今回は、イギリス国王のジョージ3世についてです。

ジョージ3世はイギリス生まれ、イギリス育ちの国王で3つの農園を持ってたため「農民ジョージ」と親しまれていたんです。

今回はそんなジョージ3世の生涯を歴女のまぁこと一緒に解説していきます。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。ヨーロッパ各国の王室に興味があり、最近はイギリス王室にまつわる書物を愛読中!今回は60年にわたりイギリスに君臨したハノーヴァー家出身のジョージ3世の生涯について解説していく。

1 農民王と慕われたイギリス王

image by iStockphoto

ジョージ3世は18世紀に生まれたイギリス国王。これまでのハノーヴァー家のイギリス国王は度重なるスキャンダラスな人物が多かったのですが、ジョージはこれまでの国王たちと違いました。そしてジョージ3世は生前から死後も国民からの人気が高い人物。それでは彼がどんな人物だったのか詳しく見ていきましょう。

1-1 イギリス生まれ、イギリス育ちの王

King George III by Sir William Beechey (2).jpg
By Workshop of ウィリアム・ビーチー - one or more third parties have made copyright claims against Wikimedia Commons in relation to the work from which this is sourced or a purely mechanical reproduction thereof. This may be due to recognition of the "sweat of the brow" doctrine, allowing works to be eligible for protection through skill and labour, and not purely by originality as is the case in the United States (where this website is hosted). These claims may or may not be valid in all jurisdictions. As such, use of this image in the jurisdiction of the claimant or other countries may be regarded as copyright infringement. Please see Commons:When to use the PD-Art tag for more information., パブリック・ドメイン, Link

ジョージ3世は1728年に、王太子フレデリック・ルイスの長男として誕生。これまでのハノーヴァー家のイギリス国王は、女性関係が絶えることなく庶子も多くいるのが当たり前。そして父が息子をいじめるのが伝統のように代々それが続いていました。しかしジョージ3世は、歴代の王たちと違い、とてもまじめな性格。読書家であり豪遊せず節約家でもあったジョージ。多くのイギリス国民のように庭いじりを趣味としていたジョージ。個人で3つの農場を持っており、散歩で出会った庶民に気さくに声をかける姿から、「農民ジョージ」と親しまれることに。

1-2 母からの英才教育

ジョージ3世は母から帝王学を受けました。母はドイツ貴族出身。母はジョージに絶対君主となるように望みました。そして22歳の時に即位。即位した後の演説では、「朕はイギリス人であることを誇りに思う」というセリフがとても有名ですよね。即位した当初は積極的に政治に介入する姿勢を取ったジョージ。ところが議会側はそれを疎ましく感じるように。というのも、ジョージ3世やその側近らには政治能力がなかったため。その結果が後に証明されます。

1-3 アメリカ独立戦争のきっかけを作ったジョージ3世

ジョージ3世はイギリス繁栄のため、北米の植民地へ新たに税金をかけることに。ところがこれがアメリカ独立戦争のきっかけとなりました。ちなみに植民地ではジェファソン起草の「アメリカ独立宣言」でジョージ3世の悪政を非難する内容が書かれる始末。議会においてその責任を問われたジョージ。このため、それ以後は積極的な政治介入を止め、首相に小ピットを任命。議会に政治を委ねました。

1-4 ターナーの「奴隷船」

ターナーの油彩画『奴隷船』。嵐の空に太陽が輝き、航行する船に横から大きな波が襲いかかっている。前景の海面には奴隷が溺れたり大きな魚に食われたりする様子が描かれている。
By ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー - Museum of Fine Arts, Boston, パブリック・ドメイン, Link

イギリスの水彩画の巨匠、ターナーが描いた「奴隷船」。空は怪しい色に染まり、海は波がうねっています。そんな荒ぶる海上を航行する一隻の船。今にも波に飲み込まれ転覆しそうな様子が伝わってきますね。そして手前の波をよく見ると、海面からいくつもの手が助けを求めるかのように伸びているのが分かります。

この絵は、実際に起こったゾング号の事件をモチーフにしたもの。ゾング号の事件とは、船内に400名を超える奴隷を積み込んだ船内で疫病が蔓延。船長は140名を超える死人や病人を次々海へ放り出すことに。しかしその多くが生きたまま、しかも逃走しないように鉄鎖を付けられたままでした。

