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啓蒙君主と呼ばれた「フリードリヒ2世」の生涯について歴女が5分で解説!

よぉ、桜木建二だ。今日は18世紀の人物、フリードリヒ2世についてだ。彼はプロイセンの国王で啓蒙君主だった。オーストリア継承戦争や七年戦争では軍事の才能があり、楽器や文学の才能もあったことから大王とも呼ばれているんだ。

そこで今回は博識のまぁこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

totocco0630

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史好きなアラサー女子。ヨーロッパの絵画にも目がなく関連した本を読み漁っている。今回はハプスブルク家、マリア・テレジアの宿敵プロイセン王フリードリヒ2世について解説。

1 プロイセンを大国へ導いた大王

image by iStockphoto

フリードリヒ2世は、当時まだ弱小国だったプロイセンの王。しかし彼は類稀な軍事の才能によってプロイセンを一躍大国の仲間入りへと果たした人物でした。そこで今回は軍事の才、文化面にも精通したフリードリヒの生涯を解説していきます。

1-1 フリードリヒ2世とは?

フリードリヒは1712年にフリードリヒ・ヴィルヘルム1世の子として誕生。父王のフリードリヒ・ヴィルヘルムは根っからの軍人気質。芸術など理解しない父でした。しかしフリードリヒの母ゾフィーは洗練された宮廷人。フリードリヒ自身は母の影響が大きかったのでしょう。幼い頃から哲学書や音楽に親しんでいました。ちなみにフリードリヒは「反マキャヴェリ論」を著し、マキャヴェリ論を批判し君主は国家第一の僕であることを主張。哲人王との異名もあります。

1-2 プロイセンとは?

フリードリヒが生まれたプロイセン王国という国はどんな国だったのでしょうか。プロイセンの初代王、フリードリヒ1世はスペイン継承戦争でハプスブルク家側につき尽力したため、その功績を認められ公国から王国へと昇格。父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は軍事力の強化に努め、国力を高めました。フリードリヒは父の跡を継ぎ、プロイセンの三代目の王へ即位することに。

1-3 父王との確執

軍人皇帝とあだなされる父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世。息子フリードリヒとのエピソードにはこんなものがありました。後継者として期待した息子フリードリヒは音楽を愛好し、大の読書好き。父王とは真逆だったのです。両者と確執の溝は深く、フリードリヒは楽器を破壊されたり本を取り上げられたり、挙句の果てには暴力や食事を与えないなどの仕打ちに遭うことに。

1-4 祖母のゆかりの地、イギリスへ亡命を試みるも…

父王との確執に苦しんだフリードリヒ。彼は父王から、「女の腐ったようなやつ」と罵られていました。フリードリヒは父王からのかなり厳しい躾け(現代だと躾けというよりも虐待)に耐えかねイギリスへ亡命を決意。友人の少尉が彼を手引きすることに。ところがあろうことかこの計画は父王に筒抜けの状態だったのです。フリードリヒらは捕らえられ、彼の逃亡に協力した少尉は処刑されることに。フリードリヒは友人に対して「私を許してくれ」と叫び、処刑のシーンを目の当たりにし失神したというエピソードが。父王はフリードリヒを廃位するつもりでしたが、これを止めたのがハプスブルク家のカール6世。もしもカールが止めていなければその後の歴史は大きく変わっていたのかもしれませんね。

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