アフリカは日本から遠いからか、歴史も文化もそれほどよく知らないよな。

「アフリカの年」といったらアフリカで何か重要なことがあった年なんでしょうけど、どんなことがあったんでしょう。みんなも一緒に学んでみないか?アフリカの歴史を知るきっかけになるかもしれないぞ。

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、現在はイギリスで大学院に在籍中のライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。専門である国際開発学の知識を活かし、今回は「アフリカの年」について解説する。

「アフリカの年」とは何か

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アフリカ諸国の独立が相次いだ1960年

アフリカの国々にとって、1960年は象徴的な記念すべき年です。この年、なんと17か国が独立を達成。アフリカの脱植民地化が加速したからです。このため、1960年は別名「アフリカの年」(Year of Africa)と呼ばれます。

アフリカの事情とは?

「アフリカの年」がどれほど重要だったか理解するために、アフリカの大まかな歴史を知っておきましょう。

20世紀の半ばまで、アフリカ大陸にあるほとんどの国はヨーロッパ諸国の植民地とされていました。第二次世界大戦の頃に独立した国家だったのは、なんとたったの4か国です。しかし戦後になり、解放を目指した運動が盛んに行われるようになります。そして、1950年代の後半から相次いでアフリカ諸国が独立していったのです。その流れが特に顕著だったのが、「アフリカの年」と呼ばれる1960年のことでした。

ヨーロッパの影響下にあったアフリカ大陸

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By Josiah Wedgwood (1730-1795) and either William Hackwood or Henry Webber; "Josiah Wedgewood...produced the emblem as a jasper-ware cameo at his pottery factory. Although the artist who designed and engraved the seal is unknown, the design for the cameo is attributed to William Hackwood or to Henry Webber, who were both modelers at the Wedgewood factory." (https://www.pbs.org/wgbh/aia/part2/2h67.html PBS]) - British Abolition Movement, パブリック・ドメイン, Link

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アフリカの人々は奴隷貿易の商品にされた

アフリカは、長い間ヨーロッパ諸国の実質的な支配下にありました。その歴史は大航海時代までさかのぼります。

15~16世紀頃、アフリカの黒人が奴隷として大規模に売買されるようになりました。ポルトガルが、西アフリカのギニアからポルトガルの植民地ブラジルなどに多くの黒人を連れていったのです。

17世紀以降、さらに多くの黒人奴隷が西アフリカから南北アメリカのプランテーションに送られるようになります。代わりに、南北アメリカのプランテーションからヨーロッパに砂糖や綿が、ヨーロッパから西アフリカに武器などが輸出されました。黒人奴隷を商品として扱ったこの大西洋三角貿易によって、イギリスやフランス、ポルトガルなどは多大な利益を得たのです。

この時代に行われたアフリカの人々の大規模な強制移住は、アフリカ諸国の長引く低開発状態の一因とされています。当時の宗主国はその責任を問われ、非難されることも。しかし、西アフリカには奴隷貿易を積極的に推進することで繁栄を遂げた国々があったということもまた、忘れてはいけません。

「分割」されたアフリカ

19世紀後半、ヨーロッパの列強によりアフリカ分割が行われました。アフリカの支配権を巡った争いがヨーロッパ諸国を中心に繰り広げられ、アフリカは次々に植民地とされていったのです。ほぼ全土が分割され、わずか7か国がアフリカ大陸を支配するようになりました。イギリス、フランス、ポルトガル、ベルギー、イタリア、スペイン、そしてドイツです。第一次世界大戦の頃に独立を保っていたのは、エチオピアとリベリアのたった二か国だけでした。

アフリカの国々の独立

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当初からの独立国は?

長い間ヨーロッパの列強に支配されていたアフリカ諸国は、ようやく1950年代ごろから本格的に独立の歩みを始めます。それよりも前に独立していた国は数えるほど。アフリカ分割の際に独立を保っていたエチオピアとリベリアの2か国に加え、エジプトと南アフリカ共和国のたった4か国でした。

エチオピアはアフリカで最も古い独立国家です。1936年から5年間はイタリア領に編入されていましたが、この短い期間以外は他国に支配されていません。リベリアはアメリカで解放された黒人奴隷が帰還して建国した西アフリカの国で、エチオピアに次ぐ二番目の独立国家です。エジプトは第一次世界大戦後の1922年にイギリスから独立。その後もイギリスの影響下にはあったものの、数少ないアフリカ大陸の独立国家に仲間入りしました。南アフリカ共和国は、南アフリカ連邦として1910年に成立。イギリス連邦の一部ではあったものの、自治領として運営されていました。

