1920年代のアメリカの歴史を見ていくと「失われた世代」という言葉によく遭遇する。

「失われた世代」とは、第一次世界大戦を目の当たりにて、これまでの常識に疑問を持つようになった若手の作家のことを指す。ただ、すべての作家が該当するわけではなく、いくつかの共通した特徴があるとのことです。

それじゃ、「失われた世代」とは何か、歴史と絡めながら世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカの歴史を見ていくとき「失われた世代」を避けて通ることはできない。「失われた世代」はアメリカ文学史でよく使われるが、歴史と人間のかかわりを考えさせてくれる。そこで「失われた世代」の特徴を歴史と絡めながら解説していく。

「失われた世代」という言葉はパリで生まれた

image by PIXTA / 27468488

「失われた世代」は、英語にするとLost Generation。おもに1920年代から1930年代にかけて活躍したアメリカの作家で、共通する特徴を持っている一群をさします。アメリカ文学史でよく使われる言葉ですが、この言葉が生まれたのは1920年代のパリでした。

アメリカの作家ガートルード・スタインの言葉がはじまり

一般的に「失われた世代」という言葉をはじめてつかったのは、アメリカの作家ガートルード・スタインという女性であったと言われています。スタインは、作家であると同時に熱狂的な美術収集家。パリでサロンをひらき、若手のアメリカ人芸術家をサポートしていました。

自身の自伝で自己申告していることから、ほんとうにスタインが初めて言ったかどうかは定かではありません。「失われた世代」という言葉は、のちのノーベル賞作家となるヘミングウェイとの会話から生まれました。そこから、実際はヘミングウェイが最初に発したとする見方もあります。

パリに集まるアメリカ人の若手作家・芸術家を揶揄

「失われた世代」という言葉は、パリにやってきたアメリカ人の作家・芸術家の傾向を表現したもの。彼らは「パリのアメリカ人」と言われ、当時のパリの社交界でも注目される存在でした。

「パリのアメリカ人」は、芸術談義に花を咲かせると共に、お酒、ダンス、女性との享楽を楽しむ堕落した生活を送っていました。そのような若者を見て、スタインは「あなたたちは失われた世代ね」という趣旨のことを言ったとされています。

「失われた世代」の特徴(1):第一次世界大戦に遭遇

1914-06-29 - Aftermath of attacks against Serbs in Sarajevo.png
By 不明 - Historijski Arhiv Sarajevo. Found in a .pdf edition of "Sarajevo, biografija grada" ("Sarajevo, A Biography") by Robert J. Donia., パブリック・ドメイン, Link

「失われた世代」の特徴を語るうえで欠かせないのが第一次世界大戦。これまでも戦争そのものはありました。しかし、世界各国がかかわり、最新の技術が投入された大戦は、多感な時期にあったこの世代の若者にとって大きなショックを与えることになります。

価値観をガラッと変えた第一次世界大戦

映画が発達していたことから、ニュース映画を通じて戦地の様子をほぼリアルタイムで目撃することができました。現在と異なり死者の姿も遠慮なく映し出されていた時代。進歩のためだけに突き進むことに疑問が感じられるようになります。

「失われた世代」に属する作家たちは「アメリカン・ドリーム」と称される、個人や国家の成長に対する考え方が本当に正しいのかを考えるようになりました。新しい価値観を見つけるために、実験的な小説や絵画に取り組む人たちもでてきます。

\次のページで「とくに男性が「失われた世代」の特徴をあらわす」を解説!/

とくに男性が「失われた世代」の特徴をあらわす

「失われた世代」に該当するアメリカ作家や芸術家は、主に男性であるとされています。たしかに、作家や芸術家として活動できる女性は限られていました。とはいえ、実際は光が当たっていないだけで女性も多かったと思われます。

代表的な作家となるのが作家アーネスと・ヘミングウェイやジョン・ドス・パソス、F・スコット・フィッツジェラルドなど。彼らは、ひと世代前の作家とは作風が大きく異なり、文学の新しい流れを作り出すことに貢献しました。

