
1960年に独立した国
そして運命の1960年、アフリカでは以下の17の国が帝国主義のヨーロッパ諸国から独立しました。
ガボン共和国、カメルーン共和国、コートジボワール共和国、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、セネガル共和国、ソマリア連邦共和国、チャド共和国、中央アフリカ共和国、トーゴ共和国、ナイジェリア連邦共和国、ニジェール共和国、ブルキナファソ(旧オートボルタ)、ベナン共和国(旧ダホメ共和国)、マダガスカル共和国、マリ共和国、モーリタニア・イスラム共和国
その後も、この流れは続きました。アフリカには現在、50以上の独立国家があります。

歴史的にヨーロッパに支配されていたアフリカが、ついにその運命から抜け出したんだな。だけど、なぜそれがこの時期だったのだろう?
アフリカに訪れた政治的変革
By Marcus Garvey and the Universal Negro Improvement Association and African Communities League – 不明, パブリック・ドメイン, Link
パン・アフリカニズムの高まり
19世紀の終わり頃から、アフリカにルーツを持つ人々の間でパン・アフリカニズムが盛り上がるようになっていました。これは、奴隷としてほかの地域に連れていかれたアフリカの人々の解放と連帯を訴える運動です。第二次世界大戦の終戦後にパン・アフリカニズムがさらに活発化し、その結果、1950年代以降に多くの国々が独立を果たすこととなります。
1960年、「植民地独立付与宣言」が国連で採択されました。他国に支配されたり搾取されたりすることを否定し、人々が独立することは人種や信条に関わらない普遍の権利であることを認めた宣言です。欧米などの少数の国が棄権をしたほかは全会一致で可決され、独立運動が世界的な潮流として認められました。
アフリカ大陸に吹いた「変化の風」
同じころ、イギリスのハロルド・マクミラン首相が歴史に残る有名な演説を行いました。訪問先である南アフリカのケープタウンでのことです。
「変化の風がこの大陸を吹き抜けている。我々がそれを好むと好まざるとに関わらず、ナショナリズムの高まりは政治的な事実だ。我々はそれを事実として受け入れなくてはいけないし、我が国の政策はこのことを考慮しなければいけない」
こうして、アフリカに多くの植民地を保有していたイギリスも、独立を容認する立場へと変わっていったのです。
フランスの方針転換
1960年にアフリカで多くの国が独立した背景には、国際社会が変革しているという事実があったのです。しかし、それだけではありません。1960年の一斉の独立には、フランスの方針転換も大きく関係しています。
「アフリカの年」に独立した17か国のうち、ほとんどはフランスからの独立でした。(1960年の独立国として上で示した国々のうち、太字の国はすべてフランスの支配下にあった国です。)アジアやアフリカに多くの植民地を保有していたフランスは、1960年に第5共和政憲法を改正。その第86条で、フランス共同体を構成する国々がフランスとの関係を絶たずに独立することを可能としたのです。
当時支配下にあったアルジェリアでの独立運動が泥沼化し、フランスは政治的に疲弊していた、という事情もありました。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領は憲法改正に先立ち、自国の植民地における民族自決を認める考えを示しています。
独立が相次いだのが1960年だった直接的な原因は、フランスの方針転換と言えるでしょう。