
ロシアの改革を試みたツァーリ
プライベートな面では恋多き男性として知られるアレクサンドル。ドイツへ行った先で妃マリア・アレクサンドロヴナ、そして自分の娘よりも若い女性カーチャとの幸福な結婚生活…。アレクサンドルからすればつかの間の幸せな時間だったのかもしれませんが、妃マリアもカーチャもその後を知れば決して幸福とは言い難いですね。
皇帝として幼い頃から帝王教育を受け、将来の君主が約束されていたアレクサンドル2世。彼は父帝の時代に始まったクリミア戦争においてロシアが近代化されていないことをヨーロッパ中に知られてしまうことに。ここから国内改革の必要性を痛感し、改革へと歩み出しました。
ところがその一環となる農奴解放令は、待ち浴びていた農奴たちから失望の声が上がることに。保守派からも改革推進派からも反発を受け、ついに過激なテロリストらから命を狙われることになったアレクサンドル。そして幾度も難を逃れた彼でしたが、ついに乗っていた馬車を爆撃されてしまい暗殺されることに。
しかしアレクサンドルの改革のお陰で、ロシアは大国へと再び返り咲くことになったのです。アレクサンドルが爆撃された現場に彼の息子アレクサンドル3世が建てた血の上の教会は、今日では観光名所として有名となっています。