

彼の祖母はなんとエカテリーナ2世。そんな女帝を祖母に持つ彼は、父帝が亡くなると即位することに。当時の世界情勢は、フランスに現れた怪物ナポレオンの対策に追われていたんだ。当然アレクサンドル1世もナポレオン対策に奮闘し、何度も刃を交えることに。
そこで今回は、ナポレオンとの戦いに奮闘したアレクサンドル1世について世界史に詳しいまぁこと一緒に解説していくぞ。
- 1 アレクサンドル1世について
- 1-1 幼少時代 祖母に育てられたアレクサンドル
- 1-2 スパルタ教育の末、教養の高い美青年へ
- 1-3 アレクサンドルの複雑な性格
- 1-4 父帝パーヴェル、多くの人々を敵に回す
- 1-5 アレクサンドルの父殺し
- 2 アレクサンドルの政治
- 2-1 ヨーロッパはナポレオンとの戦いへ
- 2-2 ティルジット条約
- 2-3 ナポレオンの花嫁探し
- 2-4 3度目の戦い、ナポレオンのロシア遠征
- 2-5 ウィーン会議
- 2-6 会議は踊る、されど進まず
- 2-7 ウィーン会議でロシアが得たもの
- 3 アレクサンドル1世の晩年
- 3-1 アラクチェーエフの愚かな政治
- 3-2 アレクサンドルの不審な死
- 3-3 アレクサンドルの伝説
- 最も複雑で矛盾に満ちたロシア皇帝
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ
ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。ここ最近はロシアに関する歴史関連書を熟読中。そこで今回はフランス革命後に現れたナポレオンの対策に奮闘したロシアの皇帝、アレクサンドル1世の生涯について解説していく。
1 アレクサンドル1世について

image by iStockphoto
アレクサンドル1世とは、ロシアに君臨した皇帝。彼の祖母は女帝と言われたエカテリーナ2世。そして彼女と対立していた父であるパーヴェル。アレクサンドル1世はそんな環境の中で成長していくことに。そして皇帝へ即位すると、フランスの天才、ナポレオンの対応に追われることになりました。ここではアレクサンドル1世の生涯を解説していきますね。
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1-1 幼少時代 祖母に育てられたアレクサンドル
アレクサンドルは、1777年に生まれました。この誕生を一番喜んだのは、祖母であり女帝と呼ばれたエカテリーナ2世。彼女は孫アレクサンドルを手元に置き、スパルタ教育を施すことに。これはかつてエカテリーナ2世の姑エリザヴェータ女帝と同じやり方をしていますね。エカテリーナ女帝と息子パーヴェルの仲が良くないのは、引き離されて暮らしたことも影響を与えたのかもしれませんね。
1-2 スパルタ教育の末、教養の高い美青年へ
アレクサンドルはエカテリーナの期待に応える成長を遂げました。12人もの家庭教師を付けられ、毎日朝になると冷水浴などにも耐え、帝王教育を受けたアレクサンドル。そして青年になる頃には、すらりとした長身の優し気な顔立ちの美青年となりました。この成長にエカテリーナは大喜びしたそう。

アレクサンドルの家庭教師にはスイス人のジャコバン主義者もいて、彼は啓蒙思想を教わったそうだ。そこから自由主義の思想を持つが、同時に専制主義も習ったんだ。もしかしたらこうした主張が違う人々の中にいたら混乱してしまうかもしれないよな。
1-3 アレクサンドルの複雑な性格
しかし賢い彼は、あることに気づきました。それは父と祖母が不仲であるということ。しかもエカテリーナは自分の後継者に父パーヴェルではなく、孫の自分にするつもりとの噂が広がることに。これに対して危機感を持ったアレクサンドル。なぜなら、これまでのロマノフ朝では権力を求めたために身内で殺人や幽閉がよく行われていたからです。つまり、次期ツァーリの候補の噂が立った時点で命の危険にさらされることに。ここからでしょうか、彼の性格がとても複雑なものになったのは。アレクサンドルは命の危険を避けるために、両者の前では両者に好かれるような態度を取るようになりました。ちなみにこの対応がアレクサンドルは優柔不断であると見なされることに。
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