敗者烈伝日本史明治歴史

【3分でわかる】大久保利通はなぜ勝者となったのか?歴史本「敗者烈伝」でわかる大久保利通の歴史

プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの残した言葉に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。歴史には膨大な教訓が残されていて、状況こそ違えど、そこから学び取れるものは大きい。敗者から学べることは、勝者から学べることよりもはるかに多いことは事実でありますが、勝者にはやはり学ぶべきものがあるでしょう。

そこでこの連載では歴史作家の伊東潤氏の著作「敗者烈伝」から、「大久保利通」の勝因を見ていく。日本史に光芒を放ったこの人物がいかにして勝っていったかを知り、そこから教訓を学び取ってみよう。

この記事は「敗者烈伝」から内容を抜粋してお届け

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敗者烈伝

単行本(ソフトカバー) > 歴史・時代小説
実業之日本社
伊東 潤(著)

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そして誰もいなくなった

大久保利通
一八三〇年〈文政十三年〉~一八七八年〈明治十一年〉

明治維新という偉業を成し遂げた薩摩藩出身の西郷隆盛と大久保利通に長州藩出身の木戸孝允を加えた三人は、「維新三傑」と呼ばれる。だがこの三人の中で、討幕から新国家建設を中心としてやり抜いたのは大久保である。

大久保による新国家建設

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大久保は堅忍不抜の精神で、日本という後進国を西欧諸国に伍していけるだけの一流国に育て上げた。しかしその当初は苦難の連続だった。というのも、維新の功臣たちの誰もが、藩という意識から脱しきっておらず、何事も藩利藩欲が発想の基本になっていたからだ。

当時の狂歌に「上からは明治だなどといふけれど、治まるめい(明)と下からは読む」というものがあるが、まさにその通りで、とくに薩長両藩出身者の派閥は、いつ手切れとなてもおかしくない状態が続いていた。

そこで大久保、木戸、岩倉具視ら新政府の中心人物たちは、藩という組織を解体し、その領地、領民、軍隊を新政府のものにしようと思った。版籍奉還である。これが成功したことで手応えを摑んだ大久保らは、続いて廃藩置県に取り組もうとした。しかし士族層の反発を考えると、とても成功は覚束ない。そこで鹿児島で藩政に携わっていた西郷を引っ張り出し、彼を前面に押し立てて廃藩置県を断行させる。

大久保が賢いのは、廃藩置県後の混乱を収めるには西郷一人の方がいいと判断し、岩倉や木戸と共に使節団の一員となって洋行したことだ。その結果、西郷は見事に不平士族を抑えきり、廃藩置県を成功に導く。

ところが帰国してみると、新政府は西郷と佐賀藩出身の江藤新平が牛耳っており、徴兵制の施行、法治主義の導入、地租改正、学制公布、鉄道と電信の開通、太陽暦の採用など新政策を次々と打ち出し、大久保の考える国家像とは異なるものが描かれ始めていた。

大久保は、自分の作った政府が盗まれたと感じたのだろう。そこで政争を仕掛けて西郷と江藤を下野させ、さらに策謀をめぐらせて二人を追い込み、最終的に二人を抹殺する。

かくして不満分子を一掃した大久保は、有司専制という独裁体制を築くことに成功する。

それを支えたのが長州藩出身の伊藤博文と佐賀藩出身の大隈重信の二人で、手足となって働いたのが警視庁トップで同郷の川路利良である。しかし大久保による有司専制体制は、あまりに短命だった。

大久保の死

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西南戦争が終わって一年と経たない明治十一年(一八七八) 五月十四日、大久保は太政官のある赤坂仮御所に出勤すべく馬車で三年町の自宅を出ると、赤坂見附を経て紀尾井町に差し掛かった。そこに現れた六人の暴漢によって斬殺される。

その後、孤立した川路は、藤田組贋札事件で長州閥に最後の勝負を挑むが、これも空振りに終わる公算が高くなり、海外に脱出した。ところが船中で発病し、謎の死を遂げる。これにより大久保亡き後の薩閥は壊滅し、残るは黒田清隆、西郷従道、大山巌といった二流の政治家や軍人だけとなる。そして政界は、「長州三尊」と呼ばれる伊藤博文、山県有朋、井上馨に牛耳られていく。

大久保は最も頼りにすべき西郷とその与党を葬り去ることで、薩閥の力を弱めてしまい、自らの死後、長州閥に敗れ去った。西郷あっての大久保であることを忘れ、自ら陣頭に立ったことで大久保は命を失い、維新の果実を伊藤ら長州閥に持ち去られたのだ。

常のナンバー2なら、担ぐ相手を殺すようなことはしない。しかし大久保は明治政府を自分の作品のように考えており、その白いキャンバスに勝手に絵を描いた西郷を許せなかったのだ。もしくは、西郷の新たな相棒となった江藤に嫉妬したのかもしれない。

池辺三山は大久保のことを「徹頭徹尾政治家」と呼び、福地源一郎は大久保の性格を「北洋の氷山の如し」と評した。大久保は生まれついての政治家で、いかなる問題にも冷静に対処できたのだが、西郷に関することにだけは、なぜか感情が先に立ってしまうのだ。おそらく大久保も桐野利秋や村田新八同様、ホモ・ソーシャルの頸木からは脱せられなかったのだろう。

この堅忍不抜の大政治家が凶刃に斃れることで、日本はシビリアン・コントロールの軸を失い、軍閥を抑えきれなくなり、やがて日清・日露戦争から太平洋戦争へと突き進んでいくことになる。

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