今回はエリザベス2世を取り上げるぞ。現在、在位記録更新中、まだまだお元気な現役バリバリの女王様ですが、若い頃はどんな人生だったのかな。

その辺のところを昔からウィンザー家に興味を持っていたというあんじぇりかと一緒に解説していきます。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女。ヨーロッパの王室に興味津々、例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、エリザベス2世について5分でわかるようにまとめた。

1-1、エリザベス2世はジョージ6世の長女

エリザベス2世は、1926年4月21日、ロンドン市内の母方の祖父の家で誕生。
父は、ジョージ5世の次男でヨーク公アルバート(後のジョージ6世)、母はスコットランド貴族第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの末女エリザベスで、帝王切開だったということ。
洗礼名は、エリザベス・アレクサンドラ・メアリで、母エリザベス、曾祖母のエドワード7世王妃アレクサンドラ、祖母メアリ・オブ・テックにちなんだ命名。
尚、エリザベス2世本人が舌が回らない子供時代に「エリザベス」の発音が難しくて「リリベット」としか言えなかったせいでそれが愛称に

1-2、エリザベス2世の子供時代

Queen Mary with Princess Elizabeth and Margaret.jpg
パブリック・ドメイン, Link

王位継承権は、伯父の王太子エドワード(エドワード8世)、父のヨーク公アルバート(ジョージ6世)に次ぐ3位。

しかし伯父の王太子エドワードが結婚して子供が生まれたり、エリザベス2世の弟が生まれる可能性があったため、エリザベス2世は生まれながらにそれほど注目されていたわけではなかったということ。
しかし祖父のジョージ5世は当時はたった一人の孫だったエリザベス2世を溺愛、1929年に大病を患ったときに定期的に見舞いに訪れたことが、病気の回復を早めるのに一役買ったという話。

1930年、4歳違いの妹マーガレットが誕生。当時は、女性は特に教育が重視されておらず、エリザベス2世は学校へは行かずに家庭教師によって教育を。
家庭教師は、祖母メアリ・オブ・テック王妃に、「この子は将来にわたってお金の心配をしなくていいが、ヨーロッパの親戚の前で恥をかかないように、算数よりも歴史や系図を教えてやってちょうだい」と言われたそう。

女性家庭教師が後に記した伝記では、「(エリザベス2世)は子供の頃から馬や犬などの動物好きで、規律正しく責任感の強い性格」。たしかジョージ5世夫妻がヨーク公夫妻の屋敷を訪問して、家庭教師に孫娘はどうかねと聞かれたとき、「馬が好きすぎて困ります」と言ったら、「それは我が家の血だから仕方がないよ」と言われたそう。

BBCの王室記者によれば、現在も「馬>犬>男性>女性」が、話し易く親しみを感じている順番だという話

またエリザベス2世即位後、最初の首相でもあったウィンストン・チャーチルも、当時2歳だったエリザベス2世を「子供ながら驚くほど威厳と沈思のある態度だった」と回想。

1-3、伯父エドワード8世の退位で父が即位、推定相続人に

image by PIXTA / 41864887

エリザベス2世が10歳のとき、1936年1月、祖父ジョージ5世国王の崩御で伯父エドワード8世が即位。しかしアメリカ人女性で2度の離婚歴のあるウォリス・シンプソンとの結婚問題について、当時のスタンリー・ボールドウィン首相らが退位を迫った結果、同年12月に退位。

そして、エドワード8世の弟でエリザベス2世の父ヨーク公が、ジョージ6世として即位。王位継承権者第1位となったエリザベス2世は一家でバッキンガム宮殿に移住、王太子ではなく推定相続人に。
このときはまだ弟が生まれる可能性もあったため、また子供心にも将来の重責を予感したエリザベス2世は毎晩、「弟が生まれますように」とお祈りした話は有名。

1-4、第二次世界大戦では疎開せず、その後、軍で働くことに

Hrh Princess Elizabeth in the Auxiliary Territorial Service, April 1945 TR2832.jpg
By Ministry of Information official photographer - http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib//20/media-20543/large.jpg This is photograph TR 2832 from the collections of the Imperial War Museums. , パブリック・ドメイン, Link

1939年9月3日にイギリスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発。1941年12月8日には極東で日本とも戦争状態になり、1945年8月15日日本の降伏まで続くことに。