「失われた世代」の特徴(2):狂騒の1920年代と重なる

image by PIXTA / 47720665

第一次世界大戦にくわえて、「失われた世代」にあたる作家たちの心理状態に大きな影響を与えたのが1920年代のアメリカ。戦後のアメリカは、ヨーロッパ諸国の疲弊とは対照的に大きく飛躍。経済的にも文化的にも華々しい時代となりました。「狂騒の1920年代」の経験が、アメリカの作家の価値観を強くゆさぶることになります。

大量生産・大量消費の時代

「狂騒の1920年代」の特徴となるのが大量生産・大量消費。食品、洋服、家電、車など、いろいろなものが最新の技術によりぞくぞくと生産されます。アメリカ、とくにニューヨークやロサンゼルスなどの都会にはたくさんの商品があふれかえり、大型のデパートも乱立するようになりました。

大量の商品は、戦後の復興前のヨーロッパ諸国に輸出されるだけではなく、経済力をつけた中流階級以上の人々により次から次へと消費されます。消費者に商品をアピールするためにネオンでキラキラひかる広告がたくさん出され、購買欲を刺激するような空間がつくりだされました。

女性のファッションに革命がおきる

女性のファッションに大きな変化があらわれたのも「狂騒の1920年代」です。これまで女性のファッションというと、コルセットでぎゅうぎゅうにしばられたもの。女性=貞節を守るという保守的な考えによるものでした。それが1920年代に一気に変わります。

ひざ丈の短いスカートやパンツ、ボブカットを特徴とする活動的な女性「フラッパー」が登場。酒、たばこ、ドライブを楽しみ、男性との交際もよりオープンすることが特徴です。「失われた世代」の作家の作品にはこのような女性がたびたび登場。小説の作風をガラッと変えました。

「失われた世代」の特徴(3):芸術や文化の変化に触れている

CarterAndKingJazzingOrchestra.jpg
By Unknown - http://blog-eeuu.com/cultura-de-estados-unidos/musica-en-estados-unidos/attachment/55-jazzing-orchestra, Public Domain, Link

「失われた世代」の作家は、1920年代に起こった芸術や文化の変化にも触れることになります。1920年代になると、これまで少数派であった文化が大衆的な娯楽として社会に浸透。これまで日の目をみることがなかったアフリカやカリブの黒人文化が白人層に受け入れられるようになりました。

\次のページで「黒人文化を開花させた「ハーレム・ルネサンス」」を解説!/

黒人文化を開花させた「ハーレム・ルネサンス」

芸術や文化の分岐点となったのが「ハーレム・ルネサンス」。これは、ニューヨーク市のマンハッタン区ハーレムでおこったアフリカ系アメリカ人の文化のムーブメントのことを指します。リベラルな考え方をもつ白人富裕層により作られたもので、数多くの黒人作家、芸術家、パフォーマーを世に出すきっかけとなりました。

ハーレム・ルネサンスはこれまでの伝統的な芸術に対する価値観を一新。ブルースやジャズのリズム感の影響をうけた実験的な詩や小説が続々と生み出されます。若手のアメリカ人作家にこれまでの伝統的な小説とは異なる作風を生み出すことを後押しすることになりました。

ジャズとダンスの流行により男女関係が開放的に

ハーレムに数多く生まれたのがジャズを演奏する場所。即興的に演奏されるジャズにあわせてはげしく踊るダンスが流行しました。音楽やダンスを楽しむだけではなく、男女の恋のかけひきも盛んにおこなわれることに。それにより性に対しても開放的になっていきます。

こうした影響から「失われた世代」の作家の多くは女性との恋愛遍歴が豊富。二股、三股は珍しいものではありませんでした。この世代の代表的作家であるヘミングウェイは、美しい顔立ちから女性にもてたこともあり、数多くの「秘密の恋」をしていたと言われています。