「アフリカの年」に向けた1950年代に独立した国

アフリカの国々の独立が相次ぐ1960年に向けて、先だって独立を果たしていた国があります。1950年代に独立した、リビア、スーダン共和国、チュニジア共和国、モロッコ王国、ガーナ共和国、そしてギニア共和国です。

ヨーロッパの列強に支配されていたアフリカが、この頃から大きく動き始めました。

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1960年に独立した国

そして運命の1960年、アフリカでは以下の17の国が帝国主義のヨーロッパ諸国から独立しました。

ガボン共和国カメルーン共和国コートジボワール共和国コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、セネガル共和国、ソマリア連邦共和国、チャド共和国中央アフリカ共和国トーゴ共和国、ナイジェリア連邦共和国、ニジェール共和国ブルキナファソ(旧オートボルタ)、ベナン共和国(旧ダホメ共和国)、マダガスカル共和国マリ共和国モーリタニア・イスラム共和国

その後も、この流れは続きました。アフリカには現在、50以上の独立国家があります。

アフリカに訪れた政治的変革

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By Marcus Garvey and the Universal Negro Improvement Association and African Communities League - 不明, パブリック・ドメイン, Link

パン・アフリカニズムの高まり

19世紀の終わり頃から、アフリカにルーツを持つ人々の間でパン・アフリカニズムが盛り上がるようになっていました。これは、奴隷としてほかの地域に連れていかれたアフリカの人々の解放と連帯を訴える運動です。第二次世界大戦の終戦後にパン・アフリカニズムがさらに活発化し、その結果、1950年代以降に多くの国々が独立を果たすこととなります。

1960年、「植民地独立付与宣言」が国連で採択されました。他国に支配されたり搾取されたりすることを否定し、人々が独立することは人種や信条に関わらない普遍の権利であることを認めた宣言です。欧米などの少数の国が棄権をしたほかは全会一致で可決され、独立運動が世界的な潮流として認められました。

アフリカ大陸に吹いた「変化の風」

同じころ、イギリスのハロルド・マクミラン首相が歴史に残る有名な演説を行いました。訪問先である南アフリカのケープタウンでのことです。

変化の風がこの大陸を吹き抜けている。我々がそれを好むと好まざるとに関わらず、ナショナリズムの高まりは政治的な事実だ。我々はそれを事実として受け入れなくてはいけないし、我が国の政策はこのことを考慮しなければいけない」

こうして、アフリカに多くの植民地を保有していたイギリスも、独立を容認する立場へと変わっていったのです。

フランスの方針転換

1960年にアフリカで多くの国が独立した背景には、国際社会が変革しているという事実があったのです。しかし、それだけではありません。1960年の一斉の独立には、フランスの方針転換も大きく関係しています。

「アフリカの年」に独立した17か国のうち、ほとんどはフランスからの独立でした。(1960年の独立国として上で示した国々のうち、太字の国はすべてフランスの支配下にあった国です。)アジアやアフリカに多くの植民地を保有していたフランスは、1960年に第5共和政憲法を改正。その第86条で、フランス共同体を構成する国々がフランスとの関係を絶たずに独立することを可能としたのです。

当時支配下にあったアルジェリアでの独立運動が泥沼化し、フランスは政治的に疲弊していた、という事情もありました。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領は憲法改正に先立ち、自国の植民地における民族自決を認める考えを示しています。

独立が相次いだのが1960年だった直接的な原因は、フランスの方針転換と言えるでしょう。

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「アフリカの年」のその後は?

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アフリカは「第三勢力」として拡大した

アフリカ諸国の勢いは、世界にどのような影響をもたらしたのでしょうか。「アフリカの年」の頃の国際社会は、アメリカとソ連が二強として君臨する冷戦の真っただ中でした。しかし、アフリカ大陸で多くの国が独立したことで、国際政治における勢力図に変化が表れます。アフリカの国々は、アメリカ陣営に属する西側諸国でもソ連陣営に属する東側諸国でもなく、「第三勢力」として影響力を拡大していったのです。

アフリカの国々が国連に加盟したことで、大国もその存在を無視することができなくなりました。ほかの国々と同じように、アフリカ諸国も独立国家としての発言権を手にしたからです。米ソ二強の時代は依然続きますが、その中にも少しずつ変化が生まれた時代でした。