ロンドンにも何度もドイツ軍による空襲があったので、ロンドン居住の多数の子供が疎開していた頃、国王一家のエリザベス王女とマーガレット王女姉妹についても、政府から安全なカナダへの疎開が提案。しかし母エリザベス王妃が「私の子供たちは私のもとを離れません。また、私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と述べて拒否、バッキンガム宮殿で国王一家は居住、王室所有のスコットランドのバルモラル城やノーフォーク州のサンドリンガム離宮、ウィンザー城などで過ごすことも。

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1-5、エリザベス2世、ラジオでスピーチも

エリザベス2世は幼いながらも軍の支援や国民を鼓舞する行動で後方支援、14歳のときBBCのラジオ放送を通じて初めて、 「私たちの勇敢な陸海空の軍人の助けとなるために、私たちが出来ることはすべて試みていますし、私たちが共有する戦争の危険や悲しみに耐えようと努力しています。私たち一人一人が、終いには万事上手くいくことを確信しています。」と スピーチ。

最後に「マーガレット、おやすみなさいを言いなさい」で、マーガレット王女が「おやすみなさい」というのが可愛かったということ。
その後は、王位継承者として少しずつ公務携わるように。
1942年に近衛歩兵第一連隊の名誉連隊長、1943年、16歳になると、エリザベスは初めての単独での公務で、名誉連隊長としてグレナディアガーズを訪問、以降も各地への訪問および激励を。
そして18歳になると法律が改正され、父ジョージ6世が公務を執行できない場合や国内に不在のときに、5人のカウンセラー・オブ・ステートのうちの1人として行動できるように。

1-5、エリザベス2世、18歳で国防軍に入隊

1945年2月、エリザベス2世は英国女子国防軍に入隊、名誉第二准大尉として、「エリザベス・ウインザー」の名と「230873」の認識番号をもらって軍用車両の整備や弾薬管理などに従事、そして大型自動車の免許を取得、軍用トラックの運転なども。 それまでの女性王族は肩書きは与えられても名誉職であったが、エリザベス2世はその慣例を破って他の学生たちと同等の軍事訓練を受けて軍隊に従軍した初めてのケースに。

エリザベス2世は、一般の兵士と全く同じ待遇をされることを非常に喜んで、この経験をもとに、自分の子供たちも一般の子女と同じく学校に通わせることを決意したそう

そして1945年5月8日、ヨーロッパでの第二次世界大戦が終結、バッキンガム宮殿のテラスでジョージ6世夫妻やチャーチル首相が手を振る中、エリザベス2世は妹のマーガレット王女と共にロンドンの街中で戦勝を祝福する一般市民の中に紛れ込み、群衆の帽子をはたき落とすなどして、戦争終結と勝利の喜びを。

1-6、エリザベス2世、21歳の誕生日にラジオ演説で誓いを述べる

第二次世界大戦でのイギリスの勝利後、1947年4月に、両親のジョージ6世夫妻と共に初めて南アフリカを訪問。ケープタウンで21歳の誕生日(4月21日)を迎えたとき、イギリス連邦に向けたラジオ演説を行い、「私は、私の全生涯を、たとえそれが長かろうと短かろうと、あなた方と我々のすべてが属するところの偉大な、威厳ある国家に捧げる決意であることを、あなた方の前に宣言します。」と誓ったということ。

2-1、エリザベス2世の結婚問題

エリザベス2世の将来の夫となるギリシャおよびデンマーク王子フィリッポス(フィリップ)とは、1934年が最初の出会いで、1939年7月にダートマス海軍兵学校で再会後に、エリザベス2世が一目惚れして以降、文通を開始。
フィリップ王子の母方の曾祖母は、ヴィクトリア女王の次女アリス(ヘッセン大公妃)で、父のギリシア王子アンドレアスの父ゲオルギウス1世国王はデンマーク王子でもあり、エドワード7世の王妃アレクサンドラの弟。
フィリップ王子の両親は、エリザベス2世の曾祖父のエドワード7世の戴冠式で出会って恋に落ち結婚したということ。
なので、フィリップ王子もエリザベス2世もヴィクトリア女王の玄孫にあたり親戚どうし。

2-2、ジョージ6世とエリザベス王妃は慎重な姿勢

フィリップ王子とは遠い親戚でもあり、何の問題もなさそうですが、フィリップ王子は亡命王族で資産もない軍人であること、姉たちがナチス・ドイツと関係のあるドイツ貴族と結婚していたこと、父アンドレアスが亡命後も家族を顧みない放蕩者であったことで母アリスはアルコール依存症など精神的に問題を抱えていたこと、イギリス王室の跡

