室町時代戦国時代日本史歴史

今川に長年監視されながらも井伊家を発展させた「井伊直虎」を戦国通サラリーマンが5分でわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。戦国時代には男性が当主となることが当たり前とされていて女性は大名や侍などを補佐する役回りをしていた。しかし補佐役ではなく家系を存続させるために当主になった女性も多くはないが実在していたようだ。

今回はその中の一人だった井伊直虎について歴史マニアでもある歴史ライターのwhat_0831と一緒に紹介していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/what

歴史の中でも戦国時代が特に好きであり知らないことは徹底的に調査する。男性視点が主体となりがちな戦国時代を女性当主だった直虎を詳しく紹介していく。

井伊直虎誕生

image by PIXTA / 49210847

遠江井伊谷城で井伊直盛の娘として誕生した直虎の幼少期から紹介していきます。

本名は次郎法師

直盛の娘として誕生した直虎でしたが、直虎の名で表記されていた書状は一通しか確認されておらず直虎自身に関しては不明となっていました。誕生年も不確かなことが多く1536年前後に誕生したとされる説が通説されています。

幼名も不明であり直盛の嫡子に男の子がおらず、親戚だった井伊直親に井伊家の家督を継がせることになっていました。ところが直親の父だった井伊直満が小野政直と今川氏により暗殺されたことで、直親と共に身を隠すことになります。

その時に、次郎法師と名乗り井伊家を出家しました。

井伊家は武田領の信濃に逃亡

直親もまた今川氏に追い詰められ身の危険を感じ武田領だった信濃に逃げていきました。これによって信濃にいる間に側室という形で塩沢氏の娘を娶っていて男女一人ずつ儲けたとされています。

また帰参できた直親は、井伊家と遠い親戚とされていた奥山氏のひよを正室として迎えたことで直虎との婚姻関係が破棄されてしまいました。帰参から五年だった1560年に井伊家を変えるきっかけになる戦が始まることになります。

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直虎は生涯独身だったとされていて、直親と婚姻するために出家という方法をとったが直親は井伊家に戻れない判断したため別の女性と婚姻したようだな。

井伊家を変えていく戦

1551年に隣国の尾張を支配していた織田信秀が亡くなったことで、跡目争いで織田家は内紛を起こしていました。その隙をつき義元は伊勢湾へ侵攻していき次々と織田領の城を攻略していきます。内紛が一段落つき織田家当主となったのは、織田信長でした。

信長も義元によって奪われた領土を奪還すべく兵を動員させ笠寺城などの奪還をすることが出来ましたが、兵力においても戦においても分があるのは義元です。そして、尾張を攻め滅ぼすべく義元は大軍を率いて織田氏と桶狭間で対峙していきました。

桶狭間で父の直盛が討たれる

兵力で勝っていた義元は、緒戦を勝利していきます。勢いに乗っていた義元でしたが、豪雨若しくは雹が降り注いだことで兵を休息させて一休みしていました。この状況を逆手に取った信長は、荒れた天候の中で奇襲攻撃を仕掛けていき義元本隊と衝突していきます。今川軍は予想外の奇襲攻撃に大混乱に陥り、兵の立て直しが出来ない状況でした。

本隊に居た直盛も織田軍を相手に奮戦するも、義元と共に討たれてしまい今川軍の敗北となります。

\次のページで「井伊家の領主に抜擢されていく」を解説!/

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