

そこで今回は戦国時代でも長きに渡り争った川中島の戦いを歴史マニアでライターでもあるwhat_0831と一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/what
川中島に行ったことはないが、武田信玄と上杉謙信については良く調べていた戦国通サラリーマン。信玄と謙信共に多数の勇将を失いながらも11年間と戦国史上最も長いとされる川中島の戦いを紹介していく。
武田氏の状況
応仁の乱を経て戦国時代へと突入していくと共に、力を付けてきた大名達がいました。特に地域支配力があった武田氏・扇谷上杉氏・山内上杉氏・長尾氏(後の上杉氏)・北条氏・今川氏が和睦を結びながら各地の戦国大名と争っていきます。信玄の父信虎が甲斐国の統一を目指し征服していくと信濃の国人衆と和睦を結び小県郡へ侵攻し勢力拡大狙っていました。
小県郡へ侵攻する際に、信玄が信濃国から凱旋すると信虎を強制的に隠居させ武田家当主として隣国と競り合っていきます。小県郡では村上氏が一帯を収めていたため、まず影響力のあった信濃国人衆を打ち倒して村上氏を追い詰めていきました。
しかし村上氏の抵抗により重臣を失いながらも、村上氏対策に真田氏の力を借りると瞬く間に信濃国を制圧していきます。敗北した村上氏は縁のあった長尾氏を頼っていきました。

信虎を追放したのには、諸説あるようで今川氏と共謀したとされる説や自国を考えず民を苦しめて戦を行っていた性格を嫌って信玄は追放したとされているようだな。
上杉氏の状況
越後の守護代として長尾家が筆頭となり越後国を支配下に収めていこうとするも、家臣らの反乱などによって平定に時間を要していました。そして長尾家当主となっていた為景に謀反の疑いをかけられるも上手く回避していく為景。その後、関東管領だった山内上杉氏は実弟を討ち取られた報復として為景と争っていきます。
一時的に劣勢となっていた為景は、伊達氏らなどの力を借り巻き返しを図っていき京都の将軍家に近づき家の格上げを目指していました。家の格式を上げていくと越中や加賀も支配下にしていき領土を拡大していくも、実弟や国人衆の反乱に苦しめられてしまい隠居に追い込まれていきます。
家督を譲られた長尾春景は反乱を一時的に抑えていましたが、黒田秀忠の反乱によって情勢がますます悪化していきました。そこに反乱鎮圧に向かった謙信が初陣で見事、反乱を鎮めたことで家臣達が謙信擁立を望み謙信に家督を譲っていきます。
北信濃へ侵攻

信玄が北信濃へ侵攻していくと村上氏の諸城を攻略していきます。防戦もままならない村上氏は、頼みの綱であった長尾家を頼り謙信から兵を借りて反攻してきました。謙信も隣国まで攻めて来たことで無視は出来ず村上氏を遣い信玄の侵攻を阻止しようとしていきます。
そして謙信は北信濃へ向けて出陣。謙信が向かってくる前に、村上氏と信玄は争っていきましたが葛尾城を火攻めで攻略し塩田城をも攻略すると村上氏は越後へ逃げていきました。村上氏を攻略すると謙信が北信濃へ到着し善光寺平で武田軍と交戦します。
交戦したといっても小競り合い程度で済まされたとされているため、信玄もあっさりと兵を撤退させていきました。ここのでの戦が信玄と謙信が初めて争ったとされる第一回川中島の戦いとなっています。
長きに渡る戦いの始まり
布施の戦いで武田軍を破った長尾軍は、勢いに乗り荒砥城と青柳城を攻めて攻略していきます。信玄も負けじと軍勢を動かし、奪取された荒砥城に夜襲を仕掛けて反撃していくと謙信は八幡まで兵を下げていきました。兵を引き揚げていったのは退路を塞がれてしまうためです。
一方の信玄は、塩田城から動こうとはしませんでした。謙信の動きを警戒したのか兵を消費したくなかったかは分かりませんが、一定距離を保ったまま城に籠っている状態。そこに謙信は再び引き揚げた兵を引き連れて塩田城を攻め込もうとすると交戦を避けようとした信玄でした。謙信は無理に攻めようとせずに一定の戦果を挙げたとして越後まで引き返していきます。
そして信玄も謙信が越後へ帰国したことを確認すると甲斐国まで引き揚げていきました。
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