
その辺のところを昔からウィンザー家に興味を持っていたというあんじぇりかと一緒に解説していきます。
- 1-1、エリザベス2世はジョージ6世の長女
- 1-2、エリザベス2世の子供時代
- 1-3、伯父エドワード8世の退位で父が即位、推定相続人に
- 1-4、第二次世界大戦では疎開せず、その後、軍で働くことに
- 1-5、エリザベス2世、ラジオでスピーチも
- 1-5、エリザベス2世、18歳で国防軍に入隊
- 1-6、エリザベス2世、21歳の誕生日にラジオ演説で誓いを述べる
- 2-1、エリザベス2世の結婚問題
- 2-2、ジョージ6世とエリザベス王妃は慎重な姿勢
- 2-3、エリザベス2世、フィリップ王子と結婚
- 2-4、父ジョージ6世死去でエリザベス2世が即位
- 3-1、戴冠式は史上初のテレビ中継に
- 3-2、妹マーガレット王女の恋愛問題
- 4-1、エリザベス2世の逸話
- 4-2、サラブレッドのブリーダー
- 4-3、ウェルシュ・コルギー、ラブラドル・リトリバーの犬舎を所有
- 4-4、1990年代の王室スキャンダルのときは
- 4-5、家族のアルバムの写真ではダイアナ妃を消去
- 4-6、経済観念もしっかりと
- 4-7、歴史もの映画やテレビの間違い探しが趣味
- 歴史を体現する最後の女王
この記事の目次

ライター/あんじぇりか
子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女。ヨーロッパの王室に興味津々、例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、エリザベス2世について5分でわかるようにまとめた。
1-1、エリザベス2世はジョージ6世の長女
エリザベス2世は、1926年4月21日、ロンドン市内の母方の祖父の家で誕生。
父は、ジョージ5世の次男でヨーク公アルバート(後のジョージ6世)、母はスコットランド貴族第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの末女エリザベスで、帝王切開だったということ。
洗礼名は、エリザベス・アレクサンドラ・メアリで、母エリザベス、曾祖母のエドワード7世王妃アレクサンドラ、祖母メアリ・オブ・テックにちなんだ命名。
尚、エリザベス2世本人が舌が回らない子供時代に「エリザベス」の発音が難しくて「リリベット」としか言えなかったせいでそれが愛称に。
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1-2、エリザベス2世の子供時代
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王位継承権は、伯父の王太子エドワード(エドワード8世)、父のヨーク公アルバート(ジョージ6世)に次ぐ3位。
しかし伯父の王太子エドワードが結婚して子供が生まれたり、エリザベス2世の弟が生まれる可能性があったため、エリザベス2世は生まれながらにそれほど注目されていたわけではなかったということ。
しかし祖父のジョージ5世は当時はたった一人の孫だったエリザベス2世を溺愛、1929年に大病を患ったときに定期的に見舞いに訪れたことが、病気の回復を早めるのに一役買ったという話。
1930年、4歳違いの妹マーガレットが誕生。当時は、女性は特に教育が重視されておらず、エリザベス2世は学校へは行かずに家庭教師によって教育を。
家庭教師は、祖母メアリ・オブ・テック王妃に、「この子は将来にわたってお金の心配をしなくていいが、ヨーロッパの親戚の前で恥をかかないように、算数よりも歴史や系図を教えてやってちょうだい」と言われたそう。
女性家庭教師が後に記した伝記では、「(エリザベス2世)は子供の頃から馬や犬などの動物好きで、規律正しく責任感の強い性格」。たしかジョージ5世夫妻がヨーク公夫妻の屋敷を訪問して、家庭教師に孫娘はどうかねと聞かれたとき、「馬が好きすぎて困ります」と言ったら、「それは我が家の血だから仕方がないよ」と言われたそう。
BBCの王室記者によれば、現在も「馬>犬>男性>女性」が、話し易く親しみを感じている順番だという話。
またエリザベス2世即位後、最初の首相でもあったウィンストン・チャーチルも、当時2歳だったエリザベス2世を「子供ながら驚くほど威厳と沈思のある態度だった」と回想。
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1-3、伯父エドワード8世の退位で父が即位、推定相続人に

エリザベス2世が10歳のとき、1936年1月、祖父ジョージ5世国王の崩御で伯父エドワード8世が即位。しかしアメリカ人女性で2度の離婚歴のあるウォリス・シンプソンとの結婚問題について、当時のスタンリー・ボールドウィン首相らが退位を迫った結果、同年12月に退位。
そして、エドワード8世の弟でエリザベス2世の父ヨーク公が、ジョージ6世として即位。王位継承権者第1位となったエリザベス2世は一家でバッキンガム宮殿に移住、王太子ではなく推定相続人に。
このときはまだ弟が生まれる可能性もあったため、また子供心にも将来の重責を予感したエリザベス2世は毎晩、「弟が生まれますように」とお祈りした話は有名。
1-4、第二次世界大戦では疎開せず、その後、軍で働くことに
By Ministry of Information official photographer – http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib//20/media-20543/large.jpg This is photograph TR 2832 from the collections of the Imperial War Museums. , パブリック・ドメイン, Link
1939年9月3日にイギリスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発。1941年12月8日には極東で日本とも戦争状態になり、1945年8月15日日本の降伏まで続くことに。
ロンドンにも何度もドイツ軍による空襲があったので、ロンドン居住の多数の子供が疎開していた頃、国王一家のエリザベス王女とマーガレット王女姉妹についても、政府から安全なカナダへの疎開が提案。しかし母エリザベス王妃が「私の子供たちは私のもとを離れません。また、私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と述べて拒否、バッキンガム宮殿で国王一家は居住、王室所有のスコットランドのバルモラル城やノーフォーク州のサンドリンガム離宮、ウィンザー城などで過ごすことも。
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