\次のページで「1-5 イギリスの光と闇」を解説!/

1-5 イギリスの光と闇

当時のイギリスは三角貿易で繁栄を築きました。イギリスからは武器をアフリカ西海岸へ。アフリカ西海岸からは奴隷を仕入れ、カリブの島々へプランテーションに高額で売り、カリブの島々からは砂糖やタバコなどをイギリスへ。こうしてイギリスは莫大な利益を上げることに。そしてこの奴隷貿易の実態は、イギリス国民があまり知ることはなかったそう。それは奴隷らがイギリス国内で労働力として使われることがほぼなかったため。イギリスの繁栄の裏には、こうした非人道的な貿易によって成り立っていたのですね。こうしてイギリスは三角貿易によって多くの富を手にし、この富を元に産業革命へと進みました。

1-6 アイルランドが併合

ジョージ3世が即位して60年余り。彼の治世の間には多くの戦争があり、世界は著しい変化を遂げていました。アメリカの植民地では、ジョージの干渉が原因で独立戦争が勃発。フランスでは、絶対王政を敷いていたルイ16世が王妃マリー・アントワネットと共に処刑されることに。フランス革命によって亡命した貴族が亡命先となったのはイギリスでした。その後登場したナポレオンによって各国がナポレオン戦争に巻き込まれていくことに。イギリスにとって難しい外交となりました。

しかし国内では1801年にはグレートブリテン及びアイルランド連合が発足し、ジョージは連合王国の初代国王となることに。現在使われているイギリスのユニオンフラッグはこの時にできたデザインをずっと使っているのですね。ちなみにグレートブリテン及びアイルランド連合王国となる前の正式な国名は、大ブリテン王国。これはステュアート朝のアン女王の時代に成し遂げられました。

2 ステュアート朝からハノーヴァー朝へ

ジョージ3世のルーツは、ドイツのハノーヴァーでした。ハノーヴァー家とは一体どんなものだったのでしょうか。ここではイギリスのステュアート朝からハノーヴァー朝へ変わった経緯について解説していきます。

2-1 ドイツからやってきた王室

ジョージ3世はハノーヴァー家出身でした。ハノーヴァー家とは、ドイツの田舎の一貴族にすぎない家柄。しかしステュアート朝のアン女王に子どもがいなかったため、次の後継者にプロテスタントでドイツのハノーヴァー家に嫁いだゾフィが候補となることに。アンとゾフィは遠縁の関係でした。ところがアン女王が亡くなる直前にゾフィは死去。そこで彼女の息子、長男のゲオルクが選帝侯を兼ねたまま、イギリス国王となることに。

\次のページで「2-2 家族との仲が悪かったジョージ1世」を解説!/

2-2 家族との仲が悪かったジョージ1世

血縁関係からイギリス国王の冠を被ることになったのはゲオルク改め、ジョージ1世。これはゲオルクをイギリス読みにすると、ジョージになることから。他にも英語読みではピーターがロシアではペテロなど、同じ語源だけれども読み方が国によって異なることがありますよね。

さて、イギリス国王となったジョージでしたが、一年の多くをハノーヴァーで暮らすことに。イギリスへは短期間滞在する程度で、政治は臣下に任せていました。こうしてジョージ1世の時代に立憲君主制が確立するように。

ところでイギリス国民からのジョージ1世の人気はどうもよくなかったよう。それは、ジョージが家族と不仲で前評判がよくなかったため。彼の美しい妻、ゾフィア・ドロテアを30年以上にも亘り幽閉したり息子と長きにわたり対立したり。またジョージ1世で有名な話は彼の愛人の話。ジョージは美女ではなく、痩せた不美人を愛妾にしていました。彼女たちはドイツでは案山子と言われ、イギリスではメイポールと言われることに。

2-3 ジョージ3世の妃は黒人?

Queen-charlotte-1744-1818.jpg
By Studio of ジョシュア・レノルズ - https://ryanphunter.wordpress.com/2015/10/11/an-unforgettable-royal-audience-john-adams-meets-king-george-iii-on-june-1-1785/, パブリック・ドメイン, Link

ジョージ1世の後の王たちは相変わらず親子の仲が悪く、多くの愛人を持ち、スキャンダルに事欠かない人物ばかりでした。しかしジョージ3世は歴代の国王たちとは違い、妻を大切にしていました。妻はドイツ出身のシャーロット・オブ・メクレンバーグ⁼ストレリッツ。2人は愛情をこめて子どもたちを育てますが、彼らは多くの問題を起こすことに。

ちなみにこのシャーロット王妃ですが、黒人の血を引いていたと言われています。彼女はドイツ生まれですが、もとはポーランド王家の人物。彼女の祖先にはアフリカ系のムーア人の血が流れているそう。2018年にイギリスのヘンリー王子がメーガン妃と結婚し初の黒人プリンセスかと思われましたが、実はジョージ3世の妃シャーロットが初ということになりますね。

