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夫の寵姫に悩まされたフランス王妃「カトリーヌ・ド・メディシス」を歴女がわかりやすく解説

2-1、カトリーヌ・ド・メディシス、フランス王妃に

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By Unidentified painter – Susanne Girndt (Red.): Schlösser der Loire. Bassermann, Niedernhausen 1996, ISBN 3-8094-0290-7, S. 75, パブリック・ドメイン, Link

1547年、フランソワ1世が病死。夫アンリは国王アンリ2世として即位しカトリーヌは王妃に。尚、カトリーヌの子供たちは生まれるとすぐに田舎へ送られ、少し成長すると宮廷へ戻されてディアーヌが教育。せっかく生まれた子供たちも取り上げられてしまったようなものだが、カトリーヌはそれでもじっと耐えたそう。

2-2、アンリ2世急死

1559年6月30日、アンリ2世の妹マルグリットと娘エリザベート、それぞれの結婚を祝う宴で行われた馬上槍試合で、アンリ2世は対戦相手のモンゴメリ伯の槍が右目に刺さり重傷を負い、7月10日に41歳で死亡。

15歳の長男フランソワ2世が即位し、以後30年に渡ってカトリーヌは摂政、母后として権力をにぎることに。

2-3、カトリーヌ、ディアーヌを追放

image by PIXTA / 14211428

夫アンリがディアーヌにプレゼントした宝石や城などはリストにしてあり、カトリーヌはディアーヌ返せと迫った説と、60歳になっていたディアーヌは、アンリ2世の愛の言葉の刻印を消したうえですべてを自主的に返したという説あり。

カトリーヌもそれ以上の仕返しをすることなく、ディアーヌにはシュノンソー城の代わりにショーモン城を与え、ディアーヌは他の城に引きこもって残りの生涯を静かに過ごしました。

2-4、フランソワ2世の王妃はスコットランド女王メアリ

この頃、ロレーヌ公の息子でカトリーヌの夫アンリ2世の幼馴染でもあるフランソワがギーズ公に。フランソワの姉のメアリはスコットランド王ジェームズ5世と結婚、1538年にスコットランド女王メアリを産んだのですが、メアリ女王は5歳半の時にフランス宮廷に連れて来られて、カトリーヌの長男王太子フランソワと婚約。カトリーヌ・ドはメアリ女王を自分の子供たちと一緒に育てましたが、カトリーヌのことを薬屋の娘とか、けっこう見下されていたよう。

ということで、フランソワ2世とメアリ女王夫妻のバックには、メアリの母の実家ギーズ公フランソワとロレーヌ枢機卿がいて権力を掌握、しかしフランソワ2世は1年後に病死、10歳の次男シャルル9世が即位しカトリーヌが摂政に

3-1、カトリーヌ・ド・メディシスの子供たち

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By 不明http://www.kleio.org/bilderkatalog/tudors_stuarts/buch2-934.htm, パブリック・ドメイン, Link

カトリーヌの産んだ5男5女のうち、フランス国王になった息子は3人ですが、ほとんど母カトリーヌよりも早死で、しかも期待外れの子供ばかりでした。

3-2、長男フランソワ2世

(1544年1月19日 ~ 1560年12月5日)生まれたときから病弱で、常に耳から膿を出している状態、 1558年、スコットランド女王メアリと結婚し熱愛していたが、16歳で早世、メアリはスコットランドへ帰り、波乱の人生が。

3-3、長女エリザベート

(1545年4月2日 ~ 1568年10月3日)スペイン王太子ドン・カルロスと婚約したが、1559年に18歳年上のドン・カルロスの父スペイン王フェリペ2世の3人目の王妃となり、2女をもうけ3人目の死産後に死亡。

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