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農民王として慕われたイギリス「ジョージ3世」の生涯を歴女が5分で解説!

3-2 末妹キャロラインのスキャンダル

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By フランシス・コーツ – alexander palace forums, パブリック・ドメイン, Link

ジョージを悩ませたのは弟ばかりではありませんでした。なんと末の妹キャロラインがデンマーク国王付きの医師ストルーエンセと不倫。そして権力を握ったストルーエンセはクリスチャン7世の名を借りて、高官の罷免や数々の改革を行うことに。ところが宮廷内のクーデターでストルーエンセは逮捕。キャロラインも捕まり、クロンボー城へ幽閉。ちなみにこの結婚は兄ジョージ3世が勧めたものでした。彼は妹を救うために仲裁に入り、キャロラインはハノーヴァー選帝侯のツェレ城で余生を過ごすことに。彼女は23歳の若さで病に倒れ亡くなりました。

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3-3 放蕩息子、ジョージ4世との確執

ジョージ3世には15人の子どもに恵まれますが、彼らは次々と問題を起こします。勝手に貴賤結婚した者は3人。女性問題のスキャンダルや贈収賄事件、暴行事件など問題行動は数知れず。中でもジョージ3世の後継者、王太子ジョージ(後のジョージ4世)は最も厄介な人物でした。カトリック信者との結婚が認められていないにも関わらず、23歳の王太子は未亡人のカトリック信者の女性とこっそりと結婚することに。しかしジョージ3世にばれ、王室結婚令にも違反したため結婚は無効。結婚問題の他にも浪費家だった王太子は借金がみるみる膨らみ、父を悩ませることに。

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3-4 父の死を願った息子

浪費家の王太子ジョージは、もっと自由に使えるお金が欲しいと考えていた最中に、ジョージ3世が病に倒れました。この隙をつき摂政となって政治や富を得ようとした王太子。議会に摂政法案を出しましたが、なんと父ジョージ3世が予想より早く回復して復帰。そこで父は息子が自分を王座から追いやろうとしたことを知ることに。こうして歴代のハノーヴァー家と同様に、ジョージ3世も親子同士が憎み合うようになったのでした。

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3-5 遺伝性の病に悩まされたジョージ

60年もの長い間イギリスに君臨したジョージ3世。しかし彼の体を病気が蝕んでいくことに。実はジョージ3世は、遺伝性の血液の病に悩まされていたのです。現在では急性ポルフィリン症だったのではないのかと言われています。この病気の症状は、頭痛や腹痛、不眠、鬱など。そして重症となると、呼吸困難で死に至る病。彼が初めて発症したのは26歳でした。当時の医学では原因が分からなかったため、悪魔に取りつかれたのだと信じられていました。そして治療は瀉血(悪い血を抜けば万事良くなると信じられていた)や鞭打ちなど。

そして次第に症状は悪化し、1810年に最愛の愛娘が貴賤結婚後に病死したのが引き金となって彼は廃人へ。元来のまじめな気質がそうさせたのでしょうか。ジョージ3世の最期はとても気の毒ですね。

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激動の時代を生き、晩年は廃人となったイギリス国王

自身の祖先はドイツの1貴族だったジョージ3世。そしてハノーヴァー家は風変りな一族としても有名で、親子関係やスキャンダルが多い一族でもありました。そんな中、愛人を作らず、品行方正でイギリスの国益となることを考えて行動したジョージ3世。しかしそんなまじめな王は、遺伝性の病気に長い間苦しめられることに。また自身の兄弟や子どもたちのスキャンダルや、継承者のジョージ4世との確執にも苦しむことになったジョージ3世。最期は廃人となって静かに生涯を閉じることに。

イギリスが多くの富を手にし、繁栄がもたらされた裏側にはジョージ3世の苦難の歴史があったのですね。そんなジョージ3世はイギリス国民からは、親しみを込めて「農民ジョージ」と敬愛されることに。彼の生前も死後もイギリス国民から慕われています。

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totocco0630