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アフリカの歴史の新たな1ページ!「アフリカの年」を開発学専門のライターが解説

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アフリカの国々が独立できたのは、フランスやイギリスなどの大国が植民地政策を改めたからなんだな。だがそこに至るまでには、アフリカの解放を訴える人々の努力があったんだ。

「アフリカの年」のその後は?

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アフリカは「第三勢力」として拡大した

アフリカ諸国の勢いは、世界にどのような影響をもたらしたのでしょうか。「アフリカの年」の頃の国際社会は、アメリカとソ連が二強として君臨する冷戦の真っただ中でした。しかし、アフリカ大陸で多くの国が独立したことで、国際政治における勢力図に変化が表れます。アフリカの国々は、アメリカ陣営に属する西側諸国でもソ連陣営に属する東側諸国でもなく、「第三勢力」として影響力を拡大していったのです。

アフリカの国々が国連に加盟したことで、大国もその存在を無視することができなくなりました。ほかの国々と同じように、アフリカ諸国も独立国家としての発言権を手にしたからです。米ソ二強の時代は依然続きますが、その中にも少しずつ変化が生まれた時代でした。

残された多くの課題

「アフリカの年」の前後はアフリカに追い風が吹いた時期でもありましたが、決してそれ後の道が平坦だったというわけではありません。植民地の頃から積み重ねられた様々な問題が、まだ山積みだったからです。

第一に、アフリカには旧宗主国によって人為的に引かれた国境線がたくさんありました。この国境は必ずしも民族や部族の分布と一致していたわけではなかったため、領土を巡った紛争が多発してしまいます。また、植民地時代の政策の影響で民族間の対立が顕著になった地域もあり、独立後も悲惨な争いが絶えなかったのです。

第二に、アフリカの多くの国々は特定の農鉱産物に依存した「モノカルチャー」の経済構造になっていました。この脆弱な経済基盤は国の正常な発展を阻害し、人々を苦しめます。また、未熟な政治体制のため政権の腐敗も生じやすく、内戦や貧困に効果的に対処することができませんでした。

植民地からの独立を遂げたことで、アフリカは歴史に残る新たな一歩を踏み出しました。しかし、植民地時代の負の遺産も数多く残されていたのです。その多くは、未だに解決していません。

「アフリカの年」は新たな道のりの始まりだった

アフリカ大陸の国々が次々と独立を果たした1960年のことを「アフリカの年」と言います。この時代のうねりは、イギリスやフランスなどの旧宗主国も認めないわけにはいかないほど大きなものでした。その後も多くの国が植民地支配からの脱出を達成し、現在のアフリカには独立した国家が50か国以上もあります。アフリカ諸国は第三の勢力として、国際社会でも存在感を発揮するようになっていったのです。

しかし、独立は決してハッピーエンドではありません。むしろ、新たな険しい道のりの始まりでした。「アフリカの年」の前にも後にも、アフリカではひどい戦争や紛争が数多く起こっています。植民地時代の負の遺産は未だに多くの人々を苦しめ、領土問題や民族対立の完全な解決へはまだ道半ばです。そして経済開発も、世界のほかの地域に比べると進んでいません。先進国の大企業が資源を搾取するという構造の中で、アフリカは今でも発展を阻害されているのではないか、という考え方もあります。

1960年にアフリカ大陸に吹いた「変化の風」は、すべての問題を解決したわけではありませんでした。これからの時代に、また新たな変化の風を巻き起こすことはできるでしょうか。これはアフリカだけでなく、世界全体の課題なのです。

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amala18