大正日本史明治昭和歴史

日本の美を表現し続けた文豪「川端康成」を歴史マニアがわかりやすく解説

戦後、三島由紀夫の訪問

三島由紀夫が川端家を訪問したのは1946年1月。第二次世界大戦が終わった翌年のことです。戦争中は多くの作家が自ら、あるいは強制的に、戦争や日本を賛美して戦争協力していました。その罪で一部の作家は戦犯文学者と糾弾されています。当時、三島由紀夫が属していた日本浪漫派の作家もその対象であり、彼は非常に焦っていました。そこで、以前に川端康成から手紙をもらっていたことを思い出し、三島由紀夫は川端康成を訪ねることにしたのです。もともと川端康成が三島由紀夫の才能に注目していたこともあり、三島由紀夫の作品『煙草』を文芸誌「人間」に掲載して彼を世に送り出しました。後に出版される三島由紀夫の『豊饒の海』を『源氏物語』以来の名作とも評価しています。

また、川端康成は三島由紀夫を横光利一と並ぶ無二の友としました。三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で演説後に割腹自決した三島事件のあとも、彼の葬儀で葬儀委員長を務めます。川端康成の随筆には「三島由紀夫の自死をどうにかしてでも思いとどまらせたかった」と深い嘆きと悔恨が記されていました。

『雪国』があふれる美しい情景

最初にご紹介した一文が書かれた『雪国』は第3回文芸懇話会賞の受賞作品でした。さらにはノーベル文学賞対象作品のひとつとなっています。受賞の理由は「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現し、世界中の人々に深い感銘を与えた」であり、川端康成が書き続けた美しい言葉を賞賛するものでした。

『雪国』は身勝手な男・島村と駒子の不安定な関係を書きながらも、情景の美しさに抒情を重ね、清廉な間柄であるように見えてしまう不思議な物語です。

儚いものたちへの愛着『伊豆の踊子』

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先に述べた旅先での出来事をもとに生まれた『伊豆の踊子』。舞台となるのは伊豆半島。傷心の主人公はひとり旅の最中に旅芸人の一団に巡り合い、旅路をともにします。その中で暗い気持ちを抱えた主人公は、踊子の純真無垢な少女と触れ合うことで癒され、心惹かれていくという青春を描いた物語です。

当時、漂泊の旅芸人は、迫害まではいかずとも蔑まれる対象でした。旅芸人たちにいい顔をしながらも裏では陰口を叩く人々と、それに反して彼らに心を寄せていく主人公。孤児だった主人公は、彼らのように弱く、世間から隔絶された存在への愛着と慈しみを覚えます。

ところで、この「弱く、世間から隔絶された存在」に対して情を覚えるのは、なにも主人公だけではありません。読者もまた『伊豆の踊子』を読むうちにいつの間にか踊子や旅芸人たちに情を寄せてしまいます。というもの、日本人は古くから「判官びいき」という心理現象を備えていました。これは「弱い立場に置かれた存在に対して客観的な視点や判断よりも先に同情を寄せてしまう」現象で、平安時代末期の武将・源義経に由来します。要するに、平安時代末期にはすでに日本人の深層に根付いていた心理なのです。

多くの共感を得た『伊豆の踊子』は何度も映画化され、日本人に愛されてきました。

女性の心理描写の名人

1921年、同人誌「新思潮」に発表された川端康成のデビュー作「招魂祭一景」。村の温泉宿で働く女たちを妖艶かつ清廉に描いた「温泉宿」。霊感のある女が元恋人の死をきっかけに物思いに耽る「抒情歌」など、女を中心に据えた物語は数多く、その中で川端康成は女性の美しさや強さを書きながら、同時に儚い部分を示してきました。女性の心理描写の名人とも呼ばれています。

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