2-3、エリザベス2世、フィリップ王子と結婚

エリザベス2世とフィリップ王子は1947年11月20日にウェストミンスター寺院で結婚式を挙行。結婚後の数ヶ月は当時イギリス領だったマルタで海軍士官のフィリップ王子と共に海軍士官の妻としての生活を。
結婚翌年の1948年11月14日に長男チャールズ王太子が、1950年に長女アン王女が誕生、1960年にはアンドリュー王子(ヨーク公)、1964年にはエドワード王子(ウェセックス伯)が誕生。

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2-4、父ジョージ6世死去でエリザベス2世が即位

エリザベス2世は夫フィリップ王子との外国への公式訪問でのケニア滞在中に、病気がちだった父ジョージ6世の健康状態は1951年に入り悪化、翌1952年2月6日未明、療養を兼ねて訪れていたサンドリンガム宮で、就寝中に冠状動脈血栓症により崩御。すぐにエリザベス2世が帰国して即位。

3-1、戴冠式は史上初のテレビ中継に

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By セシル・ビートン - Library and Archives Canada/K-0000047 This image is available from Library and Archives Canada under the reproduction reference number DAPDCAP82719 and under the MIKAN ID number 3242153 This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information. Library and Archives Canada does not allow free use of its copyrighted works. See Category:Images from Library and Archives Canada. , パブリック・ドメイン, Link

 1953年6月2日に、世界各国の元首級の招待客を招いてウェストミンスター寺院でエリザベス2世の戴冠式が挙行され、この模様はイギリス連邦内だけでなく世界各国に当時の最新メディアである白黒テレビで中継。日本の皇室からも、昭和天皇の名代として皇太子明仁親王(現上皇)が参列。

その後、2019年の現在に至るまでイギリス王室歴代在位記録更新中で、世界の元首としても最高齢の現在94歳に。フィリップ王子は2017年に 96歳で公務を引退。

3-2、妹マーガレット王女の恋愛問題

1944年、父ジョージ6世が「空の英雄」ピーター・W・タウンゼント大佐をマーガレット王女の侍従武官に任命、マーガレット王女は一目で恋に落ちたということ。2人の関係は長く秘密となったが、1953年の姉エリザベス2世の戴冠式でのマーガレット王女とタウンゼント大佐の仲むつまじい姿をメディアが暴露。

タウンゼント大佐には離婚歴があり、マーガレット王女よりも16歳も年上、身分も違うということもあり、政府首脳と王族たちは、記憶も新しいエドワード8世の退位の二の舞を演じさせまいと厳しい姿勢を。

マーガレット王女には、どうしてもタウンゼント大佐と結婚するならば、王位継承権はもちろん、王族としての年金受給権も剥奪、英国国教会も結婚を認めないと脅した結果、贅沢好みのマーガレット王女は結婚を断念。エリザベス2世は妹マーガレット王女に同情的だったが、穏便に別れることを望んでいたという話。

マーガレット王女はタウンゼント大佐と正式に別れ、なんとBBCラジオで「私はピーター・タウンゼント大佐と結婚しないと決意したことを、ここにご報告します」と声明文を放送。

マーガレット王女は1960年に写真家のスノードン卿と結婚、2人の子供が生まれたが離婚、ヘビースモーカーで、ジェット・セッターとして有名人と浮名を流す享楽的な生活を送ったことも。

王室に近い人によれば、「エリザベス2世とマーガレット王女、姉妹が逆でなくて本当に良かった」と言われているということ。

4-1、エリザベス2世の逸話

Queen Elizabeth II on 3 June 2019.jpg
By The White House from Washington, DC - President Trump and First Lady Melania Trump's Trip to England, パブリック・ドメイン, Link

王室がスキャンダルまみれになったときでも、クィーン・マザー、エリザベス王太后とエリザベス2世は別格、大変な存在感があり、逸話もあります。

4-2、サラブレッドのブリーダー

エリザベス2世は乗馬が趣味で、60歳代くらいまでは女王の誕生日パレードで、軍服を着て愛馬に横乗りで行進されたものですが、愛馬引退で馬車になったそう。
また競走馬のブリーダーとしても実績があり、今までにも色々なレースの優勝馬を所有。

