

それじゃ、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- 「源氏物語」が書かれた時期は?文化史における位置づけは?
- 「源氏物語」が成立したのは1008年ごろ
- 世界最古の長編小説!?どのように書かれたの?
- 「源氏物語」があらわすのは紫式部の家系の特徴
- 紫式部の家系にはどんな特徴がある?
- 藤原道長の娘の家庭教師であったことにも大きな意味が
- 「源氏物語」の主人公は光源氏!とりまく女性たちの位置づけは?
- 「源氏物語」の前半は光源氏がもっとも輝く時代!
- 後半になると苦悩の描写が目立ち始める
- 女性たちの生活を垣間見れるのも「源氏物語」の魅力
- 「源氏物語」の背景にあるのは藤原道長の摂関政治
- 「源氏物語」は道長による摂関政治のドキュメンタリー的要素も
- 「源氏物語」は天皇制にあこがれる気持ちがこめられている
- 「源氏物語」の舞台となるのは平安京
- 登場人物たちが暮らすのは平安京
- 「源氏物語」に投影されているのは平安京のイメージ
- 光源氏のモデルは歴史的人物の可能性が!
- 光源氏の色男ぶりのモデルは在原業平?
- 醍醐天皇の皇子である村上天皇とする説も
- 「源氏物語」の執筆過程には多くの謎が残されている
- 作品の一部は別人が書いたとする説が
- 長編小説ゆえのスタイルの変化とする見方が有力
- 「源氏物語」から見えるのは藤原道長の時代と宮中の人々の思い
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。「源氏物語」が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。「源氏物語」は、政治や行政の視点から見てもとても面白い作品。そこで、平安時代の歴史的背景とあわせて、「源氏物語」の記事をまとめた。
「源氏物語」が書かれた時期は?文化史における位置づけは?

「源氏物語」が成立したのは平安時代の中期。いつごろ書き始められたのかは、はっきりとは分かりません。おおよそ1008年にはある程度の作品が完成していたと推測されています。「源氏物語」は54帖からなる長編小説。日本はもちろん世界でも最も古い小説であると言われています。
「源氏物語」が成立したのは1008年ごろ
「源氏物語」が成立する時期は、平安時代の中期とされるものの、具体的な年代は不明。現在のように出版年月日はありません。紙に書かれた作品が口コミなどで広まり存在が認知。そのタイミングしか私たちは知ることができません。
他の文献にはじめて「源氏物語」らしきものの存在が記されたのが「紫式部日記」。それを根拠に1008年に成立したと推測されました。ただ、作品がどの程度できあがっていたのかを読みとることはできません。
こちらの記事もおすすめ
世界最古の長編小説!?どのように書かれたの?
日本の文化史を学ぶとき「源氏物語」は日本で最古の長編小説と紹介されることが多いのでは。「源氏物語」は世界的にみても最も古い長編小説。海外ではシェイクスピアと比較されることもあるそうです。
ここで気になるのが「源氏物語」が書かれた期間。3~4年のあいだに一気に書き上げたとする説と、長い時間をかけて書かれたとする説があります。
一気に書き上げたとする説は、非常に長い小説でありながら登場人物の関係性にほとんど矛盾がないことが根拠です。
長期間説は「源氏物語」のスタイルの変化に注目。後半になると作品の雰囲気が変わるのは、ある程度の執筆期間があるからと考えています。

いまのように印刷で出版するわけではないからな!世間にひろまってはじめて、その作品が存在したことになる。「源氏物語」は読者が多かったから、今の時代に語りつがれたんだ。そう考えると、知られることのないまま消えていった他の傑作がたくさんあるとも考えられる。
「源氏物語」があらわすのは紫式部の家系の特徴

「源氏物語」の作者である紫式部は、貴族のなかでは中級クラスの出身。それをものともせず、宮中で才能を開花させていきます。彼女の執筆活動は、当時の権力者である藤原道長により支援をうけてさらに充実することに。
「源氏物語」には、豊かな教養や最新の知識が随所にちりばめられています。紫式部の家系には学者が多数。彼女自身も高い教養を備えていたことが分かります。
紫式部の家系にはどんな特徴がある?
紫式部の父親が藤原為時。彼の官位は正五位下。貴族のなかでは決して高い地位にあるとはいえません。とはいえ、漢詩や歌に優れていたことから、花山天皇の家庭教師としての役割を担っていました。
藤原為時の祖父にあたるのが藤原兼輔。小倉百人一首には、中納言兼輔という名前で歌が選出されました。その学識が高く評価され、醍醐天皇の側近として順調に出世しました。
紫式部は、かつては天皇の側近として重用された家系の生まれ。男性にだけ許されていた漢語の知識や、優れた歌を詠むための教養を持つことができました。最新の知識とのふれあいもまた、「源氏物語」の読者の楽しみとなったのです。
藤原道長の娘の家庭教師であったことにも大きな意味が
彼女の能力は高く評価され、藤原道長の娘である中宮彰子の家庭教師となります。この立場が「源氏物語」の成立を後押しすることに。紙と筆は非常に高価なもの。藤原道長の援助があったからこそ紫式部は書き続けることができたのです。
また、「源氏物語」が広く読まれるようになったのは、中宮彰子をとりまく女官のネットワークがあったから。中宮彰子を介して作品の口コミがひろがり認知されるようになりました。たくさんの人を魅了したことで「書き写し」をする人が続出。それにより「源氏物語」が後世に残ったのです。

紫式部は、藤原道長のサポートで「源氏物語」を書いていた。でも彼女の家系の歴史を考えると、複雑な想いもあっただろう。きっと、醍醐天皇につかえた曽祖父の時代が紫式部の誇りだったんだ。それが漢学など最新の知識を学ぶ原動力になったのだと思う。
\次のページで「「源氏物語」の主人公は光源氏!とりまく女性たちの位置づけは?」を解説!/