残された多くの課題

「アフリカの年」の前後はアフリカに追い風が吹いた時期でもありましたが、決してそれ後の道が平坦だったというわけではありません。植民地の頃から積み重ねられた様々な問題が、まだ山積みだったからです。

第一に、アフリカには旧宗主国によって人為的に引かれた国境線がたくさんありました。この国境は必ずしも民族や部族の分布と一致していたわけではなかったため、領土を巡った紛争が多発してしまいます。また、植民地時代の政策の影響で民族間の対立が顕著になった地域もあり、独立後も悲惨な争いが絶えなかったのです。

第二に、アフリカの多くの国々は特定の農鉱産物に依存した「モノカルチャー」の経済構造になっていました。この脆弱な経済基盤は国の正常な発展を阻害し、人々を苦しめます。また、未熟な政治体制のため政権の腐敗も生じやすく、内戦や貧困に効果的に対処することができませんでした。

植民地からの独立を遂げたことで、アフリカは歴史に残る新たな一歩を踏み出しました。しかし、植民地時代の負の遺産も数多く残されていたのです。その多くは、未だに解決していません。

「アフリカの年」は新たな道のりの始まりだった

アフリカ大陸の国々が次々と独立を果たした1960年のことを「アフリカの年」と言います。この時代のうねりは、イギリスやフランスなどの旧宗主国も認めないわけにはいかないほど大きなものでした。その後も多くの国が植民地支配からの脱出を達成し、現在のアフリカには独立した国家が50か国以上もあります。アフリカ諸国は第三の勢力として、国際社会でも存在感を発揮するようになっていったのです。

しかし、独立は決してハッピーエンドではありません。むしろ、新たな険しい道のりの始まりでした。「アフリカの年」の前にも後にも、アフリカではひどい戦争や紛争が数多く起こっています。植民地時代の負の遺産は未だに多くの人々を苦しめ、領土問題や民族対立の完全な解決へはまだ道半ばです。そして経済開発も、世界のほかの地域に比べると進んでいません。先進国の大企業が資源を搾取するという構造の中で、アフリカは今でも発展を阻害されているのではないか、という考え方もあります。

1960年にアフリカ大陸に吹いた「変化の風」は、すべての問題を解決したわけではありませんでした。これからの時代に、また新たな変化の風を巻き起こすことはできるでしょうか。これはアフリカだけでなく、世界全体の課題なのです。

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アフリカの歴史の新たな1ページ!「アフリカの年」を開発学専門のライターがわかりやすく解説

アフリカは日本から遠いからか、歴史も文化もそれほどよく知らないよな。

「アフリカの年」といったらアフリカで何か重要なことがあった年なんでしょうけど、どんなことがあったんでしょう。みんなも一緒に学んでみないか?アフリカの歴史を知るきっかけになるかもしれないぞ。

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、現在はイギリスで大学院に在籍中のライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。専門である国際開発学の知識を活かし、今回は「アフリカの年」について解説する。

「アフリカの年」とは何か

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アフリカ諸国の独立が相次いだ1960年

アフリカの国々にとって、1960年は象徴的な記念すべき年です。この年、なんと17か国が独立を達成。アフリカの脱植民地化が加速したからです。このため、1960年は別名「アフリカの年」(Year of Africa)と呼ばれます。

アフリカの事情とは?

「アフリカの年」がどれほど重要だったか理解するために、アフリカの大まかな歴史を知っておきましょう。

20世紀の半ばまで、アフリカ大陸にあるほとんどの国はヨーロッパ諸国の植民地とされていました。第二次世界大戦の頃に独立した国家だったのは、なんとたったの4か国です。しかし戦後になり、解放を目指した運動が盛んに行われるようになります。そして、1950年代の後半から相次いでアフリカ諸国が独立していったのです。その流れが特に顕著だったのが、「アフリカの年」と呼ばれる1960年のことでした。

ヨーロッパの影響下にあったアフリカ大陸

Official medallion of the British Anti-Slavery Society (1795).jpg
By Josiah Wedgwood (1730-1795) and either William Hackwood or Henry Webber; “Josiah Wedgewood…produced the emblem as a jasper-ware cameo at his pottery factory. Although the artist who designed and engraved the seal is unknown, the design for the cameo is attributed to William Hackwood or to Henry Webber, who were both modelers at the Wedgewood factory.” (https://www.pbs.org/wgbh/aia/part2/2h67.html PBS]) – British Abolition Movement, パブリック・ドメイン, Link

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