

今回はそんな川端康成と作品について、歴史マニアのライターリリー・リリコと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。おばちゃんは推し作家の話がしたい。
ノーベル文学賞受賞作家・川端康成

川端康成は1968年のノーベル文学賞受賞者であり、大正から戦後にかけて活躍した作家です。彼は作品の中で日本人の死生観と美意識を美しい言葉で描き、世界中の人々に賞賛されました。
自身の体験から生まれた作品たち
By 不明 – http://mhsteger.tumblr.com/post/697607461/yasunari-kawabata-born-14-june-1899-died-16, パブリック・ドメイン, Link
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
トンネルの暗闇から一変して現れる銀世界。川端康成の小説『雪国』を読んだことがなくても、この見事な白と黒の対比を現した文章は一度はどこかで聞いたことがありませんか?そうでなくても、たった20字の言葉を読んだだけで、美しい雪国の風景が頭に浮かんだと思います。
この素晴らしい美文を冒頭にする『雪国』は川端康成の湯沢温泉の旅から生まれたものです。他にも実体験をもとにして書かれた作品は『伊豆の踊子』など多岐に渡り、作者自身の記憶は作品に欠かせません。
美しく表現されながら、どこか切なさやさみしさを感じさせる言葉たち。では、川端康成はどのような人間だったのでしょうか?
十四歳で天涯孤独の身となる
1899年6月14日、川端康成は大阪市北区に住む川端家の長男として誕生しました。今から百年と少し前ですね。父は開業医、母は資産家の娘、そして四歳年上の姉に囲まれた賑やかな家族でした。しかし、川端康成が物心つく前に両親は結核で亡くなってしまいます。そして、姉とは別々に引き取られ、父方の祖父母のもとで育つことになりました。
けれど、彼の不幸は終わりません。虚弱体質だった川端康成を大切に育ててくれた祖母が七歳の時に亡くなり、生き別れた姉は十一歳のときに、さらに十四歳の時分に最後の肉親だった祖父が亡くなると、川端康成は天涯孤独の身になってしまいました。川端少年がこのときの状況を日記としてつづり、十年後に注釈や補足を加えたエッセイ『十六歳の日記』(数え年は十六歳、満十四歳)には、祖父への愛情や自身の孤独感などがありありと書かれています。
眼光鋭く、動物好き
川端康成には黙って人を凝視するクセがありました。その上、彼の目つきは鋭く、ずっと黙ったままでも苦にならない性格だったため、初対面の女性編集者に泣かれてしまったという話があるほどです。他にも夜中に鉢合わせした泥棒が何も盗らずに逃げていったり、借金取りを追い返したりと、川端康成の眼光の逸話は事欠きません。親交のあった作家や関係者たちからもあの目は恐ろしく見えたと語り草になっていました。しかし、「彼の視線に無心で臨めばあたたかな優しさが見えてくる」と作家・北條誠が書き残しています。
その証拠でしょうか、川端康成は大の動物好きでした。特に犬を好み、一時は自宅で九頭の犬と同居していたこともあります。無類の犬好きの性分から発表されたのが、飼っていたワイヤーフォックステリアのエリーをモデルにした短編小説『愛犬エリ』、エッセイ『わが犬の記』、そして、犬を飼う心構えを説いた『愛犬家心得』でした。他にも鳥や猫に対する思いを書いた短いながらも愛情にあふれる作品など多く残されています。
生涯を創作活動に捧げた作家、突然の自死
多くの経験を自著へ反映させ、人生を創作活動へ捧げた川端康成。その最期は、突然のガス自殺でした(現代の都市ガスでは不可能)。遺書はなく、72歳で自殺に及んだ真実の動機は謎に包まれたままです。
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