プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの残した言葉に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。歴史には膨大な教訓が残されていて、状況こそ違えど、そこから学び取れるものは大きい。敗者から学べることは、勝者から学べることよりもはるかに多いことは事実でありますが、勝者にはやはり学ぶべきものがあるでしょう。

そこでこの連載では歴史作家の伊東潤氏の著作「敗者烈伝」から、「足利尊氏」の勝因を見ていく。日本史に光芒を放ったこの人物がいかにして勝っていったかを知り、そこから教訓を学び取ってみよう。

この記事は「敗者烈伝」から内容を抜粋してお届け

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敗者烈伝

単行本(ソフトカバー) > 歴史・時代小説
実業之日本社
伊東 潤(著)

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価格・情報の取得:2020-06-19

気分屋天下を取る

足利尊氏

一三〇五年〈嘉元三年〉~一三五八年〈正平十三年/延文三年〉

日本史において天下人と言えるのは、皇族を除けば、蘇我馬子、藤原道長、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして有司専制体制を築いた大久保利通あたりだろうか。こうした人々に共通している要素は、堅固な意志、飽くことなき欲望、がむしゃらな野心、縦横無尽の交渉力、強引なまでの政治力、たゆまざる努力、冷酷非情な決断力、何物も恐れぬ胆力、先を読む眼力、鋭い人間洞察力、周囲を引き付ける人間的魅力などが挙げられるだろう。つまり、ここで列挙した要素の大半を持っていなければ、天下人になどなれないのだ。

しかしここにただ一人、こうした要素をほとんど持っていない天下人がいる。強いて挙げれば「人間的魅力」くらいだが、それさえも偶然の産物にすぎない。

その男の名は足利尊氏。室町幕府初代将軍である。

優秀なブレーンに支えられた尊氏

image by PIXTA / 16294862

尊氏には、一つ違いの弟の直義と家宰の高師直という二人の優秀なブレーンがいた。彼らの助言により、尊氏は実にタイミングよく鎌倉幕府を裏切り、これまた実にタイミングよく後醍醐天皇と手を切り、そして実にタイミングよく直義の排除に成功し、室町幕府を安定に導いた。

それなら運だけじゃないだろう、と仰せの向きもいるかもしれない。だが『太平記』などによると、これらの決断を支えたのは、弟の直義と高師直といったブレーンなのだ(直義の排除については嫡男の義詮)。

すなわち草創期の室町幕府は、直義と高師直という二人の微妙な勢力均衡の上に尊氏が乗っている状態であり、二人が尊氏を奪い合うことで、尊氏に存在意義が生まれるという不思議な状態にあった。

尤も尊氏本人は、肉親の直義よりも、足利家の家宰として重代相恩の間柄にある高師直に肩入れしており、観応の擾乱と呼ばれる内訌は、尊氏・師直組と直義の争いになっていく。

また尊氏が四十代になってからだが、二代将軍となる嫡男の義詮の成長も大きかった。義詮は並以上には優秀だったらしく、直義によって高師直一族が滅亡させられた後、尊氏に成り代わるようにして、直義の排除に努めている。

つまり尊氏は、直義、高師直、そして成長してからの義詮といった自らの代貸しのようなブレーンなくしては、はなはだ心許ない人物だったのだ。逆説的には、尊氏には彼らに「自分が支えなくては」と思わせる人間的魅力があったのだ。

尊氏に備わっていた人間的魅力

image by PIXTA / 48782003

尊氏には感情的で気まぐれという性格的欠点のほかにも、躁鬱病の気があった(複数の研究家が、その可能性を指摘している)。気分が乗っている時はイケイケで陣頭に立って敵を蹴散らすのだが、気分が沈んでいる時は「錦旗には逆らえない」などと言って愚痴をこぼしたり、寺に籠もって髻を落としたりする。病気とまではいかないにしても、そうした気分屋の一面が尊氏にはあった。

だが、それが得も言われぬ人間的魅力につながっているのが、尊氏の面白さだ。つまり末端の兵にまで「自分が支えなくては」「あの人の喜ぶ顔が見たい」と思わせてしまうのだ。

尊氏が南北朝の戦いを勝ち抜き、幕府を開けたのは、こうした人々に支えられていたからだろう。つまり尊氏の強みは人間的魅力、具体的に言えば、武家の棟梁としての気前のよさや、一度裏切った者でも許してしまう大度量にあったのだ。

尊氏というのは何とも不思議な人間だが、こうしたプラス面とマイナス面が渾然一体となり、尊氏の人間性は形成されたのだろう。つまり一個の個性を成立させるには、マイナス面でさえプラスに働くということだ。

だが、こればかりは持って生まれたものなので、われわれがまねようと思っても、容易にできることではない。尊氏にとっては、この個性が天賦の才だったのだ。

こうした人間的魅力が、尊氏を天下人の座に押し上げ、脆弱で不安定ながらも、室町幕府を十五代二百三十七年も続かせることになる。

もしも尊氏によって、室町幕府が江戸幕府のように堅固な支配体制を築いていれば、天下人の成功譚の一つになったかもしれない。しかし三代義満以降、室町幕府は衰退の一途をたどる。それもまた、尊氏という人間を反映しているようで面白い。

