フランスヨーロッパの歴史世界史歴史

夫の寵姫に悩まされたフランス王妃「カトリーヌ・ド・メディシス」を歴女がわかりやすく解説

3-4、次女クロード

(1547年11月12日 – 1575年2月21日)12歳で ロレーヌ公シャルル3世と結婚、9人の子をもうけたが9人目を出産後に死亡。分別がありカトリーヌのお気に入りの娘だったが、他の兄妹同様体が弱かったということ。

3-5、3男シャルル9世

(1550年6月27日 – 1574年5月30日) 1570年にエリザベート・ドートリッシュ(オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の娘)と結婚。子供の頃結核にかかり、やはり体が弱かったということ。

3-6、4男アンリ3世

(1551年9月19日 – 1589年8月2日)青少年期まではカトリーヌの子たちの中で最も出来の良い息子と言われたそう。

1573年、アンリはポーランド王に選出されたが、1574年兄のシャルル9世の訃報を聞き、深夜にポーランドをトンズラしてフランスへ帰国、アンリ3世として即位。1575年にルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンと結婚。カトリーヌの死の8ヶ月後にカトリック修道士によって暗殺。

3-7、3女マルグリット

(1553年5月14日 – 1615年3月27日)教養があり宮廷の華と言われる絶世の美女。最初カトリーヌは長女エリザベート亡き後、スペイン王フェリペ2世の後添えにと勧めていたがうまくいかず。

また、マルグリットはギーズ公アンリと

3-8、5男アンジュー公フランソワ

(1555年3月18日 – 1584年6月19日)アンジュ―公の前はアランソン公。22歳年上のイギリスのエリザベス1世との結婚を期待されたが、兄アンリ3世に先立って早世。

4-1、ユグノー戦争

ヨーロッパは宗教改革のあおりで、フランス国内でもカトリックと新教の対立と貴族間の勢力争いが激化してカオスでした。

1569年、ヴァシーでカトリック側の中心にあったギーズ公一派が新教徒を虐殺したのがきっかけになって宗教対立は内乱に。30年の間に8回の戦闘が行われたユグノー戦争に。

4-2、サン・バルテルミの大虐殺

1572年、カトリーヌが新旧両派の融和をはかるために、娘のマルグリットと新教派の中心人物ナヴァール王アンリ・ド・ブルボン(後のアンリ4世)との政略結婚を挙行。
結婚式のために集まったユグノー派新教徒3000人が、8月24日のサン・バルテルミの日にカトリック教徒派によって殺害された事件。カトリーヌが虐殺を指示した証拠はないとはいえ、この事件がきっかけになってフランス全土にユグノー派弾圧が起こり、約2万が殺害されて泥沼に。

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