日本史

「源氏物語」を元大学教員が解説!平安時代の政治が見える?舞台は?光源氏のモデルは誰?5分でわかる源氏物語

よぉ、桜木建二だ。平安時代を代表する作品と言えば「源氏物語」。作者は紫式部だ。当時、摂関政治で権力を持った藤原道長のバックアップにより書かれたと言われている。「源氏物語」は、主人公の光源氏の女性遍歴を描いていることで有名だがそれだけじゃない。平安時代の政治や生活を知ることができる作品でもあるんだ。

それじゃ、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。「源氏物語」が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。「源氏物語」は、政治や行政の視点から見てもとても面白い作品。そこで、平安時代の歴史的背景とあわせて、「源氏物語」の記事をまとめた。

「源氏物語」が書かれた時期は?文化史における位置づけは?

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「源氏物語」が成立したのは平安時代の中期。いつごろ書き始められたのかは、はっきりとは分かりません。おおよそ1008年にはある程度の作品が完成していたと推測されています。「源氏物語」は54帖からなる長編小説。日本はもちろん世界でも最も古い小説であると言われています。

「源氏物語」が成立したのは1008年ごろ

「源氏物語」が成立する時期は、平安時代の中期とされるものの、具体的な年代は不明。現在のように出版年月日はありません。紙に書かれた作品が口コミなどで広まり存在が認知。そのタイミングしか私たちは知ることができません。

他の文献にはじめて「源氏物語」らしきものの存在が記されたのが「紫式部日記」。それを根拠に1008年に成立したと推測されました。ただ、作品がどの程度できあがっていたのかを読みとることはできません。

世界最古の長編小説!?どのように書かれたの?

日本の文化史を学ぶとき「源氏物語」は日本で最古の長編小説と紹介されることが多いのでは。「源氏物語」は世界的にみても最も古い長編小説。海外ではシェイクスピアと比較されることもあるそうです。

ここで気になるのが「源氏物語」が書かれた期間。3~4年のあいだに一気に書き上げたとする説と、長い時間をかけて書かれたとする説があります。

一気に書き上げたとする説は、非常に長い小説でありながら登場人物の関係性にほとんど矛盾がないことが根拠です。

長期間説は「源氏物語」のスタイルの変化に注目。後半になると作品の雰囲気が変わるのは、ある程度の執筆期間があるからと考えています。

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いまのように印刷で出版するわけではないからな!世間にひろまってはじめて、その作品が存在したことになる。「源氏物語」は読者が多かったから、今の時代に語りつがれたんだ。そう考えると、知られることのないまま消えていった他の傑作がたくさんあるとも考えられる。

「源氏物語」があらわすのは紫式部の家系の特徴

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「源氏物語」の作者である紫式部は、貴族のなかでは中級クラスの出身。それをものともせず、宮中で才能を開花させていきます。彼女の執筆活動は、当時の権力者である藤原道長により支援をうけてさらに充実することに。

「源氏物語」には、豊かな教養や最新の知識が随所にちりばめられています。紫式部の家系には学者が多数。彼女自身も高い教養を備えていたことが分かります。

紫式部の家系にはどんな特徴がある?

紫式部の父親が藤原為時。彼の官位は正五位下。貴族のなかでは決して高い地位にあるとはいえません。とはいえ、漢詩や歌に優れていたことから、花山天皇の家庭教師としての役割を担っていました。

藤原為時の祖父にあたるのが藤原兼輔。小倉百人一首には、中納言兼輔という名前で歌が選出されました。その学識が高く評価され、醍醐天皇の側近として順調に出世しました。

紫式部は、かつては天皇の側近として重用された家系の生まれ。男性にだけ許されていた漢語の知識や、優れた歌を詠むための教養を持つことができました。最新の知識とのふれあいもまた、「源氏物語」の読者の楽しみとなったのです。

藤原道長の娘の家庭教師であったことにも大きな意味が

彼女の能力は高く評価され、藤原道長の娘である中宮彰子の家庭教師となります。この立場が「源氏物語」の成立を後押しすることに。紙と筆は非常に高価なもの。藤原道長の援助があったからこそ紫式部は書き続けることができたのです。