3 スキャンダラスな国王の身内たち

読書が趣味でまじめな性格のジョージ3世でしたが、彼を悩ませたのは兄弟や子どもたちの不祥事でした。まじめで質素な生活を好んだジョージでしたが、次第に彼は不治の病に苦しむことに。ここではイギリス王室のプライベートについて詳しく見ていきましょう。

3-1 貴賤結婚してしまった弟たち

ジョージ3世を悩ませた問題に、弟たちの貴賤結婚が挙げられます。ジョージには弟が4人おり、そのうち2人がなんと貴賤結婚をしてしまうことに。貴賤結婚してしまうと、弟たちの子どもには王位継承権がありません。そのため王位継承者が減ってしまう事態に。これを重くみたジョージは、1772年に王室結婚令を出しました。これは、25歳未満の王族の結婚には国王の許可がいるというもの。この法令によって王位継承者の減少を食い止めようとしたのですね。

\次のページで「3-2 末妹キャロラインのスキャンダル」を解説!/

3-2 末妹キャロラインのスキャンダル

Caroline-Mathildeofwales denmark.jpg
By フランシス・コーツ - alexander palace forums, パブリック・ドメイン, Link

ジョージを悩ませたのは弟ばかりではありませんでした。なんと末の妹キャロラインがデンマーク国王付きの医師ストルーエンセと不倫。そして権力を握ったストルーエンセはクリスチャン7世の名を借りて、高官の罷免や数々の改革を行うことに。ところが宮廷内のクーデターでストルーエンセは逮捕。キャロラインも捕まり、クロンボー城へ幽閉。ちなみにこの結婚は兄ジョージ3世が勧めたものでした。彼は妹を救うために仲裁に入り、キャロラインはハノーヴァー選帝侯のツェレ城で余生を過ごすことに。彼女は23歳の若さで病に倒れ亡くなりました。

3-3 放蕩息子、ジョージ4世との確執

ジョージ3世には15人の子どもに恵まれますが、彼らは次々と問題を起こします。勝手に貴賤結婚した者は3人。女性問題のスキャンダルや贈収賄事件、暴行事件など問題行動は数知れず。中でもジョージ3世の後継者、王太子ジョージ(後のジョージ4世)は最も厄介な人物でした。カトリック信者との結婚が認められていないにも関わらず、23歳の王太子は未亡人のカトリック信者の女性とこっそりと結婚することに。しかしジョージ3世にばれ、王室結婚令にも違反したため結婚は無効。結婚問題の他にも浪費家だった王太子は借金がみるみる膨らみ、父を悩ませることに。

3-4 父の死を願った息子

浪費家の王太子ジョージは、もっと自由に使えるお金が欲しいと考えていた最中に、ジョージ3世が病に倒れました。この隙をつき摂政となって政治や富を得ようとした王太子。議会に摂政法案を出しましたが、なんと父ジョージ3世が予想より早く回復して復帰。そこで父は息子が自分を王座から追いやろうとしたことを知ることに。こうして歴代のハノーヴァー家と同様に、ジョージ3世も親子同士が憎み合うようになったのでした。

3-5 遺伝性の病に悩まされたジョージ

60年もの長い間イギリスに君臨したジョージ3世。しかし彼の体を病気が蝕んでいくことに。実はジョージ3世は、遺伝性の血液の病に悩まされていたのです。現在では急性ポルフィリン症だったのではないのかと言われています。この病気の症状は、頭痛や腹痛、不眠、鬱など。そして重症となると、呼吸困難で死に至る病。彼が初めて発症したのは26歳でした。当時の医学では原因が分からなかったため、悪魔に取りつかれたのだと信じられていました。そして治療は瀉血(悪い血を抜けば万事良くなると信じられていた)や鞭打ちなど。

そして次第に症状は悪化し、1810年に最愛の愛娘が貴賤結婚後に病死したのが引き金となって彼は廃人へ。元来のまじめな気質がそうさせたのでしょうか。ジョージ3世の最期はとても気の毒ですね。

激動の時代を生き、晩年は廃人となったイギリス国王

自身の祖先はドイツの1貴族だったジョージ3世。そしてハノーヴァー家は風変りな一族としても有名で、親子関係やスキャンダルが多い一族でもありました。そんな中、愛人を作らず、品行方正でイギリスの国益となることを考えて行動したジョージ3世。しかしそんなまじめな王は、遺伝性の病気に長い間苦しめられることに。また自身の兄弟や子どもたちのスキャンダルや、継承者のジョージ4世との確執にも苦しむことになったジョージ3世。最期は廃人となって静かに生涯を閉じることに。

イギリスが多くの富を手にし、繁栄がもたらされた裏側にはジョージ3世の苦難の歴史があったのですね。そんなジョージ3世はイギリス国民からは、親しみを込めて「農民ジョージ」と敬愛されることに。彼の生前も死後もイギリス国民から慕われています。

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農民王として慕われたイギリス「ジョージ3世」の生涯を歴女が5分でわかりやすく解説!