「失われた世代」の特徴(4):居場所はアメリカではなくパリ

Le Dôme - Paris.JPG
By LPLT - Own work, CC BY-SA 3.0, Link

アメリカの批評家であり詩人であるマルカム・カウリーは「失われた世代」の作家のひとり。その経験から「失われた世代」の作家の特徴をのちにまとめます。それによるとこの世代は、華やかで騒々しいアメリカは居心地が悪く、パリに居場所を見つけようとしました。

若手のアメリカ人の芸術家がパリに集結

パリに渡ったとき、多くのアメリカ人作家はまだ無名。同じような人々が集まるパリのサロンなどに集まり最新の知見を吸収します。それにより多くの刺激を受けた作家たちは、実験的で新しい作風の作品を世に送り出すようになりました。

フリーランスの記者としてパリに渡ったのがヘミングウェイ。パリで刺激をうけて小説を書くようになりました。また、当時の流行作家であるF・スコット・フィッツジェラルドもパリに滞在した経験あり。マルカム・カウリーはパリでボヘミアン生活をしたと言われています。

最終的にアメリカに居場所をみつける

「失われた世代」の作家の多くは、1920年代にパリに行くものの、1930年代になるとほとんどがアメリカに帰ります。居場所を求めて放浪するものの、最終的に、自分の本当の居場所はアメリカであるという考えに落ちつきました。

なかには、アメリカの資本主義に限界を感じる「失われた世代」の作家もあらわれました。そのひとりがジョン・ドス・パソスです。ニュース映画のようにアメリカの政治や経済をみわたすジョン・ドス・パソスの作風は、アメリカと一定の距離を置くものでした。

\次のページで「フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』と「失われた世代」」を解説!/

フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』と「失われた世代」

Great Gatsby lobby card.jpg
By Paramount Pictures - Beineke Library, Yale University, Public Domain, Link

F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は1925年に出版された当時のベストセラー小説。フィッツジェラルド自身が「失われた世代」にあてはまる作家であることから、小説のなかにはその世代の特徴がこまやかに描写されています。

主人公のジェイ・ギャツビーは「失われた世代」を象徴する人物

『グレート・ギャツビー』の主人公はジェイ・ギャツビーという名前のドイツ系アメリカ人。禁酒法の時代のアメリカで酒の密輸により成功をおさめた富裕層です。第一次世界大戦では陸軍の将校をしており、たびたびそのときの思い出を語ります。

経済的な成功者であるものの、ジェイ・ギャツビーの正体を知るものはおらず、哀愁さえただよう存在。本当に愛している女性と結ばれることはなく、身の危険を感じた女性に銃でうたれて亡くなります。彼は「狂騒の1920年代」のアメリカに居場所を見つけることができませんでした。

パーティー場面は「狂騒の1920年代」そのもの

主人公であるジェイ・ギャツビーの人物像にくわえ、作中に登場する豪華絢爛なパーティーの場面も見どころ。「失われた世代」の作家の背景にある「狂騒の1920年代」の様子を生き生きと感じ取ることができます。

着飾った人々、男女のかけひき、どんどん作られ捨てられていく料理、きらびやかなネオンなど。パーティーの場面を読むことで、どうして「失われた世代」の作家が1920年代に虚無感を感じてパリに行ったのか、その理由を感じ取ることができます。

「失われた世代」の作家の心理は歴史的出来事からつくられた

「失われた世代」の作家の心理や動向は、第一次世界大戦や1920年代のアメリカの経済的成長のように、歴史的な出来事や時代の雰囲気からつくられたもの。この世代のことは、アメリカ文学史を研究するときに触れられる傾向が。しかし実は、歴史とのかかわりがとても深いという特徴があります。なかでもF・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は、1920年代のアメリカと「失われた世代」の心理を的確に表現。読みやすくて短い小説です。読んでみると1920年代のアメリカの人々の心を垣間見ることができますよ。

