幕末日本史明治明治維新歴史江戸時代

蘭学者にして日本の軍隊の創始者「大村益次郎」について歴女がとことん解説

4-1、大村益次郎の逸話

天才的で秀才肌の人ですが、色々な逸話があります。

4-2、豆腐と骨董品が好き

適塾時代でも豆腐を肴にひとりでお銚子2本の酒を飲むのが好きだったということで、料亭で芸者さんを呼んでどんちゃん騒ぎという宴会は大嫌い、益次郎と飲んでいても全然酒がうまくなかったと言われたそう。

また、骨董品、特に掛け軸が好きなのに、1両以上の値段のものは決して買わないと決めていたということ。

4-3、火吹き達磨と仇名される

この仇名は高杉晋作か周布政之助が付けたと言われていますが、益次郎は自分の風貌を嫌っていたらしくて写真は一枚も存在せず。

4-4、兵士のための細かい気配りが

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By 大熊氏廣投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link

益次郎は、戊辰戦争時、奥州北陸に遠征する兵士の食事について、「兵食というものは、まことに粗末なもので、兵士が頼りにするのは米ばかり」と、絶えず米糧のチェックを行ったとか、明治2年(1868年)6月、益次郎は、戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、東京招魂社(現在の靖国神社)の建立を献策、欧米の無名戦士の墓を参考にしたのかもしれないですが、意外なほど気配りが出来るところもあったのですね。

4-5、名言

司馬遼太郎氏によれば、益次郎が、頼まれてオランダ語の兵学書などを読んで翻訳し、講義したりするだけで内容を把握し実戦に役立てて戦争に勝ったのは、天性の勘を持っていたからだということで、「戦術を知っていても、戦略を知らないものはついに国家をあやまつ」という驚くべき先覚的な名言を。

4-6、楠本イネとの関係

益次郎は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本に残した娘、楠本イネを、シーボルトの弟子の二宮敬作に紹介されて蘭学を教え、その後も医学を巡って交流あり。このイネさんとのほのかな恋愛のような関係が、正直言って合理的で人間味がないといってもいい大村益次郎の唯一のほのぼのした逸話かも。
イネさんは、益次郎が凶刃に倒れたとき、当時開業していた横浜から大阪まで駆けつけて最期まで看病したと言われています。

時代の変革期にあらわれた技術者

大村益次郎は、ペリー来航前から蘭学を勉強、村のお医者さんとして一生を終わるはずが、ペリー来航後、オランダ語が読めるために、それも非常に優秀で合理的な頭脳を持ち、わかりやすく教えられるために重用されました。

兵学書の翻訳、講義も頼まれたが、なぜか本を読んだだけで自分で兵隊を動かして戦争に勝つ能力を発揮して戊辰戦争に貢献、そのうえに新政府の新しい軍制度、長年続いた武士制度にこだわらずに軍を作る構想を持ち、西南戦争の予想までしていたという、天才としか思えない人でした。

しかし抜群の合理的な考えと実行力は役に立っても、相手の立場を考えないコミュニケーション障害のせいで恨みを買って暗殺されてしまい、司馬遼太郎のいわゆる革命の完成人として登場し去ったとしているような気がします。

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