日本史歴史鎌倉時代

「鎌倉幕府」の誕生・政策・崩壊までの流れを元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日は鎌倉幕府について勉強していくぞ。室町時代では足利家、江戸時代では徳川家が幕府を開き、征夷大将軍に就いて代々政治を行ってきた。これらは、いわゆる武士による武家政権の時代だな。

そして、そんな武力政権の始まりとなったのが源家の鎌倉幕府だ。今回は、鎌倉幕府についてその誕生から滅亡まで日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から鎌倉幕府をわかりやすくまとめた。

鎌倉幕府誕生まで・平氏政権の終わり

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衰退する平氏政権

1160年、平清盛は平治の乱に勝利して平氏政権を成立されます。経済力と軍事力の高さから朝廷における武家の地位を確立すると、武士では初となる太政大臣の地位にも就きました。しかしこれに不満を持つ者も少なくなく、1180年にはそんな不満を持った武士達が終結、全国各地で打倒・平氏を目指して挙兵したのです

平氏軍とそれに反発する武士達の戦い、平氏軍はこの戦いに敗れます。一方、平氏に不満を持つ武士達は見事勝利しましたが、この時中心となっていたのが源頼朝であり、彼はこの戦いに勝利した後、鎌倉へと戻ってそこを本拠地とした政権掌握のための基盤を作ります。

同年……つまり1180年に源頼朝は自らの邸となる大倉御所を設置、さらには侍所を設置してこれが鎌倉幕府の基盤になるのでした。さて、戦いに敗れた平氏軍もこのまま引き下がっていませんでしたが、源頼朝はそんな平氏軍との戦いに次々と勝利します。まさに動乱の日本……そして、この状況に変化をもたらしたのは平清盛の病死でした。

源頼朝の関東平定

平清盛の死で勢いの衰えた平氏軍は都へと戻っていき、そこで源頼朝は和陸を勧める書状を送ります。しかし、和陸は亡き平清盛の遺志に背く行為であり、そのため平清盛の後継者・平宗盛はこれを拒否しました。ただ、この時期には養和の飢饉が起こったため、源頼朝も平宗盛の和陸拒否に対する軍事行動は起こせなかったようです。

そんな折、源頼朝に意外な敵が現れます。それは源頼朝の叔父にあたる源義広で、1183年に鎌倉に向けて挙兵するものの同年の野木宮合戦にて源頼朝に敗北、これで関東においては源頼朝と敵対する勢力はいなくなり、それは源頼朝にとって関東平定となる瞬間でした。

さて、源頼朝に対して挙兵した叔父・源義広でしたが、源頼朝の従兄弟・源義仲はこの行動を庇って支持します。そんな源義仲に対して当然怒りを見せるのが源頼朝、このため源頼朝と源義仲は武力衝突寸前の対立をしますが、これは源義仲の嫡子を源頼朝の長女の婿と迎えたことで和陸となりました。

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政権を掌握した平清盛を破った源頼朝は、1180年には後の鎌倉幕府の政治体制の基盤を築いており、例えば侍所がそれに該当する。平氏を退けて叔父にも勝利、関東平定させた源頼朝だが、彼に牙をむく敵はまだまだ現れるぞ。

鎌倉幕府の成立・平氏の滅亡

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