\次のページで「4-3、ウェルシュ・コルギー、ラブラドル・リトリバーの犬舎を所有」を解説!/

4-3、ウェルシュ・コルギー、ラブラドル・リトリバーの犬舎を所有

エリザベス2世は大のわんこ好き、父ジョージ6世からペンブローグ種のウェルシュ・コルギーを1933年にプレゼントされて以来、代々繁殖して飼い続けているということ。またコルギーとダックスフントを交配させて新犬種を作ろうとしたらしく、この交雑種も飼っているそう。

ペットとして飼っているだけでなく、犬舎を持って繁殖したり新品種の研究までするというのがすごいですね。

4-4、1990年代の王室スキャンダルのときは

エリザベス2世の長男王太子チャールズは、1980年にスペンサー伯爵令嬢ダイアナとセントポール寺院で盛大な結婚式を挙行。

しかし結婚当初から、10歳以上の年齢差、趣味の合わなさ、愛人の存在がネックになったカップルで、おまけにダイアナはパーティーなどの主催も、気の利いた会話で客人をもてなすという、貴族、王族女性にとって最低限の役割も果たせない人。しかし若さと美しさ、ファッション性話題性などの見た目の良さだけがマスメディアをにぎわせる、というギャップでどうしてもうまくいかず、2人の王子は生まれたものの、暴露本が出版されるなどの泥試合となって別居、離婚。

長女のアン王女もマーク・フィリップス大尉と離婚。

次男のヨーク公アンドリュー王子もスキャンダルと借金にまみれた評判の悪いセーラ妃と離婚と、アン王女をのぞいてタブロイド紙をにぎわせる大スキャンダルで王室の存在意義さえ問われる羽目になり、王室も税金を納めろという声さえあがったほど。

そして11月には女王の居城の一つであるウィンザー城が大火事にみまわれて、貴重な工芸品などが焼失。

このときエリザベス2世は1992年11月24日にギルドホールで行われた戴冠40周年を記念した晩さん会で、「今年はひどい年だった("annus horribilis")、しかし後世の歴史家は一連の出来事について、もう少し優しい言葉であらわしてくれるでしょう」と言う意味のことをスピーチ。
今現在ゴシップやスキャンダルといわれることでも意味があることは、時間が経つと歴史的事実、事件として残るものですが、さすが女王ともなれば、後世からどう見られるかも考えるのかと感心したものです。

尚、ジョン・メージャー首相は当初、政府がウィンザー城の修理費を負担することを示唆、しかしこの大スキャンダル騒動のあおりを食って、イギリス国民からの反発があり、維持費のかかる王室ヨットブリタニア号を売却、夏季休暇でエリザベス2世が不在のときに限ってバッキンガム宮殿などの王宮を観光客に公開、入場料をウィンザー城の修理費に当てることに。

4-5、家族のアルバムの写真ではダイアナ妃を消去

チャールズ王太子とダイアナ妃の離婚後、エリザベス2世は家族のアルバムでダイアナ妃が写っている写真の部分をすべてぼかしを入れて消去させたということが、アメリカの雑誌に。

4-6、経済観念もしっかりと

前述のように、祖母のメアリ・オブ・テック王太后が、「この子は、一生お金に困らないので、算数よりも歴史と系図を教えて」と言ったということですが、イギリスで放送されたドキュメンタリーでは、エリザベス2世がフィリップ王子とともに、財産運用のために、どこに株を投資すればいいかなどについて話しているシーンが放送されたという話。

そして1990年代に王室も税金を払えという声が高まったときには、「税金を払うのならば、バルモラル城を売らなければ」とコメント、女王様は莫大な王室財産に見合う税金の額もきちんと頭に入っているのはすごいですね。

また、ウィンザー城大火災のとき、時間外に駆けつけてくれた職員に対しての第一声が「残業代は払いません」だったとか、王室所有の美術品を貸与されている美術館が、外国へ貸し出してもいいかとお伺いを立てたところ、大事な美術品に外国でもしものことがあってはと、答えはノーというだけでなく、その美術館ん位貸与されていた王室所有の美術品をすべて引き上げたという話も、アメリカの雑誌などで読んだことが。

