1930年代に巻き起こった世界恐慌。その時期にアメリカが推進したのが「ニューディール政策」。アメリカはもともと政府が市場経済に関わらないことが鉄則だった。しかし、世界恐慌に打ち勝つために政府が市場経済をコントロールすることになる。そこで取り組まれたのが「ニューディール政策」だった。

それじゃ、今でも評価が分かれる「ニューディール政策」。実際、どのようなことが行われたのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカの歴史を見ていくとき「ニューディール政策」を避けて通ることはできない。「ニューディール政策」は公共事業だけではなく文化的にも大きな変化を作り出した。そこで「ニューディール政策」として行われたことを解説していく。

ニューディール政策はフランクリン・ルーズベルト大統領が推進

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By Social Security Online - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID cph.3c23278. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, Link

ニューディール政策を推進したのは第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト。世界恐慌から第二次世界大戦と、アメリカおよび世界が激しくゆれうごいた時期に政治をつかさどった人物です。

名家に生まれたフランクリン・ルーズベルト

フランクリン・ルーズベルトは、鉄道会社の副社長をつとめる父を持つ裕福な家庭に生まれました。第26代大統領のセオドア・ルーズベルトは遠縁のいとこにあたることでも知られています。

幼いころから家庭教師のもとで勉学にはげみ、ハーバード大学、コロンビア大学ロースクールと名門校に合格しました。私生活では、セオドア・ルーズベルトの姪と結婚。子どもを6人もうけ、家庭の父親としての姿も見せました。

ニューヨーク州知事から第32代大統領に

大統領になる前のフランクリン・ルーズベルトの活動の舞台はニューヨーク州。ダッチェス郡から州議会議員選挙に民主党から立候補します。1910年のことでした。ウィルソン政権から海軍次官に任命され、中米・カリブ海政策のための海軍の増強に力をそそぎます。

次の大統領選において民主党は共和党のハーディングに大敗。フランクリン・ルーズベルトはいちど政界を引退し、ニューヨークで体制を立て直します。州知事として実績を積んだのち、第32代大統領として国政に復帰するに至りました。

「ニューディール政策」は世界恐慌が引き金

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By World Telegram staff photographer - Library of Congress. New York World-Telegram & Sun Collection. http://hdl.loc.gov/loc.pnp/cph.3c17261, Public Domain, Link

アメリカがニューディール政策を行うきっかけとなったのが世界恐慌。ニューヨークの証券所において株価が大暴落したことをきっかけに、世界各国の経済が連鎖反応のように悪化していきます。

アメリカは黄金時代からどん底へ

1920年代のアメリカは異常なまでの好景気。大量生産・大量消費の時代と言われ、世界一の強国にのしあがった時代でした。それに伴い異常なまでの投資ブームが沸き起こり、経済のバランスがおかしくなっていきます。

くわえて第一次世界大戦により停滞していたヨーロッパ諸国が復興。自国の工業化が進んだこともあり、アメリカ製品を購入する必要性がなくなります。大量に生産された商品が過剰気味となり、1929年の10月に株価が大暴落するに至りました。

フーバー大統領は対策を講じることなく任期を終える

アメリカは黄金時代から一転、あらゆるところにホームレスがテントで暮らす貧民街のようになりました。世界恐慌が行ったときの大統領はフーバー。彼は何も対策を講じることなくそのまま任期を終えます。

そこで新しく大統領になったのがフランクリン・ルーズベルト。世界恐慌に打ち勝つために数々の政策の実施を宣言します。これらをまとめて「ニューディール政策」と呼ぶようになりました。

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失業者を救済するために大規模な公共事業を展開

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By WPA - Own work, Public Domain, Link

世界恐慌の影響によりアメリカには大量の失業者があふれかえります。このような人々の仕事を提供することが課題。そこで大規模な公共事業を立ち上げ、そこで雇用を促進することが試みられました。

大規模な治水事業を通じて雇用を促進

ニューディール政策の一環として行われたのが大規模な治水事業。とくに有名なものがTVA(テネシー川流域開発公社)です。アメリカ中東部をながれるテネシー川に32の多目的ダムを建設。失業者を雇用して賃金をあたえました。

TVAがどれだけ経済によい影響を与えたのかは賛否両論があります。経済の立て直しにほどんど影響を与えなかったとの見方が有力。ただ、結果として、これまで放置されていた農村地帯の居住環境を改善したという意見もあります。

政府機関としてWPAを発足、地域経済の底上げを狙う

さらなる効果を狙って「大統領令」により発足したのが公共事業促進局。通称WPAと呼ばれる政府機関です。WPAは肉体労働をするための場を提供するために、高速道路、道路、建築物、空港、ダム、下水道、公園、図書館などを建設しました。

さらにWPAは仕事を失った芸術家の救済にも着手。アメリカ各地でコンサートをひらいたり、画集や写真集の出版を企画しました。また、研究者を雇用して地域の歴史や文化の調査などもすすめていきます。

金融を管理するために政府の統制力を強化

image by PIXTA / 11707570

フランクリン・ルーズベルトは就任するとすぐに銀行の実態を調査。世界恐慌の引き金となった原因のひとつが過剰な投資ブームであったことから、その影響を切り離す取り組みをすすめました。