また、「源氏物語」が広く読まれるようになったのは、中宮彰子をとりまく女官のネットワークがあったから。中宮彰子を介して作品の口コミがひろがり認知されるようになりました。たくさんの人を魅了したことで「書き写し」をする人が続出。それにより「源氏物語」が後世に残ったのです。

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紫式部は、藤原道長のサポートで「源氏物語」を書いていた。でも彼女の家系の歴史を考えると、複雑な想いもあっただろう。きっと、醍醐天皇につかえた曽祖父の時代が紫式部の誇りだったんだ。それが漢学など最新の知識を学ぶ原動力になったのだと思う。

「源氏物語」の主人公は光源氏!とりまく女性たちの位置づけは?

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「源氏物語」は、おおむね3つのパートに分けられます。ひとつめのパートが光源氏が生まれてから栄光を手にするまで。次のパートが光源氏の老いと苦悩そして死。3つめのパートが光源氏の死後を生きる息子たちの世代の世界です。

「源氏物語」の前半は光源氏がもっとも輝く時代!

光源氏の恋愛遍歴につきまとい続けるのが母親のおもかげ。桐壷帝の妻であった母は、光源氏を生んだあと早くに亡くなりました。そののち光源氏は、父の後妻である藤壺に想いを抱くように。藤壺は光源氏の子を懐妊するものの、父桐壷帝の子供として育てられました。

その後、年上の女性である葵の上と結婚。しかし、心が通い合わない葵の上をよそに、彼は他の女性と次々と関係をもちます。光源氏が自信に満ちあふれ、女性を口説きまくるころ。彼がもっとも美しく、輝いていた時期となります。

後半になると苦悩の描写が目立ち始める

しかし「源氏物語」は、後半になると光源氏の苦悩にフォーカスをあてるように。

紫の上を強引に連れ去った光源氏は、彼女を理想の女性へと成長させて正妻格に。朱雀院が娘の女三宮と光源氏を結婚させると、紫の上はショックをうけて体調をくずします。一方、女三宮は若い貴族と関係もったのち子供を産むという結末に。

光源氏の苦悩に追い打ちをかけるのが紫の上の死去。自分の老いとこれまでの行いに苦しみながら、光源氏はその生涯を閉じます。

そして、女三宮が生んだ子供である薫を中心にストーリーが展開。光源氏と同じように女性遍歴をくりかえすものの、葵の心は暗く漠然とした不安を感じさせるものでした。

女性たちの生活を垣間見れるのも「源氏物語」の魅力

光源氏以上に存在感を放つ登場人物が彼と関係をもつ女性たちです。藤壺は、光源氏が最初に愛する女性で、彼の理想としてあり続けました。

光源氏の正妻になるものの、心が通い合うことがなかった葵の上。紫の上は、藤壺のおもかげを残す理想化された女性です。しかし最後まで正妻となることはなく、それが彼女の寂しげなキャラクターに投影されました。

光源氏の愛を得られないことから「もののけ」となる六条御息所。容姿がひどく悪いが光源氏を一途に愛する末摘花。このような個性ゆたかな女性たちが「源氏物語」に彩りをあたえました。

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多くの人の光源氏のイメージは「源氏物語」の前半なんだな。でも、光源氏が年をとり、自分の行いや老いに悩む姿も魅力的だ。光源氏の栄光の時代を懐かしむ葵は、醍醐天皇の時代を想う紫式部と重なりあう気がする。

「源氏物語」の背景にあるのは藤原道長の摂関政治

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「源氏物語」を特徴づけるのは、主人公である光源氏の恋愛遍歴。それがこの作品の魅力となっています。ただ、この恋愛遍歴は単なるラブストーリーとは事情が異なる点が。

平安時代は摂関家の時代。摂関家の権力は、藤原家の娘たちが天皇家と婚姻関係をむすぶことで強まりました。光源氏の恋愛遍歴は、当時の摂関政治の縮図として読むこともできるのです。