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南北朝時代室町時代敗者烈伝日本史歴史鎌倉時代

【3分でわかる】足利尊氏はなぜ勝者となったのか?歴史本「敗者烈伝」でわかる足利尊氏の歴史

プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの残した言葉に、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。歴史には膨大な教訓が残されていて、状況こそ違えど、そこから学び取れるものは大きい。敗者から学べることは、勝者から学べることよりもはるかに多いことは事実でありますが、勝者にはやはり学ぶべきものがあるでしょう。

そこでこの連載では歴史作家の伊東潤氏の著作「敗者烈伝」から、「足利尊氏」の勝因を見ていく。日本史に光芒を放ったこの人物がいかにして勝っていったかを知り、そこから教訓を学び取ってみよう。

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足利尊氏

一三〇五年〈嘉元三年〉~一三五八年〈正平十三年/延文三年〉

日本史において天下人と言えるのは、皇族を除けば、蘇我馬子、藤原道長、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして有司専制体制を築いた大久保利通あたりだろうか。こうした人々に共通している要素は、堅固な意志、飽くことなき欲望、がむしゃらな野心、縦横無尽の交渉力、強引なまでの政治力、たゆまざる努力、冷酷非情な決断力、何物も恐れぬ胆力、先を読む眼力、鋭い人間洞察力、周囲を引き付ける人間的魅力などが挙げられるだろう。つまり、ここで列挙した要素の大半を持っていなければ、天下人になどなれないのだ。

しかしここにただ一人、こうした要素をほとんど持っていない天下人がいる。強いて挙げれば「人間的魅力」くらいだが、それさえも偶然の産物にすぎない。

その男の名は足利尊氏。室町幕府初代将軍である。

優秀なブレーンに支えられた尊氏

image by PIXTA / 16294862

尊氏には、一つ違いの弟の直義と家宰の高師直という二人の優秀なブレーンがいた。彼らの助言により、尊氏は実にタイミングよく鎌倉幕府を裏切り、これまた実にタイミングよく後醍醐天皇と手を切り、そして実にタイミングよく直義の排除に成功し、室町幕府を安定に導いた。

それなら運だけじゃないだろう、と仰せの向きもいるかもしれない。だが『太平記』などによると、これらの決断を支えたのは、弟の直義と高師直といったブレーンなのだ(直義の排除については嫡男の義詮)。

すなわち草創期の室町幕府は、直義と高師直という二人の微妙な勢力均衡の上に尊氏が乗っている状態であり、二人が尊氏を奪い合うことで、尊氏に存在意義が生まれるという不思議な状態にあった。

尤も尊氏本人は、肉親の直義よりも、足利家の家宰として重代相恩の間柄にある高師直に肩入れしており、観応の擾乱と呼ばれる内訌は、尊氏・師直組と直義の争いになっていく。

また尊氏が四十代になってからだが、二代将軍となる嫡男の義詮の成長も大きかった。義詮は並以上には優秀だったらしく、直義によって高師直一族が滅亡させられた後、尊氏に成り代わるようにして、直義の排除に努めている。

つまり尊氏は、直義、高師直、そして成長してからの義詮といった自らの代貸しのようなブレーンなくしては、はなはだ心許ない人物だったのだ。逆説的には、尊氏には彼らに「自分が支えなくては」と思わせる人間的魅力があったのだ。

尊氏に備わっていた人間的魅力

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尊氏には感情的で気まぐれという性格的欠点のほかにも、躁鬱病の気があった(複数の研究家が、その可能性を指摘している)。気分が乗っている時はイケイケで陣頭に立って敵を蹴散らすのだが、気分が沈んでいる時は「錦旗には逆らえない」などと言って愚痴をこぼしたり、寺に籠もって髻を落としたりする。病気とまではいかないにしても、そうした気分屋の一面が尊氏にはあった。

だが、それが得も言われぬ人間的魅力につながっているのが、尊氏の面白さだ。つまり末端の兵にまで「自分が支えなくては」「あの人の喜ぶ顔が見たい」と思わせてしまうのだ。

尊氏が南北朝の戦いを勝ち抜き、幕府を開けたのは、こうした人々に支えられていたからだろう。つまり尊氏の強みは人間的魅力、具体的に言えば、武家の棟梁としての気前のよさや、一度裏切った者でも許してしまう大度量にあったのだ。

尊氏というのは何とも不思議な人間だが、こうしたプラス面とマイナス面が渾然一体となり、尊氏の人間性は形成されたのだろう。つまり一個の個性を成立させるには、マイナス面でさえプラスに働くということだ。

だが、こればかりは持って生まれたものなので、われわれがまねようと思っても、容易にできることではない。尊氏にとっては、この個性が天賦の才だったのだ。

こうした人間的魅力が、尊氏を天下人の座に押し上げ、脆弱で不安定ながらも、室町幕府を十五代二百三十七年も続かせることになる。

もしも尊氏によって、室町幕府が江戸幕府のように堅固な支配体制を築いていれば、天下人の成功譚の一つになったかもしれない。しかし三代義満以降、室町幕府は衰退の一途をたどる。それもまた、尊氏という人間を反映しているようで面白い。

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