ドルを金に交換する「金本位制」を停止

景気が悪化すると現金を「金」に交換する流れが起きます。なぜなら金は世界のどこでも交換することができ、価値が大きく下がることが少ないから。そこでアメリカ政府は、ドルを金に交換する「金本位制」を停止することを決定。ドルの価値がこれ以上下がることを食い止めようとします。

さらに、通貨の発行に対しても政府は関与を強めました。具体的には「管理通貨制度」というものを導入。通貨を発行する権利を銀行から政府に移行させます。銀行は、世界恐慌の影響もあり、破綻状態にありました。そこで政府がその役割を果たす仕組みをつくったのです。

預金を保護してパニックを止める

銀行が破綻状態になると発生するのが預金者のパニック。銀行にお金を預けている人々が一斉にお金を引き出そうとします。それにより銀行は経営を維持することが困難に。そうなると融資をうけている企業などにも影響がおよび、倒産という負の連鎖が引き起こされます。

そこでフランクリン・ルーズベルトは銀行に預金している人々を保護するために「連邦預金保険公社」を設立。さらなる預金の流出を止めることを試みます。そして、銀行を健全な状態に回復されるために制定したのが「グラス・スティーガル法」。銀行と証券を分離させました。

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地域活性化のために国内観光旅行を推進

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By Michigan Department of Transportation - Michigan Department of Transportation, Public Domain, Link

アメリカ政府は雇用を創出するためにさまざまな公共事業を展開。そのひとつが高速道路を含めた道路の建設です。アメリカ国内のすみずみなで道路を拡張したらそこを通る車が必要になります。そこで国内環境旅行を推奨しました。

シー・アメリカ・ファースト(See America First)

アメリカでは19世紀末よりヨーロッパを観光する人が増えていきます。そこでアメリカ国内の旅行会社や鉄道会社は「ヨーロッパに行くのなら、まずアメリカを見よう」という趣旨で「シー・アメリカ・ファースト」運動を展開します。とくに鉄道沿線を中心に観光名所を作り、それを紹介するガイドブックを出版。「シー・アメリカ・ファースト」運動の趣旨は愛国心。アメリカの風景や文化を見ることで「アメリカを知る」ことを強調。ニューディール期の国内観光政策はこの延長上にあります。

ニューディール政策を通じてさらにマニアックな国内観光が提案

ニューディール政策による道路の建設は、観光地とは程遠い田舎にまで至ります。そこに旅行に行く人を増やすために、その地域の歴史を案内するガイドブックを数多く出版。その地域にある自然や、そこに住む普通の人々の生活を見ることに意味を見出そうとしました。

実際、その観光ガイドブックを見て地方に赴いた人がどれだけいたのかは疑問。それほど大きな効果はなかったと思われます。しかし、ガイドブックを編纂するために行われた各種調査は、アメリカの地方史を明らかにすることに貢献しました。

貧民や労働者を主役とする写真や文章を収集

FERA, Camps for Unemployed Women, Maine - NARA - 196588.tif
By Unknown or not provided - U.S. National Archives and Records Administration, Public Domain, Link

ニューディール政策における一連の政策のなかで、現在もっとも評価されているのは芸術分野なのかもしれません。そのひとつがFSA(農業安定局)による写真収集のプロジェクトです。

農村地帯の惨状を記録することが試みられた

世界恐慌による不景気でとくに深刻な影響を受けたのが農村地帯。その惨状を記録するためのプロジェクトが立ち上げられました。その中心となったのがFSAに歴史ディレクターとして雇用された経済学者のロイ・ストライカーです。

ロイ・ストライカーのもと、ウォーカー・エヴァンズをはじめとする写真家が集められました。彼らには多くの資金が与えられ、とくに影響が大きかった南西部の農村地帯で写真撮影を行います。また、ルイス・ハインは貧民街に住む人々の記録を試みました。

苦難に立ち向かうアメリカ人の姿をPR

このように貧困に苦しむ農村地帯や貧民街を記録したことには明確な理由が。世界恐慌の影響で苦しむ人々が、力強く生きる姿を写真に記録することで「苦難に立ち向かうアメリカ人」をアピールしようとしたのです。

フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策に賛同する流れを作り出したかどうかは別にして、実際、これらの写真は大きな反響を呼びました。1942年までに27万点以上もの写真を撮影。これまで記録されることがなかった人々の姿が写真として保存されました。

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企業の反発を招いた「ニューディール政策」

image by PIXTA / 21136504

フランクリン・ルーズベルトによるニューディール政策は、自由経済に規制をかけて企業の競争を抑えるもの。そのため徐々に大企業からの反発が強まっていきます。

裁判所はニューディール政策は「違憲」であると判断

1934年、フランクリン・ルーズベルトの政策に反対する勢力によってつくられたのが「アメリカ自由連盟」。とくに大企業がこの連盟に加わりました。「アメリカ自由連盟」が中心となり自由経済を基礎とする政策を推し進めます。

さらに追い打ちをかけるように、ニューディール政策による政府の過剰な市場関与は「違憲」であると裁判所が判断。企業の活動をつよく規制する諸政策は大統領の権限をこえたものであるとされました。

第二次世界大戦の参戦は経済回復の次なる手段?

