そこで、西南戦争が起こった原因、過程、結末、関わった重要人物、この4つに絞って覚えてしまえばいい!今回、日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。
- 西南戦争とはどんな戦争なのか
- 西南戦争とは士族の明治政府への反乱
- 士族に不満を与えた明治政府の政治政策
- 明治政府の政治政策とその目的
- 版籍奉還と廃藩置県を行った明治政府の目的
- 地租改正を行った明治政府の目的
- 明治政府への不満でつながった薩摩藩の士族と西郷隆盛
- 明治政府を辞職した西郷隆盛とそれを支持した士族達
- 西郷隆盛を脅威と判断した明治政府
- 西郷暗殺計画と西南戦争の始まり
- 西南戦争が起こる決定打となった西郷暗殺計画
- 薩摩軍と政府軍の西南戦争の勃発
- 西南戦争の終わりと西郷隆盛の最期
- 薩摩軍の敗北と西郷隆盛の死
- 日本の近代化の転換期となった西南戦争
- 西南戦争の原因、過程、結末、重要人物をまとめる
この記事の目次
ライター/リュカ
元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から西南戦争をわかりやすくまとめた。
西南戦争とは士族の明治政府への反乱
西南戦争とは、1877年に起こった士族による明治政府への反乱であり、要するに内乱です。士族とは江戸時代で武士階級に当っていた人々で、江戸幕府討伐において明治政府に貢献していましたが、その士族が明治政府に反乱を起こしました。
鹿児島の士族……すなわち薩摩藩の士族の反乱によって西南戦争が起こるのですが、士族達のリーダーとなっていたのがあの西郷隆盛(さいごうたかもり)です。ただ疑問となるのは、西郷隆盛は江戸幕府討伐において維新の三傑と呼ばれた英雄だったことでしょう。
つまり、西郷隆盛は明治政府側についていたことになるのです。そんな西郷隆盛がなぜ明治政府に対して反乱を起こしたのでしょうか。当然何らかの不満があったのでしょうが、その不満を知ることで西南戦争が起こった原因が見えてきます。
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士族に不満を与えた明治政府の政治政策
江戸時代の終焉によって明治時代が幕を開け、新政府である明治政府が目指した政治は天皇を中心とした中央集権化の政治でした。そのため様々な政治政策を打ち出しますが、それらはいずれも士族に不満を与えるものだったのです。では、明治政府どのような政治政策を打ち出したのでしょうか。
1869年の土地と戸籍を天皇に差し出す版籍奉還、1871年の藩の制度を廃止する廃藩置県、1873年のこれまでのように米ではなく土地に税金をかける地租改正が有名ですね。さらに廃刀令も制定され、廃藩置県によって藩から給料が支払われなくなる、廃刀令で刀が所持できなくなる、いずれの政策も武士が歓迎するはずなかったのです。
最も、何も明治政府は士族を挑発するためにこのような政治政策を打ち出したわけではありません。結果的には士族に不満を抱かせることになりましたが、明治政府の政治政策にはしっかりとした意図があったのも事実であり、それについてはこの後解説していきます。
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