「源氏物語」は道長による摂関政治のドキュメンタリー的要素も

摂関政治とは、藤原氏の一族が天皇の外戚として権力をにぎる政治形態のこと。平安時代を特徴づける政治のかたちです。

もともと天皇が幼かったり病弱だったりすると、代わりに政治を代行する習慣が。しかし、天皇家から選ぶことが原則でした。それが一転、866年の藤原良房の任命から白河上皇による院政が確立までの220年のあいだ、藤原摂関家の時代となります。

「源氏物語」の作者である紫式部は、摂関政治をとくに勢いづけた藤原道長の時代を生きた人物。道長の娘の家庭教師をつとめるなど、2人の関係は密接なものでした。

摂関家を繁栄させるための政略結婚を、まさにリアルタイムで見てきたのが紫式部。光源氏の恋愛遍歴は、藤原摂関政治のドキュメンタリーとして受け取られていた一面もあります。

「源氏物語」は天皇制にあこがれる気持ちがこめられている

「源氏物語」のはじまりを告げるフレーズが「いずれの御時にか」。この「御時」がどの時期をさすのかは明記されていません。諸説ありますが、桐壷帝のモデルは醍醐天皇であるという見方が有力です。

桐藤原道長の時代、天皇が政治をつかさどった時代を懐かしむ人たちがそれなりにいました。とくに理想されたのが醍醐天皇。当時は失われていた天皇による直接支配の時代を「源氏物語」のなかで取り戻そうとしました。

また醍醐天皇は、紫式部の曽祖父である藤原兼輔が仕えた天皇。紫式部にとって、醍醐天皇は自分の家の栄光をあらわす存在でした。そこから、光源氏が最も輝く時代と醍醐天皇の時代を重ねることは自然な流れでした。

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「源氏物語」は、いま俺たちが読むと高級なフィクションだと感じる。だが平安時代の読者はどうだろう。リアルタイムの生々しい出来事を描いていると受け取っていたのではないか?小説よりもドキュメンタリー、もっと言えばワイドショーに近かった可能性があるぞ!

「源氏物語」の舞台となるのは平安京

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「源氏物語」に登場する人々が住んでいたのが平安京。登場人物が住んでいる家や出会う場所は、当時の平安京の設計と重なり合うものでした。そのため、「源氏物語」を読んでいた同時の人たちは、作中にでてくる場所のイメージを実際の平安京からつくりあげていました。

登場人物たちが暮らすのは平安京

794年、桓武天皇による遷都をうけてつくられたのが平安京。当時の唐の首都であった長安城を参考に計画的に設計されたエリアです。もともとの都は長岡京でした。あいつぐ天災や不幸をうけて遷都を決断するに至ります。

平安京があったのは現在の京都市街に相当するところ。京都市街の網の目状の区画は、平安京の名残とされています。平安京は、現在の京都市街よりもずっと小さい広さ。そんな平安京のなかを、女性と関係もつために動き回るのが光源氏というわけです。

「源氏物語」に投影されているのは平安京のイメージ

作中で描かれる平安京はかなり具体的。光源氏の愛を拒み続ける空蝉が住んでいた中川付近は、紫式部の実家があった場所です。「もののけ」となる六条御息所の家があった場所に建てたのが六条院。幽霊がでると恐れられていたスポットに位置づけられました。

また、中流貴族である夕顔と出会う五条は庶民が集まるところ。光源氏をはじめとする上流貴族たちが住んでいたのが二条城。天皇の居住地である大内裏の近くにあるエリアです。

紫式部は、実際の平安京に存在していた階級の違いや貧富の差などを平安京の描写をつうじて表現。当時の貴族たちは、光源氏と女性たちの物語を、自分たちが住む平安京に照らし合わせながら読んでいました。

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まさに平安時代の貴族が実際に住んでいた場所が「源氏物語」の舞台だったというわけだ。どのような場所で光源氏があいびきをしていたのか、当時の読者は俺たち以上に具体的に理解して楽しんでいたのだろう。

光源氏のモデルは歴史的人物の可能性が!

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光源氏は平安時代の女性の読者をとりこにした絶世の美男子。もちろん紫式部による想像上の人物です。ただ、光源氏のキャラクターをつくるうえで参考にした人物はかなりたくさんいるとのこと。なかでも有名なモデルが、在原業平、菅原道真、村上天皇、藤原道長です。

光源氏の色男ぶりのモデルは在原業平?

