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【中国史】皇帝の側近として仕えた「宦官」とはどのような制度?中国史マニアがわかりやすく解説

古代オリエント

 シュメール文明以来、「宦官」は文明の重要な要素でした。その論拠として、シュメール語には宦官を意味する言葉が8つもあったのです。そして、アッシリア、アケメネス朝、ペルシャ帝国といったシュメール文明を引き継ぐオリエント諸国でも、宦官が用いられていました。

 また、中国と同様に刑罰として去勢される者もおり、さらには戦争捕虜の敵兵を去勢し、本国に連行・奴隷とする習慣もあったのです。それらの役割としては官僚、さらには後宮に仕えるものでした。

 余談ですが、古代エジプトで宦官が見られたというのは俗説だと思われます。発見されている高位の役人のミイラの中には、性器が見当たらないものも多くありますが、宦官を用いた文書記録は存在せず、登場するのはプトレマイオス朝になってからのことなのです。役人のミイラに関しては、性器は水分が多くミイラ化の過程で失われやすい部位であり目視で発見出来ないこともあるため、そういった俗説が生まれたのでしょう。

古代ギリシア

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 オリエントの影響を受けた古代ギリシアやローマ帝国、及び東ローマ帝国でも「宦官」制度は用いられていました。これらの宦官は宮廷内部の雑用係であったのですが、ローマ帝国後期以降の皇帝の権力が強まると同時に、高級官僚の世襲を防ぐ目的で、宦官を高級官僚に用いることが増えていったのです。

 キリスト教化した東ローマ帝国では、官僚として重用され、軍隊の司令官やキリスト教の総主教にまで宦官が多数いたといいます。中国のように宦官が皇帝の寵愛を受け実権を握った例はたくさんあるのですが、国家の正規官職に宦官が多く任命された国家は東ローマ帝国ぐらいでしょう。

 ということは、宦官が権力を握ることも多かったということでもあり、中国同様自主的に去勢して宦官を志願する者や、親が子の出世のために去勢してしまう事例が現れてしまうのです。

 さらには、キリスト教の普及に伴って、欲望を断つことを目的により自ら去勢する者も現れました。その流行は凄まじく、民間でも去勢を禁止する令が何度も出されるほどだったのです。

イスラム諸国

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By Chevalier Auguste de Henikstein – Romanian Academy Library, via europeana.eu, パブリック・ドメイン, Link

 一夫多妻制であったイスラム諸国においても、オリエントの伝統を受け継いで「宦官」制度が用いられました。特にオスマン帝国では後宮(ハレム)を取り仕切るために宦官が重用され、影の実力者として振る舞うこともしばしばあったようです。

 イスラム諸国の特徴的な部分としては、コーランには去勢禁止の一文があります。これを回避するために、イスラム教徒以外の男子を去勢して宦官とするのが原則であったため、外国人である黒人や白人の宦官が多く採用されていました。彼らの多くは戦争捕虜であったり、奴隷として売られてきた者たちなのでした。

 のちにガージャール朝を創始することになる「アーガー・モハンマド・シャー」も少年時代に捕虜として去勢されていましたが、脱走を果たすことが出来ました。そして勢力を集め、王朝を開いたのです。当然ながら彼に子供はおらず、死後は甥である「ファトフ・アリー・シャー」が帝位を継ぎました。

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この「宦官」という制度は似たような時期に世界各国で採用されていたんだな。いずれも皇帝の傍の女性たちと過ちを犯さないため、さらには側近の世襲制を抑制し、権力拡大を防ぐためだったんだ。いつの世の皇帝も懸念材料は同じなんだな。

日本においての「宦官」制度は?

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 日本においての「宦官」制度についても見ていきましょう。日本は中国から律令制度を取り入れたことは広く知られていますね、隋に派遣された「遣隋使」、唐に派遣された「遣唐使」と言えば聞き覚えのある方も多いでしょう。

 中国の制度を視察した彼らはもちろん、「宦官」についても勉強していたはず、何故取り入れることをしなかったのでしょうか。それには三つの説があります。

 一つ目は、畜産業が発達しなかったためです。畜産業の発展がないということは、去勢に対する知識が全くなかったということでした。中国に派遣された者は男子であったことから、馴染みの無く、さらには陰茎を切除するという恐ろしい考えが受け入れられなかったということが考えられるでしょう。

 二つ目は、日本独特の文化「通い婚」です。江戸時代までは、殿様の正室・側室ともに一緒に住むという習慣はありませんでした。その女性たちは実家において、家族にしっかりと保護されていたので、わざわざ宦官を置く必要がなかったのでしょう。

 三つめは、「大奥」を設立した人物によるものです。この「大奥」は、殿様の正室・側室がともに一か所に留め置かれます。さぁここで宦官の出番、と思われそうですが、その設立に関わったのが三大将軍「家光」(いえみつ)の乳母「春日局」(かすがのつぼね)なのです。彼女は自らが権力を握りたかった、それには男子が邪魔であった、それ故に大奥は男子禁制とし、自身を「大奥総取締役」と名乗ったのでした。

 こういった理由から日本では「宦官」制度が取り入れられなかったのはないかと思われます。

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