
真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争に参戦
By ドロシア・ラング – U.S. National Archives and Records Administration, パブリック・ドメイン, Link
フランクリン・ルーズベルトが開戦を表明したのが対日本戦です。以前から終戦を目指して日米交渉をすすめていましたが難航。1948年の12月、ハワイ準州オワフ島の真珠湾の米軍基地を日本軍が攻撃したことにより、太平洋戦争が開始されました。
日系人の強制収容を開始
ルーズベルト大統領が第二次世界大戦に参戦したことで大きな影響をうけたのが日系アメリカ人。ハワイのオワフ島における日系人のスパイ活動を警戒したルーズベルトは身元のリストアップを開始します。
真珠湾攻撃が開始されたことで日系人に対する対応が激化。合衆国本土にくわえ、ハワイ、ブラジルやペルーなどのエリアで、日系人が強制収容所に送られるようになりました。実際の日系人は、合衆国に対する忠誠心が高く、スパイ活動をする人は少なかったと言われています。
戦争終結後の方針を話し合うヤルタ会談を組織
フランクリン・ルーズベルトは、戦後の日本の扱いについて極秘で面会を開始。ソ連のスターリンやイギリスのチャーチルと会談をして秘密協定を結びます。それがヤルタ会談。この会談によりソ連が対日戦に参加する代わりに、日本の領土の一部を得られることが決まりました。
日ソで結ばれていた日ソ中立条約が破棄され、ソ連は日本に対して攻撃を開始します。それからすぐに日本は無条件降伏を受け入れるに至りました。ソ連への領土引き渡しに関する約束は非公式なもの。あいまいなところが多く、日本とソ連の領土問題に大きなしこりを残すことになりました。
「フランクリン・ルーズベルト」の功績は賛否両論
フランクリン・ルーズベルトというとニューディール政策が有名ですが、日本の視点からすると太平洋戦争の経緯に大きく関わっていることが見逃せません。ニューディール政策の失敗を挽回するために参戦したことで、アメリカは軍需産業の拡大に成功。不景気からの脱却に成功します。ヤルタ会談は戦争の早期終結に貢献したと評価される一方、戦争末期の混乱から領土問題をあいまいな状態にしてしまいました。フランクリン・ルーズベルは、いまでも人気がある大統領のひとり。しかしながら彼の功績は。視点を変えてみると賛否が分かれるという特徴があります。