また、五大老を学ぶ時に立ちはだかる難問が五奉行であり、こちらもまた豊臣政権の政務を行っていて紛らわしい。そこで、今回は五大老について分かりやすく日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。
ライター/リュカ
元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から五大老をわかりやすくまとめた。
違いその1. 政治における役割
まず、紛らわしい五大老と五奉行の違いを理解しておきましょう。どちらも豊臣政権の政治を担当するという点では同じですが、その役割には差があり、五大老の役割が豊臣政権の政治を一手に掌握することなのに対して、五奉行は豊臣政権の実務を役割としていました。
豊臣政権における実務……すなわち、司法、土木、行政、宗教、財政を五奉行が担っており、その上に顧問として置かれたのが五大老です。つまり、単純に権力の差を比較すれば「五大老>五奉行」であり、五奉行の上に五大老が存在することになります。
現代の政治に例えるなら、豊臣秀吉が内閣総理大臣だとして五大老は内閣の構成員(国務大臣)、五奉行は国家の政策決定に影響を持つ国家公務員(官僚)と言ったところでしょう。このため、五大老と五奉行の違いその1は「役割が違う」と考えてください。
違いその2. 豊臣秀吉との関係
次に五大老と五奉行の違いその2、それは主である豊臣秀吉との関係です。五大老は有力大名によって構成されており、これも現代で例えるならプロ野球の各チームの4番打者を集めたオールスター軍団……つまり、五大老は大名のオールスター軍団と言ったところでしょう。
一方、五奉行は元々豊臣秀吉が雇っていた人物が集まっていますから、同様の例え方をするなら自軍のプロ野球の自軍のチームの中から厳選した選手達と言ったところです。豊臣秀吉は、自身の政権とは無関係だった有力な大名を集めて豊臣政権の中に組み込みました。
そしてそのメンバーが五大老であり、一方で直接雇っていたメンバーの中から厳選して五奉行を作ります。「力を持つ有力大名達を自らに従わせ、さらに優秀な家臣達に政治の実務を担当させる」……これが豊臣秀吉が作った政治体制であり、そのため五大老と五奉行の違いその2は「豊臣秀吉との関係が違う」と考えてください。
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