2 女王となったアン
アンはステュアート朝最後の女王。ステュアート朝とは、テューダー朝のエリザベス1世が亡くなった後にスコットランドの国王だったジェームズ6世がイングランド王も兼ねたことで始まった王朝。イングランドではピューリタン革命が起き、チャールズ1世は処刑されることに。その後王位に就いたのは1世の息子であるチャールズ2世とジェームズ2世。しかしこの2人の国王はキリスト教徒でした。特にアンの父であるジェームズ2世は親キリスト政策を打ち出したため、議会と対立するように。ここでは、アンが女王に即位するまでの様子を紹介していきます。
2-1 名誉革命
ジェームズ2世は次々に親キリストの政策を取ったため、彼の国内人気がどん底になっていくことに。そんな中、議会は嫁いだメアリとその夫ヴィレムにイングランド王にと目論みます。メアリは父と同じカトリックではなくプロテスタント。当時では親子間で進行している宗教が違うのは不思議ではなかったのです。こうしてメアリとヴィレムはオランダからイングランドへ。オランダから5万もの兵を前にジェームズ2世は亡命するしかなかったそう。そして一滴の血が流れることなく、2人はイングランドを共同統治していくことに。これが世に言う名誉革命です。
2-2 アン女王の即位
アンの即位は彼女が37歳の時でした。アンよりも先に即位した姉のメアリ2世とその夫ウィリアム3世でしたが、メアリが先に亡くなり、その後ウィリアム3世も亡くなることに。2人には子どもがいなかったため、ウィリアムは王位継承法で後継者を決めていました。それは、ステュアート家の者かつプロテスタントを信仰している者。この法によってアンは即位することに。
2-3 アンの聖なる手
信仰深かったアン女王。彼女は義理の兄、ウィリアム3世が迷信だとして廃止していた病人に触れて病を治すという民間療法を再開させることに。このため、アンは何時間もかけて病人たちを1人で触れなければならなくなりました。そしてアン女王はこの民間療法を行ったイギリス最後の君主となることに。ちなみにこの民間療法はもともとフランスの王がしていたもの。余談ですが、ウィリアム3世と同様にルイ16世も迷信という理由からこれを廃止していました。
2-4 アン女王の幼馴染のサラ・チャーチル
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By チャールズ・ジャーヴァス – en:File:Ds of M.jpg or [1], パブリック・ドメイン, Link
アン女王が即位してわずか2週間後にイギリスはスペイン継承戦争へ参戦を決定しました。ここでアン女王は、彼女の幼馴染でもあった女官のサラ・チャーチルを寵愛することに。アンは即位すると、まずサラを女官長に起用。その後も多くの重要な役職にチャーチル家を起用することに。その内の1人、サラの夫のジョン・チャーチルも例外ではありませんでした。アンはジョンをイギリス、オランダ、オーストリアの連合軍の総司令官へ任命しました。
3 スペイン継承戦争
アン女王の治世で重なった大きな出来事として、スペイン継承戦争が挙げられます。この戦争は、スペイン・ハプスブルク家の最後の王が崩御したことで起こった継承戦争。それでは具体的にどのような経緯となったのか見ていきましょう。
3-1 スペイン継承戦争とは?

By フアン・カレーニョ・デ・ミランダ – Schloss Rohrau, Graf Harrach’sche Familiensammlung, パブリック・ドメイン, Link
そもそもスペイン継承戦争とはどのような戦争でしょうか。事の発端は、スペイン・ハプスブルク家のカルロス2世が亡くなったことから起こりました。カルロス2世は、父フェリペ4世が半ば諦めかけていた頃に授かった奇跡の子としてスペイン中から祝福を受けて誕生。ところがカルロス2世は、ハプスブルク家の近親婚の影響から心身ともに蝕まれた人物でした。奇跡の子はやがて呪われた子としてささやかれることに。そんなカルロス2世が1700年に亡くなり、遺言でフランスのルイ14世の孫のフェリペ5世に継承させることが決まることに。ところがフェリペ5世がフランスの王位継承権を放棄せず、即位後はフランスに便宜を図ったことからフェリペ5世の継承に反対したオーストリア、オランダ、そしてイギリスが参戦することになったのです。
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