

ジョージ3世はイギリス生まれ、イギリス育ちの国王で3つの農園を持ってたため「農民ジョージ」と親しまれていたんだ。
今回はそんなジョージ3世の生涯を歴女のまぁこと一緒に解説していくぞ。
- 1 農民王と慕われたイギリス王
- 1-1 イギリス生まれ、イギリス育ちの王
- 1-2 母からの英才教育
- 1-3 アメリカ独立戦争のきっかけを作ったジョージ3世
- 1-4 ターナーの「奴隷船」
- 1-5 イギリスの光と闇
- 1-6 アイルランドが併合
- 2 ステュアート朝からハノーヴァー朝へ
- 2-1 ドイツからやってきた王室
- 2-2 家族との仲が悪かったジョージ1世
- 2-3 ジョージ3世の妃は黒人?
- 3 スキャンダラスな国王の身内たち
- 3-1 貴賤結婚してしまった弟たち
- 3-2 末妹キャロラインのスキャンダル
- 3-3 放蕩息子、ジョージ4世との確執
- 3-4 父の死を願った息子
- 3-5 遺伝性の病に悩まされたジョージ
- 激動の時代を生き、晩年は廃人となったイギリス国王
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ
ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。ヨーロッパ各国の王室に興味があり、最近はイギリス王室にまつわる書物を愛読中!今回は60年にわたりイギリスに君臨したハノーヴァー家出身のジョージ3世の生涯について解説していく。
1 農民王と慕われたイギリス王

image by iStockphoto
ジョージ3世は18世紀に生まれたイギリス国王。これまでのハノーヴァー家のイギリス国王は度重なるスキャンダラスな人物が多かったのですが、ジョージはこれまでの国王たちと違いました。そしてジョージ3世は生前から死後も国民からの人気が高い人物。それでは彼がどんな人物だったのか詳しく見ていきましょう。
1-1 イギリス生まれ、イギリス育ちの王
By Workshop of ウィリアム・ビーチー – one or more third parties have made copyright claims against Wikimedia Commons in relation to the work from which this is sourced or a purely mechanical reproduction thereof. This may be due to recognition of the “sweat of the brow” doctrine, allowing works to be eligible for protection through skill and labour, and not purely by originality as is the case in the United States (where this website is hosted). These claims may or may not be valid in all jurisdictions. As such, use of this image in the jurisdiction of the claimant or other countries may be regarded as copyright infringement. Please see Commons:When to use the PD-Art tag for more information., パブリック・ドメイン, Link
ジョージ3世は1728年に、王太子フレデリック・ルイスの長男として誕生。これまでのハノーヴァー家のイギリス国王は、女性関係が絶えることなく庶子も多くいるのが当たり前。そして父が息子をいじめるのが伝統のように代々それが続いていました。しかしジョージ3世は、歴代の王たちと違い、とてもまじめな性格。読書家であり豪遊せず節約家でもあったジョージ。多くのイギリス国民のように庭いじりを趣味としていたジョージ。個人で3つの農場を持っており、散歩で出会った庶民に気さくに声をかける姿から、「農民ジョージ」と親しまれることに。
1-2 母からの英才教育
ジョージ3世は母から帝王学を受けました。母はドイツ貴族出身。母はジョージに絶対君主となるように望みました。そして22歳の時に即位。即位した後の演説では、「朕はイギリス人であることを誇りに思う」というセリフがとても有名ですよね。即位した当初は積極的に政治に介入する姿勢を取ったジョージ。ところが議会側はそれを疎ましく感じるように。というのも、ジョージ3世やその側近らには政治能力がなかったため。その結果が後に証明されます。
1-3 アメリカ独立戦争のきっかけを作ったジョージ3世
ジョージ3世はイギリス繁栄のため、北米の植民地へ新たに税金をかけることに。ところがこれがアメリカ独立戦争のきっかけとなりました。ちなみに植民地ではジェファソン起草の「アメリカ独立宣言」でジョージ3世の悪政を非難する内容が書かれる始末。議会においてその責任を問われたジョージ。このため、それ以後は積極的な政治介入を止め、首相に小ピットを任命。議会に政治を委ねました。
1-4 ターナーの「奴隷船」
By ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー – Museum of Fine Arts, Boston, パブリック・ドメイン, Link
イギリスの水彩画の巨匠、ターナーが描いた「奴隷船」。空は怪しい色に染まり、海は波がうねっています。そんな荒ぶる海上を航行する一隻の船。今にも波に飲み込まれ転覆しそうな様子が伝わってきますね。そして手前の波をよく見ると、海面からいくつもの手が助けを求めるかのように伸びているのが分かります。
この絵は、実際に起こったゾング号の事件をモチーフにしたもの。ゾング号の事件とは、船内に400名を超える奴隷を積み込んだ船内で疫病が蔓延。船長は140名を超える死人や病人を次々海へ放り出すことに。しかしその多くが生きたまま、しかも逃走しないように鉄鎖を付けられたままでした。
\次のページで「1-5 イギリスの光と闇」を解説!/