
2 ニコライとアレクサンドルの政策
ロシアでは度々凍らない港を求めて、南下政策を取ることに。ちなみに女帝エカテリーナの時代ではクリミア半島を手中に治めていたロシア。ニコライ1世、アレクサンドル2世らの目的は現在のイスタンブルを手に入れるためでした。南下政策によって凍らない港を手にすることができたのでしょうか。それでは見ていきましょう。
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2-1 凍らない海を求めて
18世紀の後半からロシアは度々南下政策を取るように。これはロシア国内の港が冬になると凍ってしまうためでした。しかしこの南下政策は挫折することに。1853年に起こったクリミア戦争もまたそうでした。ギリシア正教徒の保護を大義名分に掲げ、ロシアはオスマン帝国と戦うことに。ところが、イギリスとフランスがオスマン帝国側についたためロシアは敗戦しました。
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2-2 白衣の天使、ナイティンゲール
By H. Lenthall, London – このファイルは以下の画像から切り出されたものです: Florence Nightingale three quarter length.jpg heritage auctions, パブリック・ドメイン, Link
クリミア戦争というと、ナイティンゲールを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。ナイティンゲールはイギリス出身の貴族階級の女性。彼女はイギリス軍に従軍し、クリミア戦争の戦場へ。当時は女性が労働するのは卑しいこととされていました。そして看護婦とは通常娼婦がやっていた職業。家族の反対は並大抵のものではなかったと想像できますね。さて、戦場の彼女ですが野戦病院で献身的な看護を続けたお陰で死亡率が半減。まさに彼女は白衣の天使でした。そして後にアンリ⁼デュナンと共に国際赤十字社を設立することに。
2-3 イリヤ・レーピン「ヴォルガの船曳」
By イリヤ・レーピン – lj.rossia.org, パブリック・ドメイン, Link
ロシアの有名な画家、イリヤ・レーピンが描く「ヴォルガの船曳」。ロシアの底辺労働者が従事する仕事の様子が描かれています。服装がボロボロで、血色がかなり悪い画面の登場人物たち。彼らには幅の広い紐がつけられ、彼らの背中越しには帆を畳んだ一隻の船が見えます。彼らはどんな労働をしているのでしょうか。なんと下流から上流へ船を進めるために人が押していたのです。船を目的地まで何時間も何日間も引き続けなければならなかった船曳たち。
ところでこれはいつの時代と思いますか?なんとクリミア戦争の20年も後の時代を描いたもの。絵画の中では奧の方に描かれている船は既に蒸気機関船。ところがそんな船を導入するよりも船曳を雇った方が安くついたため、未だに過酷な労働があったのです。ロシアの国内産業の遅れを感じさせますね。
2-4 ニコライ1世の死
1855年に父ニコライ1世が肺炎のため死去。その後を継いだのが、アレクサンドル2世でした。当時はクリミア戦争の最中で、ニコライの死後半年足らずでロシアの敗戦となることに。そのためアレクサンドルはクリミア戦争の戦後処理を行いました。
クリミア戦争では、ロシア国内の改革の必要性をヒシヒシと感じることになったアレクサンドル。そこで彼は農奴を解放し、彼らを工場労働者にしようと考えました。
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