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「イエス・キリスト」について歴女がわかりやすく解説!彼を知らずに西洋史は理解できない

2-4、イエスの教え

イエスの教えは、形式的律法主義を批判して神の愛による救済と隣人愛を説いたこと、当時のイスラエルで盛んに言われていたユダヤ教的な終末論にもとづいた神の国の実現が迫っていると伝えたこと。

これらを3年余りの間、弟子たちと共に色々なたとえなどを用いてわかりやすくお説教して回りました。

2-5、イエスの処刑と復活

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イエスは、伝統的なユダヤ教の一派であるファリサイ派の形ばかりで見せかけの善行を痛烈に批判して、エルサレムの神殿から商人を追い出すなどしたことや、自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」であるとかメシアであると自称した罪によって衆議会の裁判にかけられて政治犯としてローマ帝国に訴えられ、エルサレムのそばのゴルゴタの丘で、ローマ帝国の法に従って十字架刑に。

そしてマルコによる福音書では刑死したイエスの遺骸を岩窟式の墓に葬り、3日目に訪ねるとイエスの遺骸が消えていたが、イエスは蘇って多くの弟子たちの前に姿を現し、その後40日間ともに生活して神の国について語り合い、天に向かって昇って行ったとされています。

イエスの復活で、イエス・キリストを信仰するすべての人々との間に、人と神による新たな契約が結ばれ、イエスの死によって罪が許されて天国への扉が開かれたとされているそう

2-6、イエスの死後、弟子たちが布教活動に

イエスの死後、弟子たちは布教活動を行い、イエスの教えは地中海世界全域にキリスト教として広がっていき、ナザレのイエスは救世主イエス・キリストとして知られるようになったそう。

弟子たちがイエスの教えを書いたり、信者に手紙を書いたものをまとめたのが新約聖書に。古代ローマ帝国では迫害を受けたが、ローマ皇帝が受洗したのち、ヨーロッパに広まって現在に至っております。

尚、カトリックのローマ教皇の初代教皇はイエスの一番弟子のペテロとなっていて、現バチカン大聖堂の地下にお墓があるということ。

3-1、イエス・キリスト関連の小話

西洋ではよく知られている話をご紹介します。

3-2、ポンテオ・ピラト

またはポンティウス・ピーラートゥスは、生没年不詳で、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督(歴史家のタキトゥスによると皇帝属領長官で在任は26年 から36年)。新約聖書ではイエスの処刑に関与した総督として登場、キリスト教の使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」とあることで有名ですが、新約聖書に描かれるピラトは最初のうちイエスの処刑に消極的であったよう。

福音書記者は、ピラトがイエスの無罪を知っていたとか、ルカの福音書に「わたしはこの男に何の罪を見いだせない」またヨハネによる福音書では、「わたしはこの男に罪を見いだせない」と述べたとあり、イエスの無実すら明言、マタイによる福音書ではピラトの妻が、死刑を宣告する前の晩に夢の中で苦しい目にあったので「あの正しい人に関わらないで」と訴えたということ。ルカによる福音書によれば、ピラトはヘロデ・アンテパスの所にイエスを送り、イエスはヘロデによる尋問を受け、ヘロデは兵士と一緒にイエスを侮辱、派手な服を着せてピラトのもとにイエスを送り返したとか、ピラトは手を洗って自分に責任がないことを示そうとしたということ。

しかしピラトは無罪を知りながら、人々を満足させるために不当な死刑判決を認めたわけで、マルコによる福音書とヨハネによる福音書には群集の要求にこたえて、やむをえずイエスの処刑に踏み切ったとの記述も。福音書だけを読んでいると優柔不断なようですが、ピラトは史実では冷酷なローマの総督で暴動を恐れてイエスに関わりたくなかっただけということです。

3-3、銀貨30枚

イエスのもとに祭祀長や長老たちと大勢の群衆が武器を持って訪れてきたとき、弟子のひとりのイスカリオテのユダが、イエスに近づき接吻をしたことで、イエスが確定されて逮捕されたのですが、このユダの密告の報酬が「銀貨30枚」だったということは有名。ユダはこの後、後悔して自殺、また他の弟子たちは皆、イエスなんか知らないと見捨てて逃げたということですが、イエスはこれらのことが起こるのを前もって予言し、拷問されて十字架にかけられることも予知していたということ。

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