日本史歴史飛鳥時代

大和朝廷が誕生した「飛鳥時代」を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

近畿地方に大和朝廷が誕生したのが飛鳥時代。社会構造が発展した弥生時代と古墳時代を経て、いよいよ天皇家の誕生です。

今回は歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。せっかく弥生時代まで調べたのだから、このまま古代日本の歴史を制覇したい!そういうことで、引き続き古き日本を解説していく。

地域国家から連合国家、そして大国へ

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古墳の集合地帯、近畿

日本各地に分布する古墳。さまざまな形をしていますが、近くで眺めると掘りに囲まれた森があるだけのように見えますね。でも、飛行機なんかで空の上から見ると、丸や四角、あるいは鍵穴のような形をしているのが確認できます。これらはそれぞれ円墳、方墳、そして前方後円墳といいました。

日本史で必ず習うのが、大阪府堺市の大仙古墳ですね。実は世界最大級の古墳なんです。仁徳天皇のお墓とされていますが、宮内庁から調査の許可が一度も下りたことがないため、本当のところはわかりません。

古墳は偉い人が入るお墓、つまり、権力の象徴でもあります。そして、大仙古墳をはじめとした多くの古墳が集中しているのが近畿地方でした。多くの権力者がいるということは、そこに大規模な国家があったことを示しています。

大和朝廷の誕生

大和朝廷成立の過程ははっきりとはわかりません。いくつもの地方国家が連合して大和朝廷になったと考えられ、その勢力は近畿を中心にして東北から九州にまでおよびます。大和朝廷のトップはもちろん天皇なのですが、成立当初は大王(おおきみ)と呼ばれていました。

ところで、このころ中国で力を持っていた宋に大和朝廷は貢物をしています。強い影響力を持った国に貢物を献上することを「朝貢」といい朝貢することで大国(今回の場合は宋)を宗主国、自国をその属国としました。なぜこんな不平等な関係をわざわざ築くのかと言うと、もしよその国と険悪になっても「うち(属国)に手を出したら親分(宗主国)が黙っていないぞ!」という風に、諸外国への牽制として絶大な効果を持っていたからです。

大和朝廷もまたその例にもれず宋に朝貢した五人の大王の記録が残されていました。そのままストレートに「倭の五王」と呼ばれます。しかし、これが「○○天皇」みたいな名前で残っているのではなく、宋に合わせてそれぞれ「讃、珍、済、興、武」と書かれていました。どれがどの大王かという推測はされていますが、確定ではありません。

摂政・聖徳太子のまつりごと

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