日本史歴史鎌倉時代

武士たちが勝ち取った「鎌倉時代」はどんな時代?を歴史マニアが5分でわかりやすく解説

ここからが本当のピンチ

元を退けた鎌倉幕府。しかし、これはあくまで防衛戦であって、勝ったとしても元から土地を奪うことはできません。御家人たちに戦ったご褒美として与えられるものがなかったのです。それで怒ったのは必死に戦った御家人たちでした。このころ、彼らの武器や防具、戦地への遠征費は自分で賄わなければなりません。こんなに身銭を切ったのに、一部を除いた御家人以外は報酬はゼロどころかマイナスで貧乏になってしまいます。

それで仕方なく御家人たちは商人などから借金することになりました。借金でどうにか生きるのですから、当然首が回らなくなる御家人もいるわけで。貧困にあえぐ御家人たちを見て、鎌倉幕府は彼らの借金をチャラにする徳政令を発します。

借金をチャラにした鎌倉幕府滅亡

貸したお金がチャラになるなんて、貸主からしてみればとんでもないことです。しかし、幕府に反抗することはできません。でも、またこんなことになったらイヤですよね。だから、もう御家人にはお金は貸さないということになります。そうすると、困るのは借金でなんとか生きられたカッツカツの御家人です。最初は借金がなくなってよろこんでいましたが、こうなると「なんて余計なことをしてくれたんだ!」と鎌倉幕府に不満を持ち始めます。

ここで出てきたのが後醍醐天皇でした。後醍醐天皇の二度にわたる討幕計画は失敗に終わりますが、二度目の失敗で足利尊氏が味方に付くと、六波羅探題を攻め落とします。その勢いのまま討幕軍は鎌倉軍との戦いに連戦連勝し、1333年の鎌倉の戦いにおいて鎌倉幕府を打ち倒しました。こうして鎌倉幕府は滅亡したのです。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

なんとか元の侵略を退けた鎌倉幕府だが、その後、よかれと思ってやった徳政令によって自分の首を絞めてしまったというわけだ。借りたものはちゃんと返さないと、そのしっぺ返しはおそろしいものになる。今回は鎌倉幕府自身の滅亡だったわけだ。

貴族社会から武士社会へ移行した初の幕府

それまでの貴族中心だった社会から武士の世の中へと大きく転換し、最初の将軍となった源頼朝。その後の源氏の悲劇から一転して北条氏の台頭は、なんだか仕組まれているようにも見えますね。しかし、それで約150年に及ぶ治世を築いているので、結果オーライとでも言いましょうか。元寇がなければ、もう少し長く続いていたかもしれませんね。

1 2 3 4
Share: