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チャールズ王太子に抜かれた王太子歴60年の「エドワード7世」意外な外交上手について歴女がわかりやすく解説

今回はエドワード7世を取り上げるぞ。長命だった母ヴィクトリア女王の陰に隠れた存在です。

その辺のところを昔からウィンザー家に興味を持っていたというあんじぇりかと一緒に解説していきます。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女。ヨーロッパの王室に興味津々、例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、エドワード7世について5分でわかるようにまとめた。

1-1、エドワード7世は、ヴィクトリア女王の長男

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1841年11月9日、ヴィクトリア女王とアルバート公の長男としてバッキンガム宮殿で誕生。12月4日にプリンス・オブ・ウェールズの称号を得て、1842年1月25日に洗礼を受け、父の名と祖父でヴィクトリア女王の父ケント公エドワードの名をとってアルバート・エドワードと命名、愛称は「バーティ」。
年子の姉にヴィクトリア(愛称ヴィッキー)、以下、弟妹としてアリス、アルフレッド、ヘレナ、ルイーズ、アーサー、レオポルド、ベアトリスが次々と生まれて、きょうだいは9人。

後にきょうだいはそれぞれヨーロッパの王室と結婚、孫、甥、姪と親族が増え、ヴィクトリア女王はヨーロッパの祖母、エドワード7世はヨーロッパの伯父と呼ばれたということ。

 

1-2、子供時代は賢い姉の存在が大きかった

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By フランツ・ヴィンターハルターRoyal Collection RCIN 405413, 投稿者自身による作品, user:Rlbberlin, パブリック・ドメイン, Link

両親のヴィクトリア女王とアルバート公はいとこ同士で同い年、若くして結婚して子沢山、エドワード7世は愛ある家庭で育ちました。

しかし、両親の期待を一身に受けた賢すぎる年子の姉ヴィッキーの存在が大きく、姉に較べてエドワード7世は幼少時から不詳の息子と両親をがっかりさせたそう。
姉のヴィッキーは父のアルバートから優れた知性を受け継ぎ、幼少期から、フランス語、ドイツ語、ラテン語を教えられ、5歳になるまでに語学は完全にマスター、母ヴィクトリア女王譲りの画才もあり、厳格なために子供たちに敬遠され気味だった父アルバート公の大のお気に入りの娘で、もし男だったら偉大な君主となったかもといわれたほどで、18歳でプロイセンのフリードリッヒ皇太子と結婚。

1-3、ヴィクトリア女王は愚かな息子と酷評

エドワード7世が社交的なところは認めていたようですが、あまりにも勉強ができないせいで、母ヴィクトリア女王は「バーティーに勉強をあまり詰め込み過ぎないように」と家庭教師にクギをさしたほど。
ヴィクトリア女王は日記を書いていたし(一部しか現存せず)、長女ヴィッキーや親族との手紙のやり取りも頻繁で、膨大な資料が残っているのですが、ヴィッキーに当てた手紙でも、エドワード7世については怠け癖だけでなく、唇や鼻など風貌も気に食わなかったようです。

1-5、エドワード7世、子供の頃からヨーロッパ各地を歴訪

この時代になると、蒸気機関車や蒸気船などの交通が発達したせいか、お金持ちは旅行しまくり、冠婚葬祭など王族同士の交流も盛んに。

そしてイギリス貴族らの間に子弟をヨーロッパ旅行させて見聞を広めるのが流行。

エドワード7世も、8歳のとき姉と両親と共にフランスを公式訪問した際、ナポレオン3世皇帝(ナポレオン1世の甥)が馬車に乗せてくれたときに、「あなたの子供ならよかったのに」と言ったという話がありますが、1852年にはベルギーの大叔父レオポルド1世を訪ねたり、1855年にはフランスを訪問、1859年1月から5月にかけてイタリアに留学など、若くして旅に出て修業を。

1-6、エドワード7世、大学で問題を起こす

エドワード7世は1859年10月にオックスフォード大学に入学、これはイギリス歴代国王で初めての大学入学。在学中の1860年7月から11月までイギリス領カナダ、アメリカ合衆国各地を歴訪。1861年夏に陸軍に入隊したが、10月にはケンブリッジ大学へ転校。

しかしエドワード7世は不良学生仲間が多く、その頃付き合っていた女優のネリー・クリフデンが、エドワード7世との仲を暴露してスキャンダルに。

そこで11月に体調不良だった父アルバートが無理をしてケンブリッジを訪問、エドワード7世に説教を。この無理がたたってアルバートの体調が悪化、12月に42歳で死去。ヴィクトリア女王は愛するアルバート公の死の原因となった「愚かな息子」エドワード7世を許さず、公務からも遠ざけたということ。

\次のページで「2-1、エドワード7世、デンマーク王女と結婚」を解説!/

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