ニューディール政策は一時的に雇用を促すことには成功しましたが、アメリカ経済を回復させるまでには至りませんでした。そこでフランクリン・ルーズベルトがとった次の手段が第二次世界大戦に参戦することだったと言われています。

日本による真珠湾攻撃をきっかけにアメリカは軍事規模を拡大。大量の軍需品を生産する方針に切り替えます。それにより労働者を軍需工場に動員。軍需が経済を引き上げる結果となりました。それによりアメリカの経済は回復していきます。

「ニューディール政策」の成果は賛否両論

「ニューディール政策」は、実際にどのような成果があったのか疑問に残るところが多いことは事実。なんの成果もなかったとする意見もあります。しかし、経済が悪化したときに国内にどのような影響が出てくるのか、そのとき国、銀行、企業はどのように対応すればいいのか、反面教師として教えてくれることも多数。また、芸術や文化などの政策に目をむけてみると、教科書にでてくる「ニューディール政策」とは異なるおもしろさが見えてくると思います。

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アメリカの歴史世界史歴史独立後

「ニューディール政策」を通じて具体的に何をしたの?その実態を元大学教員がわかりやすく解説

1930年代に巻き起こった世界恐慌。その時期にアメリカが推進したのが「ニューディール政策」。アメリカはもともと政府が市場経済に関わらないことが鉄則だった。しかし、世界恐慌に打ち勝つために政府が市場経済をコントロールすることになる。そこで取り組まれたのが「ニューディール政策」だった。

それじゃ、今でも評価が分かれる「ニューディール政策」。実際、どのようなことが行われたのか、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカの歴史を見ていくとき「ニューディール政策」を避けて通ることはできない。「ニューディール政策」は公共事業だけではなく文化的にも大きな変化を作り出した。そこで「ニューディール政策」として行われたことを解説していく。

ニューディール政策はフランクリン・ルーズベルト大統領が推進

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By Social Security Online – This image is available from the United States Library of Congress‘s Prints and Photographs division under the digital ID cph.3c23278. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, Link

ニューディール政策を推進したのは第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト。世界恐慌から第二次世界大戦と、アメリカおよび世界が激しくゆれうごいた時期に政治をつかさどった人物です。

名家に生まれたフランクリン・ルーズベルト

フランクリン・ルーズベルトは、鉄道会社の副社長をつとめる父を持つ裕福な家庭に生まれました。第26代大統領のセオドア・ルーズベルトは遠縁のいとこにあたることでも知られています。

幼いころから家庭教師のもとで勉学にはげみ、ハーバード大学、コロンビア大学ロースクールと名門校に合格しました。私生活では、セオドア・ルーズベルトの姪と結婚。子どもを6人もうけ、家庭の父親としての姿も見せました。

ニューヨーク州知事から第32代大統領に

大統領になる前のフランクリン・ルーズベルトの活動の舞台はニューヨーク州。ダッチェス郡から州議会議員選挙に民主党から立候補します。1910年のことでした。ウィルソン政権から海軍次官に任命され、中米・カリブ海政策のための海軍の増強に力をそそぎます。

次の大統領選において民主党は共和党のハーディングに大敗。フランクリン・ルーズベルトはいちど政界を引退し、ニューヨークで体制を立て直します。州知事として実績を積んだのち、第32代大統領として国政に復帰するに至りました。

「ニューディール政策」は世界恐慌が引き金

Bank of the United States failure NYWTS.jpg
By World Telegram staff photographer – Library of Congress. New York World-Telegram & Sun Collection. http://hdl.loc.gov/loc.pnp/cph.3c17261, Public Domain, Link

アメリカがニューディール政策を行うきっかけとなったのが世界恐慌。ニューヨークの証券所において株価が大暴落したことをきっかけに、世界各国の経済が連鎖反応のように悪化していきます。

アメリカは黄金時代からどん底へ

1920年代のアメリカは異常なまでの好景気。大量生産・大量消費の時代と言われ、世界一の強国にのしあがった時代でした。それに伴い異常なまでの投資ブームが沸き起こり、経済のバランスがおかしくなっていきます。

くわえて第一次世界大戦により停滞していたヨーロッパ諸国が復興。自国の工業化が進んだこともあり、アメリカ製品を購入する必要性がなくなります。大量に生産された商品が過剰気味となり、1929年の10月に株価が大暴落するに至りました。

フーバー大統領は対策を講じることなく任期を終える

アメリカは黄金時代から一転、あらゆるところにホームレスがテントで暮らす貧民街のようになりました。世界恐慌が行ったときの大統領はフーバー。彼は何も対策を講じることなくそのまま任期を終えます。

そこで新しく大統領になったのがフランクリン・ルーズベルト。世界恐慌に打ち勝つために数々の政策の実施を宣言します。これらをまとめて「ニューディール政策」と呼ぶようになりました。

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