それじゃ、「フランクリン・ルーズベルト」が大統領に就任してから行った政策とその功罪について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- フランクリン・ルーズベルトは民主党から出馬した第32代大統領
- ニューヨク州の裕福な家庭に生まれたルーズベルト
- 民主党支持と共和党支持に分かれたルーズベルト家
- 海軍の拡張を推進したフランクリン・ルーズベルト
- ニューヨーク州議員時代は海軍次官としてカリブ海支配に関与
- 海軍に対して特別に強い愛情を持ち続ける
- 世界大恐慌期にニューディール政策を推進
- 大恐慌に対応できないフーバー大統領に圧勝
- 公共事業を立ち上げて失業者の救済を試みる
- 中南米・カリブ海諸国に対する「善隣外交」
- 「善隣外交」は本当に友好的な政策なのか?
- 善隣外交は傀儡政権に対する支配と紙一重
- ニューディール政策の行き詰まりから第二次世界大戦に参戦
- 軍需産業を拡大するために参戦を決断
- 侵略する国を病人に例えた隔離演説
- 真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争に参戦
- 日系人の強制収容を開始
- 戦争終結後の方針を話し合うヤルタ会談を組織
- 「フランクリン・ルーズベルト」の功績は賛否両論
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカの歴史を見ていくとき「フランクリン・ルーズベルト」を避けて通ることはできない。「フランクリン・ルーズベルト」の大統領としての在職期間は長く、関わった歴史的出来事は多い。そこで「フランクリン・ルーズベルト」に関連する出来事をまとめてみた。
フランクリン・ルーズベルトは民主党から出馬した第32代大統領
パブリック・ドメイン, Link
フランクリン・ルーズベルトは民主党から出馬して第32代大統領として活躍した政治家。大統領選挙にて4選していますが、これは合衆国史上唯一の事例です。在職期間が長期に渡るため、世界大恐慌、ニューディール政策、第二次世界大戦など、関わった出来事は多岐にわたります。
ニューヨク州の裕福な家庭に生まれたルーズベルト
フランクリン・ルーズベルトは、1882年1月30日にニューヨーク州北部にあるハイドパークで生まれました。彼の父親はデラウェア・アンド・ハドソン鉄道の副社長を務めていたジェームズ・ルーズベルト。母親はサラ・デラノというフランス系のプロテスタント教徒でした。
1904年にハーバード大学を卒業したフランクリンは、その翌年にアナ・エレノア・ルーズベルトと結婚。アナは、第26代大統領であったセオドア・ルーズベルトの姪っ子でした。その後、コロンビア大学のロースクールを卒業したのち、ダッチェス郡から州上院議員選挙に出馬、政治家としての道を歩みはじめます。
民主党支持と共和党支持に分かれたルーズベルト家
フランクリンの出身であるルーズベルト家は二つの系統があります。第26代の大統領をつとめたセオドア・ルーズベルトが帰属するのが「オイスター・ベイ・ルーズベルト」家。伝統的に共和党を支持しており、セオドアも共和党から出馬しています。
一方、フランクリンが帰属しているのが「ハイドパーク・ルーズベルト」家。19世紀に民主党支持に変わった家系です。そのためフランクリンは民主党から出馬。フランクリンの結婚式で、亡くなった実父の代わりとしてセオドアが出席していますが、政治的には対立していました。
海軍の拡張を推進したフランクリン・ルーズベルト
フランクリン・ルーズベルトは生涯に渡って海軍の拡張に力を注ぎました。彼の海軍に対する愛着は、政治家として駆け出しの時期に、海軍次官として仕事をしたことに由来します。
ニューヨーク州議員時代は海軍次官としてカリブ海支配に関与
ダッチェス郡から州上院に出馬したフランクリンは見事に当選。1913年にウッドロウ・ウィルソン大統領によって海軍次官に任命され、海軍とのかかわりを深めていきます。
合衆国が唱えていたのが「パン・アメリカ主義」。軍事介入することなく中南米・カリブ海諸国を支配下に置くことを目指していました。フランクリンは、ジョセファス・ダニエルズ海軍長官のもと、中南米・カリブ海諸国に向けて海軍を派遣。合衆国の支配力の拡張にかかわります。
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