公的資金の投入を決定。金融機関の貸し渋りを防ぐために、サブプライムローン関連の証券を買い取るなどの支援を進めました。また、実質的なゼロ金利で市場に出回るキャッシュの量を増加させ、経済を循環させようとします。いわゆる金融緩和政策です。

これらの政策は、1990年代に日本で起きたバブル崩壊後の混乱が教訓にされていました。速やかな初期対応により一年以内に不良債権の処理に目途を付けることができ、不況の長期化を防ぐことに成功したと言われています。

首脳会合に格上げされたG20

アメリカ以外でも、先進国を中心とした各国は財政支出や金融緩和を行って不況に立ち向かおうとしました。また、世界的な経済危機に対処するための協力体制もつくられました。

金融問題などを話し合うために1999年から開催されていた主要先進国と新興国によるG20が首脳会合に格上げされ、金融機関の健全性強化や保護貿易の回避に向けて各国の政府が協調する枠組みが成立。この取組は功を奏し、リーマンショックの直後は大幅に落ち込んだ貿易量もその後緩やかに持ち直していきました。G20による国際協調体制は、同時不況への対応として比較的うまく機能したとして評価されています。

連鎖する問題

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グローバル化の影響で世界全体へ問題が波及

リーマンショックは、アメリカから世界へと広がった金融危機から始まる世界同時不況です。震源地のアメリカでは比較的早く経済が立ち直ったとはいえ、世界中に爪痕を残しました。なぜ、アメリカの問題が世界全体に波及したのでしょうか。

現在の金融システムは、国を越えて複雑に絡み合っています。大手金融機関が一国の中だけで業務を行っているような例はほとんどなく、また、個人の投資家も国外の金融商品を手に入れることができます。そのため、アメリカで発生したサブプライムローン問題は決してアメリカ国内だけの問題にはとどまらなかったのです。

また、今や世界中がグローバルサプライチェーンと呼ばれる供給網の中に組み込まれています。ものが製造され消費者のもとに届くまでに、いくつもの異なる国を経由しているということです。つまり、どこかたった一か国で生じた問題が簡単に世界全体の問題となるということですね。ましてやアメリカは、世界経済の中心的役割を担っています。そんなアメリカが不況に陥ると、文字通り世界中がその余波に巻き込まれてしまうのです。これは、グローバル化した社会ならではの問題ともいえるでしょう。

\次のページで「リーマンショックがポピュリズムを生み出した?」を解説!/

リーマンショックがポピュリズムを生み出した?

世界中に広がったリーマンショックですが、その影響は金融や経済の分野だけにはとどまりませんでした。

アメリカは大手金融機関の救済のため、国民の税金を投入しています。また、ほかの国々が景気対策として行った財政出動も税金に支えられていました。これが、一般市民の不平等感を高めることとなってしまいます。救済された大手企業の関係者たちは莫大な資産を持ち続ける一方で、不況の影響で多くの人々が失業したりまともな職業に就けなかったりと厳しい生活を強いられたからです。

リーマンショック後の社会では、イギリスのEU離脱投票可決やアメリカのトランプ大統領誕生など、世界的にポピュリズムが続いています。不況下で噴出した一般市民の不満が積み重なり、このような潮流が生まれたのです。リーマンショックは経済を減速させただけでなく、自国第一主義とも言える世の中の形成にも無視できない役割を果したと言えるでしょう。

世界の潮流を変えたリーマンショック

世界経済は、「100年に一度の金融危機」とも言われたリーマンショックから比較的速やかな回復を見せました。震源地のアメリカでは迅速な初期対応が功を奏し、景気の後退を非常に短い期間で終わらせることに成功。世界的にも、リーマンショックは数年後には終焉したものとして捉えられています。

しかしその後も、ヨーロッパを中心として債務問題や財政危機などの問題が相次ぎました。これらはリーマンショックが間接的なきっかけとなったと考えられています。日本でも、2011年には国全体が東日本大震災に襲われたことも影響し、リーマンショックから誘引された不景気は数年にわたって続きました。

不況時には人々の不満が高まり、政治上では極端な主張が人気を博すこともあります。ポピュリズムの高まりや不安定な国際情勢の間接的な原因となったリーマンショックは、世界の潮流を変えた大きな出来事として捉えられているのです。実社会では、経済と政治を切り離すことはできません。現代社会のひとつの転換点とも言えるのがリーマンショックなのです。

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アメリカの歴史世界史歴史独立後

100年に一度と言われた金融危機「リーマンショック」を元銀行員がわかりやすく解説

リーマンショックがポピュリズムを生み出した?

世界中に広がったリーマンショックですが、その影響は金融や経済の分野だけにはとどまりませんでした。

アメリカは大手金融機関の救済のため、国民の税金を投入しています。また、ほかの国々が景気対策として行った財政出動も税金に支えられていました。これが、一般市民の不平等感を高めることとなってしまいます。救済された大手企業の関係者たちは莫大な資産を持ち続ける一方で、不況の影響で多くの人々が失業したりまともな職業に就けなかったりと厳しい生活を強いられたからです。

リーマンショック後の社会では、イギリスのEU離脱投票可決やアメリカのトランプ大統領誕生など、世界的にポピュリズムが続いています。不況下で噴出した一般市民の不満が積み重なり、このような潮流が生まれたのです。リーマンショックは経済を減速させただけでなく、自国第一主義とも言える世の中の形成にも無視できない役割を果したと言えるでしょう。

世界の潮流を変えたリーマンショック

世界経済は、「100年に一度の金融危機」とも言われたリーマンショックから比較的速やかな回復を見せました。震源地のアメリカでは迅速な初期対応が功を奏し、景気の後退を非常に短い期間で終わらせることに成功。世界的にも、リーマンショックは数年後には終焉したものとして捉えられています。

しかしその後も、ヨーロッパを中心として債務問題や財政危機などの問題が相次ぎました。これらはリーマンショックが間接的なきっかけとなったと考えられています。日本でも、2011年には国全体が東日本大震災に襲われたことも影響し、リーマンショックから誘引された不景気は数年にわたって続きました。

不況時には人々の不満が高まり、政治上では極端な主張が人気を博すこともあります。ポピュリズムの高まりや不安定な国際情勢の間接的な原因となったリーマンショックは、世界の潮流を変えた大きな出来事として捉えられているのです。実社会では、経済と政治を切り離すことはできません。現代社会のひとつの転換点とも言えるのがリーマンショックなのです。

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