幕末日本史歴史江戸時代

幕府と朝廷が協力する新たな政治体制「公武合体」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

倒幕を回避した徳川慶喜

公武合体の思想は倒幕へと切り替わりましたが、だからと言って島津久光はすんなりと倒幕を行ったわけではありません。薩摩藩を中心とした倒幕派はいよいよそれを実行に移そうとしますが、その直前に徳川慶喜は大政奉還を行って政権を天皇へと返上、倒幕することなく自ら幕府の歴史に幕を閉じました。

最も、島津久光との政局に勝利した徳川慶喜はやはり頭が良く、本当に政治の世界から身を引こうと思ったわけではありません。大政奉還を行ったのはあくまで倒幕派との武力衝突を避けるためであり、大政奉還を行っても政治の中心に立つことができると目論んでいたのです。

何しろ、その後政治の主導権を握るのは政治に不慣れな天皇、250年以上も幕府に政治を任せていた立場の者がまともな政治などできるはずがないと読んだのでした。そして徳川慶喜の思惑どおりに事は進み、大政奉還を行ってもなお征夷大将軍として政治に携わる立場を維持していたのです。

公武合体が倒幕へ、倒幕が戊辰戦争へ

大政奉還を行ったことで倒幕が延期され、倒幕が延期されたのに依然徳川慶喜が政治を行っている……倒幕派から見ればこの状況は当然納得がいくものではありません。そこで徳川慶喜を排除するために王政復古の大号令を出して新政権の樹立を宣言、そこに記された項目は完全に徳川慶喜の排除を目的としたものでした。

しかし、徳川慶喜はそれでもなお危機を回避します。こうなったら致し方ないと武力倒幕を計画、その果てに起こった戦いが戊辰戦争です。公武合体は幕府が朝廷と協力して政治を行う思想でしたが、とうとうその思想が実現することはありませんでした。

それどころか幕府に見切りをつけた公武合体派はその思想を倒幕へと切り替え、幕府を倒して天皇を中心とした政治を考えるようになります。力を失っていた幕府はそんな倒幕派と全面戦争する気はなかったものの、やがては戊辰戦争が起こり、江戸時代から明治時代へと時代が変わっていくのでした。

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江戸時代の最後の戦い、戊辰戦争は倒幕の思想がもたらしたものだった。そして、倒幕の思想は公武合体の思想の断念が原因で生まれた思想だ。ちなみに公武合体の「公」とは朝廷、「武」は幕府を示しており、実は文字からその意味を理解できるぞ。

公武合体の流れと結末を今一度おさらい

公武合体は幕府と朝廷が協力して政治を行うことで、言わば政治的思想ですね。この思想が生まれたきっかけは、開国後に幕府が次々と問題を起こしたからで、もう幕府に日本は任せられないという結論に至ったのです。

薩摩藩はこの状況を利用、公武合体の中で政治の主導権を幕府から奪うことを考えますがそれは失敗します。そのため、公武合体を断念して倒幕へと考えを切り替え、その果てに起こったのが戊辰戦争……まとめると、このような流れです。

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shintomoyui0311