
3-4 大王の残酷な実験
「国王は国家第一の僕」と称したフリードリヒ。しかし残酷な一面も。大王は科学的な探求心から、生身の人間を使って様々な実験をしています。中でも残酷なものは、捨てられた赤ん坊を使ったもの。彼は赤ん坊に対して抱きあげたりすることなく、ミルクを与えるだけにするとどうなるのかを試したのです。すると赤ん坊たちは次々と死去。人にとって肌のぬくもりが大事なのが証明されることに。しかしながらこの実験はかなり残酷ですよね。啓蒙君主という立場にありながらこのような実験をするのは、現代人の感覚としてはゾッとしますね。
3-5 フランス文化に憧れた大王
フリードリヒ大王は、ドイツ出身でありながら「ドイツ語は馬丁の言葉」として使わず代わりにフランス語を使っていたそう。フランス文化にすっかり魅了されていたため、ポツダムに建てたサンスーシー宮殿もロココ文化がふんだんに取り入れられています。ちなみにサンスーシーという名は、フランス語で憂いなきという意。フリードリヒは啓蒙思想家であったヴォルテールとも親交があり、彼をサンスーシー宮殿に招き、3年間も滞在したそう。
類稀なる軍事の才能と文化人だったフリードリヒ大王
幼少期の父王からの過激な躾けや、そんな父王から逃れるため逃亡した青年が即位してそうそう大国オーストリアの領土を占領するなど誰が考えたでしょうか。父王の言いなりとなっていた気弱な青年が、オーストリア継承戦争、七年戦争によって後にマリア・テレジアから「悪魔」や「モンスター」、「シュレジエン泥棒」と罵られることになるとは。
フリードリヒは類稀なる軍事の才能と共に、啓蒙君主としてプロイセン王国内の改革を次々と成し遂げていきました。宗教に対して寛容な政策を取り、軍隊を強化しただけでなく、ヴォルテールとも親交があった文化人の一面ものぞかせています。
またフリードリヒが国内で普及させたジャガイモの栽培によって、今日のドイツの食文化にも大きな影響を与えることとなりました。そんな功績から、彼の墓にはジャガイモが供えられているとか。
国民から敬愛されたフリードリヒは今もポツダムにあるサンスーシー宮殿内にあるお墓で静かに眠っています。