光源氏のモデルとして有力視されているのが在原業平。平城天皇の孫にあたる人物です。業平の人生を描いているとされるのが「伊勢物語」。このなかで、恋人の女性が清和天皇に入内したことにショックをうけ、赴任先の関東であらゆる階級や年齢の女性と関係をもつ男性が描かれています。

在原業平らしき男性が関係をもつのは、天皇妃、斎宮、人妻、さらには老婆とかなりの広範囲。「伊勢物語」は平安時代初期に成立した歌物語。「源氏物語」のなかでも紹介されました。紫式部は「伊勢物語」を読んでおり、参考にしたと考えられます。

醍醐天皇の皇子である村上天皇とする説も

紫式部が理想としたのが醍醐天皇のころ。そこから、醍醐天皇の息子である村上天皇が光源氏のモデルと考えることもできます。関白をつとめていた外戚の藤原忠平が亡くなったあと、村上天皇は自ら政治をつかさどることを試みました。

彼の時代は「天暦の聖代」と呼ばれ、父親である醍醐天皇の「延喜の聖代」と並んで高く評価されていました。醍醐天皇とおなじく村上天皇もまた多くの女性を擁していたことで有名。そのひとりに六条御息所のモデルとされる女性がふくまれるなど、光源氏との関連性を感じさせます。

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主人公の光源氏は、平安時代の有名人のいろいろなパーツをくみあわせて作った最強の色男だったのか。光源氏の女性の口説き文句は、当時の有名人が実際につかっていたセリフかもしれないな。

「源氏物語」の執筆過程には多くの謎が残されている

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「源氏物語」は平安時代を代表する作品ですが、作者の紫式部の執筆過程をめぐり、いろいろな議論が交わされています。世界最古の長編小説である「源氏物語」。どうしてこれほどまでの作品が書けたのか、説明がつかないところも多々あるからです。

作品の一部は別人が書いたとする説が

「源氏物語」をめぐる謎のひとつがスタイルの変化。長いあいだ小説を書いていると、その過程でスタイルが変わることは珍しくありません。ただ「源氏物語」の場合、後半になると雰囲気が一気に暗くなり、同じ人物が書いたの?と思うほどです。

そこで出てきたのが作者別人説や複数説。これだけの作品を当時の女性がひとりで書くのは不可能とする考えから生まれました。「源氏物語」は、読んだ人による「書き写し」により残った作品。「書き写し」の過程で、徐々に調整されていった可能性は十分にあります。

長編小説ゆえのスタイルの変化とする見方が有力

「源氏物語」は、段階的に手が加えられた可能性があるものの、紫式部を作者とする見方が有力です。長期にわたって「源氏物語」を書くなか、栄華をほこった藤原摂関政治のほころびが見えはじめ、紫式部自身も年老いていきました。当然、光源氏を中心とするストーリーに対する考え方も変わることに。

とくに注目されるのが執筆中にあったブランク。「源氏物語」の前半を書いたあと、かなりの時間のブランクがあり、それがスタイルの変化につながったとする見方が。また、紫式部は心が不安定になりやすい傾向があり、それが影響しているという考えもあります。

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ここで大事なのは、紫式部が書いたかどうかではない。紫式部が「源氏物語」の大部分をつくり、平安時代の「書き写し」の文化で進化した。今の出版の方法とはまったく違う平安時代の読み物の文化のなかで「源氏物語」が成立したことが大切なんだな。

「源氏物語」から見えるのは藤原道長の時代と宮中の人々の思い

「源氏物語」は、藤原道長の摂関政治の全盛期に書かれた長編小説。平安時代の政治や貴族の生活などが巧みに描写されました。また、摂関家による政治が確立して天皇の存在感がうすらぐなか、天皇支配の時代をなつかしむ当時の貴族の想いもこめられています。

平安時代の政治の現実と貴族の心の機微の両方を読みとることができるのが「源氏物語」。単なる小説としてではなく、平安時代の歴史と心理を学ぶための生きた教材として位置づけることができる作品なのです。

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