" /> 「失われた世代(ロストジェネレーション)」とは?1920年代のアメリカ作家の動向と心理を元大学教員がわかりやすく解説 – Study-Z
アメリカの歴史世界史歴史独立後

「失われた世代(ロストジェネレーション)」とは?1920年代のアメリカ作家の動向と心理を元大学教員がわかりやすく解説

1920年代のアメリカの歴史を見ていくと「失われた世代」という言葉によく遭遇する。

「失われた世代」とは、第一次世界大戦を目の当たりにて、これまでの常識に疑問を持つようになった若手の作家のことを指す。ただ、すべての作家が該当するわけではなく、いくつかの共通した特徴があるとのことです。

それじゃ、「失われた世代」とは何か、歴史と絡めながら世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカの歴史を見ていくとき「失われた世代」を避けて通ることはできない。「失われた世代」はアメリカ文学史でよく使われるが、歴史と人間のかかわりを考えさせてくれる。そこで「失われた世代」の特徴を歴史と絡めながら解説していく。

「失われた世代」という言葉はパリで生まれた

image by PIXTA / 27468488

「失われた世代」は、英語にするとLost Generation。おもに1920年代から1930年代にかけて活躍したアメリカの作家で、共通する特徴を持っている一群をさします。アメリカ文学史でよく使われる言葉ですが、この言葉が生まれたのは1920年代のパリでした。

アメリカの作家ガートルード・スタインの言葉がはじまり

一般的に「失われた世代」という言葉をはじめてつかったのは、アメリカの作家ガートルード・スタインという女性であったと言われています。スタインは、作家であると同時に熱狂的な美術収集家。パリでサロンをひらき、若手のアメリカ人芸術家をサポートしていました。

自身の自伝で自己申告していることから、ほんとうにスタインが初めて言ったかどうかは定かではありません。「失われた世代」という言葉は、のちのノーベル賞作家となるヘミングウェイとの会話から生まれました。そこから、実際はヘミングウェイが最初に発したとする見方もあります。

パリに集まるアメリカ人の若手作家・芸術家を揶揄

「失われた世代」という言葉は、パリにやってきたアメリカ人の作家・芸術家の傾向を表現したもの。彼らは「パリのアメリカ人」と言われ、当時のパリの社交界でも注目される存在でした。

「パリのアメリカ人」は、芸術談義に花を咲かせると共に、お酒、ダンス、女性との享楽を楽しむ堕落した生活を送っていました。そのような若者を見て、スタインは「あなたたちは失われた世代ね」という趣旨のことを言ったとされています。

「失われた世代」の特徴(1):第一次世界大戦に遭遇

1914-06-29 - Aftermath of attacks against Serbs in Sarajevo.png
By 不明 – Historijski Arhiv Sarajevo. Found in a .pdf edition of “Sarajevo, biografija grada” (“Sarajevo, A Biography”) by Robert J. Donia., パブリック・ドメイン, Link

「失われた世代」の特徴を語るうえで欠かせないのが第一次世界大戦。これまでも戦争そのものはありました。しかし、世界各国がかかわり、最新の技術が投入された大戦は、多感な時期にあったこの世代の若者にとって大きなショックを与えることになります。

価値観をガラッと変えた第一次世界大戦

映画が発達していたことから、ニュース映画を通じて戦地の様子をほぼリアルタイムで目撃することができました。現在と異なり死者の姿も遠慮なく映し出されていた時代。進歩のためだけに突き進むことに疑問が感じられるようになります。

「失われた世代」に属する作家たちは「アメリカン・ドリーム」と称される、個人や国家の成長に対する考え方が本当に正しいのかを考えるようになりました。新しい価値観を見つけるために、実験的な小説や絵画に取り組む人たちもでてきます。

\次のページで「とくに男性が「失われた世代」の特徴をあらわす」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: