
海軍に対して特別に強い愛情を持ち続ける
フランクリン・ルーズベルトは、海軍の予算を確保するために奔走し、議会と熱心に交渉をしたことでも知られています。さらに、軍事力を強めるための設備投資を熱心に提案しました。ヨーロッパに海軍の視察にいったとき、イギリス政治家で軍人であるウィンストン・チャーチルとの面会も果たしました。
第一次世界大戦が終わることになると海軍を解体する流れが強まります。そのようなときも、フランクリンは最後まで海軍を残すことにこだわり続けました。しかし「ニューポート・セックススキャンダル」により窮地に立たされたフランクリンと、彼の上司であるダニエルズは辞職を余儀なくされます。
世界大恐慌期にニューディール政策を推進

フランクリン・ルーズベルトの合衆国大統領としての仕事の代名詞となるのが「ニューディール政策」。世界大恐慌により経済状況が悪化した合衆国を立て直すために、大規模な公共事業と失業対策を行いました。
大恐慌に対応できないフーバー大統領に圧勝
1928年のニューヨーク州知事選に勝利。続いて1932年に民主党から大統領選に出馬します。このときのアメリカは世界大恐慌による不況の真っただ中。対抗する共和党のフーヴァー大統領は、不況にたいして何の策を講じることもできない状態でした。
そのため大統領選の争点となったのが、いかに経済不況を脱出するのか。そこでフランクリンが訴えたのがニューディール(新規まき直し)と呼ばれる徹底的な財政の縮小と政府による経済階介入でした。
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公共事業を立ち上げて失業者の救済を試みる
大統領となったフランクリン・ルーズベルトが推進したのが大規模な公共事業の立ち上げ。そこで失業者を雇用するという計画です。公共事業の対象となったのは、大型ダム、高速道路、一般道路、公共施設の建設でした。
また、芸術家を救済するために、公共事業の様子を写真にとらせたり、スケッチさせたりしまします。そのためニューディール政策の様子の記録はかなり充実したものとなりました。この政策は一定の成果をあげたものの、完全に合衆国経済を立て直すまでとはなりませんでした。
中南米・カリブ海諸国に対する「善隣外交」
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ニューディール政策と同時にフランクリンが熱心に推進したのが中南米・カリブ海諸国に対する干渉。表向きは「良き隣人」として交流をすすめるもの。そのため彼の外交手法は「善隣外交」と呼ばれました。
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