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「オーストリア継承戦争」をハプスブルク家大好き歴女が5分でわかりやすく解説!

よぉ、桜木建二だ。今回は、オーストリア継承戦争についてだ。

この継承戦争は、オーストリア・ハプスブルク家のカール6世に息子の後継者がいなかったため起こった問題だ。カール6世は、長女マリア・テレジアがハプスブルク家の家督を継げるように先手を打っていた。ところが彼女の継承に反対したバイエルン公など、各国の君主らがハプスブルク家を断絶させようと戦争に発展していくことになったんだ。

それじゃあここからは、ハプスブルク家に詳しいまぁこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。特にハプスブルク家に関する本を愛読中。今回は、名門オーストリア・ハプスブルク家の世継ぎ問題のきっかけとなったマリア・テレジアを中心にオーストリア継承戦争を解説していく。

1 オーストリア・ハプスブルク家の継承問題

image by iStockphoto

オーストリア継承戦争とは、息子に恵まれなかったカール6世が自分の後継者に長女マリア・テレジアとしたことで起こった戦争でした。オーストリア・ハプスブルク家の宿敵フランスは、この機会にハプスブルク家の断朝を目論みます。それではより詳しく見ていきましょう。

1-1 カール6世の世継ぎ問題

カール6世は、後継者となる男児に恵まれませんでした。このため、長女マリア・テレジアに継承させることを決意。彼女が継承できるように、長子相続法を制定します。そしてマリア・テレジアの相続が承認されるように、イギリスやフランスなど各国に承認を取り付けることに成功。カール6世としては、19歳で恋愛結婚したマリア・テレジアが男児を産んでくれることを願っていたそうですが、男児の孫を見る前にカールは亡くなりました。

1-2 マリア・テレジアが継承したが…

Andreas Moeller - Erzherzogin Maria Theresia - Kunsthistorisches Museum.jpg
By Andreas MøllerKunsthistorisches Museum Wien, Bilddatenbank., パブリック・ドメイン, Link

父カール6世が亡くなり、オーストリア・ハプスブルク家を継承したマリア・テレジア。ところが、承認していたはずのフランス、プロイセン、バイエルンらが彼女の相続に異議を唱えることに。この時ヨーゼフを妊娠していたマリア・テレジアは23歳。しかも彼女は父から帝王学を学んでおらず、政治に関しては全くの素人。そのためフランスやプロイセン、バイエルンなどの国々はマリア・テレジアが当主となったため侮っていたのです。

1-3 フランスが主導したオーストリア分割案

反ハプスブルク家を掲げた各国の思惑はどうだったのでしょうか。フランスは宿敵ハプスブルク家からネーデルラントを、バイエルンは神聖ローマ皇帝の冠を、ザクセンはチェコ南部のモラヴィアを、プロイセンは豊かな土地シュレジエンを得ようと考えていました。そしてマリア・テレジアへはハンガリー女王のみ承認しようと企てたのです。

2 オーストリア継承戦争勃発!

\次のページで「2-1 悪魔によって奪われたシュレジエン」を解説!/

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