
アフリカの人々は奴隷貿易の商品にされた
アフリカは、長い間ヨーロッパ諸国の実質的な支配下にありました。その歴史は大航海時代までさかのぼります。
15~16世紀頃、アフリカの黒人が奴隷として大規模に売買されるようになりました。ポルトガルが、西アフリカのギニアからポルトガルの植民地ブラジルなどに多くの黒人を連れていったのです。
17世紀以降、さらに多くの黒人奴隷が西アフリカから南北アメリカのプランテーションに送られるようになります。代わりに、南北アメリカのプランテーションからヨーロッパに砂糖や綿が、ヨーロッパから西アフリカに武器などが輸出されました。黒人奴隷を商品として扱ったこの大西洋三角貿易によって、イギリスやフランス、ポルトガルなどは多大な利益を得たのです。
この時代に行われたアフリカの人々の大規模な強制移住は、アフリカ諸国の長引く低開発状態の一因とされています。当時の宗主国はその責任を問われ、非難されることも。しかし、西アフリカには奴隷貿易を積極的に推進することで繁栄を遂げた国々があったということもまた、忘れてはいけません。
「分割」されたアフリカ
19世紀後半、ヨーロッパの列強によりアフリカ分割が行われました。アフリカの支配権を巡った争いがヨーロッパ諸国を中心に繰り広げられ、アフリカは次々に植民地とされていったのです。ほぼ全土が分割され、わずか7か国がアフリカ大陸を支配するようになりました。イギリス、フランス、ポルトガル、ベルギー、イタリア、スペイン、そしてドイツです。第一次世界大戦の頃に独立を保っていたのは、エチオピアとリベリアのたった二か国だけでした。
当初からの独立国は?
長い間ヨーロッパの列強に支配されていたアフリカ諸国は、ようやく1950年代ごろから本格的に独立の歩みを始めます。それよりも前に独立していた国は数えるほど。アフリカ分割の際に独立を保っていたエチオピアとリベリアの2か国に加え、エジプトと南アフリカ共和国のたった4か国でした。
エチオピアはアフリカで最も古い独立国家です。1936年から5年間はイタリア領に編入されていましたが、この短い期間以外は他国に支配されていません。リベリアはアメリカで解放された黒人奴隷が帰還して建国した西アフリカの国で、エチオピアに次ぐ二番目の独立国家です。エジプトは第一次世界大戦後の1922年にイギリスから独立。その後もイギリスの影響下にはあったものの、数少ないアフリカ大陸の独立国家に仲間入りしました。南アフリカ共和国は、南アフリカ連邦として1910年に成立。イギリス連邦の一部ではあったものの、自治領として運営されていました。
「アフリカの年」に向けた1950年代に独立した国
アフリカの国々の独立が相次ぐ1960年に向けて、先だって独立を果たしていた国があります。1950年代に独立した、リビア、スーダン共和国、チュニジア共和国、モロッコ王国、ガーナ共和国、そしてギニア共和国です。
ヨーロッパの列強に支配されていたアフリカが、この頃から大きく動き始めました。
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