今回は、イギリス国王のジョージ3世についてです。

ジョージ3世はイギリス生まれ、イギリス育ちの国王で3つの農園を持ってたため「農民ジョージ」と親しまれていたんです。

今回はそんなジョージ3世の生涯を歴女のまぁこと一緒に解説していきます。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。ヨーロッパ各国の王室に興味があり、最近はイギリス王室にまつわる書物を愛読中!今回は60年にわたりイギリスに君臨したハノーヴァー家出身のジョージ3世の生涯について解説していく。

1 農民王と慕われたイギリス王

image by iStockphoto

ジョージ3世は18世紀に生まれたイギリス国王。これまでのハノーヴァー家のイギリス国王は度重なるスキャンダラスな人物が多かったのですが、ジョージはこれまでの国王たちと違いました。そしてジョージ3世は生前から死後も国民からの人気が高い人物。それでは彼がどんな人物だったのか詳しく見ていきましょう。

1-1 イギリス生まれ、イギリス育ちの王

King George III by Sir William Beechey (2).jpg
By Workshop of ウィリアム・ビーチー – one or more third parties have made copyright claims against Wikimedia Commons in relation to the work from which this is sourced or a purely mechanical reproduction thereof. This may be due to recognition of the “sweat of the brow” doctrine, allowing works to be eligible for protection through skill and labour, and not purely by originality as is the case in the United States (where this website is hosted). These claims may or may not be valid in all jurisdictions. As such, use of this image in the jurisdiction of the claimant or other countries may be regarded as copyright infringement. Please see Commons:When to use the PD-Art tag for more information., パブリック・ドメイン, Link

ジョージ3世は1728年に、王太子フレデリック・ルイスの長男として誕生。これまでのハノーヴァー家のイギリス国王は、女性関係が絶えることなく庶子も多くいるのが当たり前。そして父が息子をいじめるのが伝統のように代々それが続いていました。しかしジョージ3世は、歴代の王たちと違い、とてもまじめな性格。読書家であり豪遊せず節約家でもあったジョージ。多くのイギリス国民のように庭いじりを趣味としていたジョージ。個人で3つの農場を持っており、散歩で出会った庶民に気さくに声をかける姿から、「農民ジョージ」と親しまれることに。

1-2 母からの英才教育

ジョージ3世は母から帝王学を受けました。母はドイツ貴族出身。母はジョージに絶対君主となるように望みました。そして22歳の時に即位。即位した後の演説では、「朕はイギリス人であることを誇りに思う」というセリフがとても有名ですよね。即位した当初は積極的に政治に介入する姿勢を取ったジョージ。ところが議会側はそれを疎ましく感じるように。というのも、ジョージ3世やその側近らには政治能力がなかったため。その結果が後に証明されます。

1-3 アメリカ独立戦争のきっかけを作ったジョージ3世

ジョージ3世はイギリス繁栄のため、北米の植民地へ新たに税金をかけることに。ところがこれがアメリカ独立戦争のきっかけとなりました。ちなみに植民地ではジェファソン起草の「アメリカ独立宣言」でジョージ3世の悪政を非難する内容が書かれる始末。議会においてその責任を問われたジョージ。このため、それ以後は積極的な政治介入を止め、首相に小ピットを任命。議会に政治を委ねました。

1-4 ターナーの「奴隷船」

イギリスの水彩画の巨匠、ターナーが描いた「奴隷船」。空は怪しい色に染まり、海は波がうねっています。そんな荒ぶる海上を航行する一隻の船。今にも波に飲み込まれ転覆しそうな様子が伝わってきますね。そして手前の波をよく見ると、海面からいくつもの手が助けを求めるかのように伸びているのが分かります。

この絵は、実際に起こったゾング号の事件をモチーフにしたもの。ゾング号の事件とは、船内に400名を超える奴隷を積み込んだ船内で疫病が蔓延。船長は140名を超える死人や病人を次々海へ放り出すことに。しかしその多くが生きたまま、しかも逃走しないように鉄鎖を付けられたままでした。

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