それじゃ、今でも評価が分かれる「ニューディール政策」。実際、どのようなことが行われたのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- ニューディール政策はフランクリン・ルーズベルト大統領が推進
- 名家に生まれたフランクリン・ルーズベルト
- ニューヨーク州知事から第32代大統領に
- 「ニューディール政策」は世界恐慌が引き金
- アメリカは黄金時代からどん底へ
- フーバー大統領は対策を講じることなく任期を終える
- 失業者を救済するために大規模な公共事業を展開
- 大規模な治水事業を通じて雇用を促進
- 政府機関としてWPAを発足、地域経済の底上げを狙う
- 金融を管理するために政府の統制力を強化
- ドルを金に交換する「金本位制」を停止
- 預金を保護してパニックを止める
- 地域活性化のために国内観光旅行を推進
- シー・アメリカ・ファースト(See America First)
- ニューディール政策を通じてさらにマニアックな国内観光が提案
- 貧民や労働者を主役とする写真や文章を収集
- 農村地帯の惨状を記録することが試みられた
- 苦難に立ち向かうアメリカ人の姿をPR
- 企業の反発を招いた「ニューディール政策」
- 裁判所はニューディール政策は「違憲」であると判断
- 第二次世界大戦の参戦は経済回復の次なる手段?
- 「ニューディール政策」の成果は賛否両論
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカの歴史を見ていくとき「ニューディール政策」を避けて通ることはできない。「ニューディール政策」は公共事業だけではなく文化的にも大きな変化を作り出した。そこで「ニューディール政策」として行われたことを解説していく。
ニューディール政策はフランクリン・ルーズベルト大統領が推進
By Social Security Online – This image is available from the United States Library of Congress‘s Prints and Photographs division under the digital ID cph.3c23278. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, Link
ニューディール政策を推進したのは第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト。世界恐慌から第二次世界大戦と、アメリカおよび世界が激しくゆれうごいた時期に政治をつかさどった人物です。
名家に生まれたフランクリン・ルーズベルト
フランクリン・ルーズベルトは、鉄道会社の副社長をつとめる父を持つ裕福な家庭に生まれました。第26代大統領のセオドア・ルーズベルトは遠縁のいとこにあたることでも知られています。
幼いころから家庭教師のもとで勉学にはげみ、ハーバード大学、コロンビア大学ロースクールと名門校に合格しました。私生活では、セオドア・ルーズベルトの姪と結婚。子どもを6人もうけ、家庭の父親としての姿も見せました。
ニューヨーク州知事から第32代大統領に
大統領になる前のフランクリン・ルーズベルトの活動の舞台はニューヨーク州。ダッチェス郡から州議会議員選挙に民主党から立候補します。1910年のことでした。ウィルソン政権から海軍次官に任命され、中米・カリブ海政策のための海軍の増強に力をそそぎます。
次の大統領選において民主党は共和党のハーディングに大敗。フランクリン・ルーズベルトはいちど政界を引退し、ニューヨークで体制を立て直します。州知事として実績を積んだのち、第32代大統領として国政に復帰するに至りました。
「ニューディール政策」は世界恐慌が引き金
By World Telegram staff photographer – Library of Congress. New York World-Telegram & Sun Collection. http://hdl.loc.gov/loc.pnp/cph.3c17261, Public Domain, Link
アメリカがニューディール政策を行うきっかけとなったのが世界恐慌。ニューヨークの証券所において株価が大暴落したことをきっかけに、世界各国の経済が連鎖反応のように悪化していきます。
アメリカは黄金時代からどん底へ
1920年代のアメリカは異常なまでの好景気。大量生産・大量消費の時代と言われ、世界一の強国にのしあがった時代でした。それに伴い異常なまでの投資ブームが沸き起こり、経済のバランスがおかしくなっていきます。
くわえて第一次世界大戦により停滞していたヨーロッパ諸国が復興。自国の工業化が進んだこともあり、アメリカ製品を購入する必要性がなくなります。大量に生産された商品が過剰気味となり、1929年の10月に株価が大暴落するに至りました。
フーバー大統領は対策を講じることなく任期を終える
アメリカは黄金時代から一転、あらゆるところにホームレスがテントで暮らす貧民街のようになりました。世界恐慌が行ったときの大統領はフーバー。彼は何も対策を講じることなくそのまま任期を終えます。
そこで新しく大統領になったのがフランクリン・ルーズベルト。世界恐慌に打ち勝つために数々の政策の実施を宣言します。これらをまとめて「ニューディール政策」と呼ぶようになりました。
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