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イギリスを繁栄へと導いた「アン女王」ステュアート朝最後の君主の生涯をヨーロッパ史大好き歴女が5分でわかりやすく解説!

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スペイン継承戦争はスペイン・ハプスブルクのカルロス2世が亡くなったことから生じた戦争だったんだな。でもなんで彼の後継者にフランスのブルボン家のフェリペ5世がなったんだろうな。それじゃあ次はなぜブルボン家が後継者となれたのか見ていくぞ。

3-2 なぜフェリペ5世が継承することができたのか?

スペイン継承について、なぜフランスのブルボン家だったフェリペ5世が継承することになったのでしょうか。それはカルロス2世の姉マリー・テレーズがフランスのルイ14世の妃として嫁いでいたため。だからスペイン・ハプスブルクの血が流れているフェリペ5世が継承する正当な理由があったのです。当然スペイン・ハプスブルク家がブルボン家に乗っ取られる形となるため、オーストリア・ハプスブルク家は反発することに。スペイン継承戦争は、ハプスブルク家とブルボン家の争いであり、植民地を巡ったイギリスとフランスとの対立として起こったものでした。

3-3 当時の最強国フランスに挑む

アン女王が幼馴染を贔屓して任命されたジョン・チャーチルでしたが、華々しい結果を次々と出しました。彼は当時の最強と言われたフランス軍と戦い、勝利を勝ち取っていきます。アン女王はジョンの功績を称え、マールバラ公爵へ取り立てることに。そしてその後のブレンハイム村での戦闘では大勝利を収めたジョンに今度は60万平方キロの土地を与えることに。ちなみにジョン・チャーチルはブレナム宮殿を建築していましたが、土地が広大すぎたため城が完成する前に亡くなったそう。ブレナム宮殿といえば、今日ではユネスコの世界遺産に登録されていますね。またこの宮殿はイギリス首相だったウィンストン・チャーチルの生家としても有名。

3-4 次第に追い詰められていくルイ14世

戦場はヨーロッパ地方とアメリカの植民地で展開していくことになったスペイン継承戦争。当初はフランス、スペインの優勢でしたが次第に戦況は悪化することに。1704年にはジブラルタルをイギリスが占領。ちなみに今日までジブラルタルはイギリス領となっています。またアメリカ植民地でもイギリスとフランスは対決することに。しかしフランスは十分に兵力を植民地まで割くことができなかったため、終始イギリスが優勢に戦いを進めることになりました。このアメリカ植民地での戦いは、アンの名を取ってアン女王戦争と呼ばれることに。

4 アン女王の晩年

1702年に即位したアン女王でしたが、晩年は車椅子の生活を余儀なくされることに。即位してわずか12年間の治世でしたが、彼女は精力的に国務を務めていました。閣議に参加したり、有力な政治家と意見を交えながらイギリスの繁栄を目指したアン。そんな彼女の治世にはスコットランドがイングランドに併合されることになります。それでは詳しく見ていきましょう。

4-1 グレートブリテン連合王国誕生!

アン女王の治世では、グレートブリテン連合王国が誕生しました。これは1707年の出来事。この間もスペイン継承戦争は続いていました。しかしなぜスコットランドとイングランドは併合することになったのでしょうか。

もともとこの2つの国は別々の国。ところが1603年にスコットランドのジェームズ6世がイングランドのジェームズ1世として即位したことで、この2つの国は同じ君主が統治することになったのです。この状況では、スコットランドは経済的に不利な状況に陥ることに。当時イングランドは新大陸との貿易を自由に行っていました。ところがスコットランドは自由に行えなかったのです。そしてスコットランドは親仏派。しかし今回の継承戦争でフランスはことごとくイングランドに負けました。ここからイングランドと手を結んだ方が得策と考えたから。

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もともと親仏派だったスコットランドが貿易で不利な条件だったことや、スペイン継承戦争でイングランドに負け続けているフランスの様子を見てイングランドに接近した方が得策だと考えたんだな。

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