日本史

5分でわかる!日本史上最後の内乱「西南戦争」の全てを元塾講師がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今日は西南戦争について勉強するぞ。日本史上で最後の内乱とされる西南戦争はただ年号と戦争の名前だけ覚えるようでは不充分だ!だが、戦争開始から終戦まで全て覚えるのは量が多すぎて少々無理があるだろう。

そこで、西南戦争が起こった原因、過程、結末、関わった重要人物、この4つに絞って覚えてしまえばいい!今回、日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から西南戦争をわかりやすくまとめた。

西南戦争とはどんな戦争なのか

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西南戦争とは士族の明治政府への反乱

西南戦争とは、1877年に起こった士族による明治政府への反乱であり、要するに内乱です。士族とは江戸時代で武士階級に当っていた人々で、江戸幕府討伐において明治政府に貢献していましたが、その士族が明治政府に反乱を起こしました。

鹿児島の士族……すなわち薩摩藩の士族の反乱によって西南戦争が起こるのですが、士族達のリーダーとなっていたのがあの西郷隆盛(さいごうたかもり)です。ただ疑問となるのは、西郷隆盛は江戸幕府討伐において維新の三傑と呼ばれた英雄だったことでしょう。

つまり、西郷隆盛は明治政府側についていたことになるのです。そんな西郷隆盛がなぜ明治政府に対して反乱を起こしたのでしょうか。当然何らかの不満があったのでしょうが、その不満を知ることで西南戦争が起こった原因が見えてきます。

士族に不満を与えた明治政府の政治政策

江戸時代の終焉によって明治時代が幕を開け、新政府である明治政府が目指した政治は天皇を中心とした中央集権化の政治でした。そのため様々な政治政策を打ち出しますが、それらはいずれも士族に不満を与えるものだったのです。では、明治政府どのような政治政策を打ち出したのでしょうか。

1869年の土地と戸籍を天皇に差し出す版籍奉還、1871年の藩の制度を廃止する廃藩置県、1873年のこれまでのように米ではなく土地に税金をかける地租改正が有名ですね。さらに廃刀令も制定され、廃藩置県によって藩から給料が支払われなくなる、廃刀令で刀が所持できなくなる、いずれの政策も武士が歓迎するはずなかったのです。

最も、何も明治政府は士族を挑発するためにこのような政治政策を打ち出したわけではありません。結果的には士族に不満を抱かせることになりましたが、明治政府の政治政策にはしっかりとした意図があったのも事実であり、それについてはこの後解説していきます。

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ポイントは2つだ!まずほぼ同時期に版籍奉還と廃藩置県と地租改正が行われていることで、年号と政策の名前をしっかり覚えよう。もう1つは漢字だ。「版籍奉還」は政策の意味からも「藩籍奉還」と書き間違えやすいので要注意だぞ!

明治政府の政治政策とその目的

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版籍奉還と廃藩置県を行った明治政府の目的

版籍奉還とは「各地の藩に属する領地と領民を天皇に返す」という意味です。江戸時代では各地の藩がそれぞれ独自の財政と法律で動いていたため、各藩で力の差が明らかになっており、また考え方の違いで衝突することもありました。要するに力も考え方もバラバラの状態であり、鎖国が終わって開国した現在ではこれが致命傷になると考えたのです。

なぜなら、海外の武力の強い国と対等に渡り合うには日本国内の法律や考え方がバラバラではあまりにも問題ですからね。そこで版籍奉還を行ったのですが、実際には土地と戸籍が管理できるようになっただけで各藩のバラバラな考えや政治は依然そのままだったのです。

そこで明治政府は、それならばとさらに新たな政策となる廃藩置県を行い、藩そのものをなくしてしまうことにしました。藩をなくしたことで士族に不満を与えた廃藩置県でしたが、政治的政策として見れば中央集権化に成功しており、将来日本がアメリカやヨーロッパと肩を並べられるようになった要因になったのです。

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