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「排日移民法」はどのような歴史から生まれた?元大学教員が解説

第二次世界大戦中の日系人の苦難

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By USN – This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 196243., パブリック・ドメイン, Link

「排日移民法」以降も、南北アメリカ、ハワイ島を拠点に生計を立てる日系人は存在。そこで生まれた子どもは「日系2世」としてアメリカに住まいを構えました。しかし、日本軍による真珠湾攻撃をきっかけに彼らの生活は一転します。

真珠湾攻撃をきっかけに強制収容所に入れられる

とくに日系人が多くを占めていたのがハワイのオワフ島。当時の合衆国大統領であったフランクリン・ルーズベルトは日系人によるスパイ活動を警戒するようになります。そのため極秘に日系人のリストアップなど情報収集が進められていました。

1948年の12月、オワフ島の真珠湾にある米軍基地を日本軍が攻撃、太平洋戦争が開始されます。それと同時に、ハワイ、ブラジル、ペルーなどに住んでいた日系人は取り締まられることに。日本がポツダム宣言を受諾し終戦が決まるまで彼らは強制収容所での生活が続きます。

英語話者も多かった当時の日系人

太平洋戦争の時期、ハワイや南北アメリカに住んでいた日系人は2世が中心。アメリカで生まれ育っていたため、多少の日本語は話せるものの、英語話者であることが大部分。日本に想いを寄せる感情ありますが、基本的にアメリカ国民としての意識を強く持っていました。

日系人を排斥する風潮が出てくると、合衆国を支持する看板をかかげるなど、アメリカに対する忠誠心をアピールする行動をおこしたと言われています。太平洋戦争が開戦されたことで、この時期の日系人は、日本とアメリカの狭間で居場所を失う結果となりました。

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強制収容所に入れられていた間、日系人はアメリカの文化様式になじむように再教育されます。そのプログラムのひとつが野球。「アメリカンパスタイム:俺たちの星条旗」は、収容された日系人の生活と野球のかかわりを描いた映画だ。

「排日移民法」の発想は現代のアメリカにも根付いている

現在のアメリカ合衆国では、移住を希望する人々にグリーンカードが発給する仕組みがあります。それをトランプ大統領が「廃止」すると宣言。海外からの移住者が多いアメリカにおいて賛否両論が沸き起こりました。アメリカは世界トップクラスに移民国。そのため経済や政治が不安定になると、必ず移民を排斥する行動が目立ち始めます。「排日移民法」そのものは1920年代の法律。しかし、外国人の移民を制限する発想はアメリカにてリアルタイムで起こっていることを忘れてはなりません。

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