尚、祖母のメアリ・オブ・テック王太后が「強奪」し、お金を払わなかったと言われているロシア帝室の宝石代金は、最近になってエリザベス2世が支払ったという話。

4-7、歴史もの映画やテレビの間違い探しが趣味

エリザベス2世は、父ジョージ6世が主役の「英国王のスピーチ」は見ないと宣言したものの、かなり評判が良いのを聞いてご覧になり、満足されたということ。

また側近によれば、「ダウントン・アビー」もご覧になるそう。「ダウントン・アビー」のモデルで撮影にも使われているのは、エリザベス2世の競馬仲間だった先代のカーナヴォン伯爵の居城なので、カーナヴォン家のハイクレア城は、何度も訪問して内部も熟知されているということ。また、時代考証にもうるさく、第一次大戦の兵士が第二次世界大戦の勲章を付けているなど細かい間違いも指摘されるそう。

そしてエリザベス2世が主役のドラマ「ザ・クラウン」のファンであるという噂も。

歴史を体現する最後の女王

歴史ファンにとっては歴史的事件のあった場所、古文書などと共に系図をたどるのも魅力のひとつです。そして長老として歴史的事件を体験した方々の存在、回想なども見逃すことの出来ないもの。

そういうわけで、エリザベス2世は古き良き時代を体現する最後の女王として貴重な存在です。現実としては、ラジオ、テレビ、タブロイド紙という大衆メディアに順応しつつ女王の威厳を保ち、さらにインターネットにも対処しなくてはいけないのは、戦争体験以上に大変なことかもしれない。

チャールズ王太子やウィリアム王子の時代にイギリス王室がどうなるかより興味深いことかも。

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イギリスヨーロッパの歴史世界史歴史

最長在位記録更新中のイギリス女王「エリザベス2世」について歴女がわかりやすく解説

今回はエリザベス2世を取り上げるぞ。現在、在位記録更新中、まだまだお元気な現役バリバリの女王様ですが、若い頃はどんな人生だったのかな。

その辺のところを昔からウィンザー家に興味を持っていたというあんじぇりかと一緒に解説していきます。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女。ヨーロッパの王室に興味津々、例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、エリザベス2世について5分でわかるようにまとめた。

1-1、エリザベス2世はジョージ6世の長女

エリザベス2世は、1926年4月21日、ロンドン市内の母方の祖父の家で誕生。
父は、ジョージ5世の次男でヨーク公アルバート(後のジョージ6世)、母はスコットランド貴族第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの末女エリザベスで、帝王切開だったということ。
洗礼名は、エリザベス・アレクサンドラ・メアリで、母エリザベス、曾祖母のエドワード7世王妃アレクサンドラ、祖母メアリ・オブ・テックにちなんだ命名。
尚、エリザベス2世本人が舌が回らない子供時代に「エリザベス」の発音が難しくて「リリベット」としか言えなかったせいでそれが愛称に

1-2、エリザベス2世の子供時代

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王位継承権は、伯父の王太子エドワード(エドワード8世)、父のヨーク公アルバート(ジョージ6世)に次ぐ3位。

しかし伯父の王太子エドワードが結婚して子供が生まれたり、エリザベス2世の弟が生まれる可能性があったため、エリザベス2世は生まれながらにそれほど注目されていたわけではなかったということ。
しかし祖父のジョージ5世は当時はたった一人の孫だったエリザベス2世を溺愛、1929年に大病を患ったときに定期的に見舞いに訪れたことが、病気の回復を早めるのに一役買ったという話。

1930年、4歳違いの妹マーガレットが誕生。当時は、女性は特に教育が重視されておらず、エリザベス2世は学校へは行かずに家庭教師によって教育を。
家庭教師は、祖母メアリ・オブ・テック王妃に、「この子は将来にわたってお金の心配をしなくていいが、ヨーロッパの親戚の前で恥をかかないように、算数よりも歴史や系図を教えてやってちょうだい」と言われたそう。

女性家庭教師が後に記した伝記では、「(エリザベス2世)は子供の頃から馬や犬などの動物好きで、規律正しく責任感の強い性格」。たしかジョージ5世夫妻がヨーク公夫妻の屋敷を訪問して、家庭教師に孫娘はどうかねと聞かれたとき、「馬が好きすぎて困ります」と言ったら、「それは我が家の血だから仕方がないよ」と言われたそう。

BBCの王室記者によれば、現在も「馬>犬>男性>女性」が、話し易く親しみを感じている順番だという話

またエリザベス2世即位後、最初の首相でもあったウィンストン・チャーチルも、当時2歳だったエリザベス2世を「子供ながら驚くほど威厳と沈思のある態度だった」と回想。

1-3、伯父エドワード8世の退位で父が即位、推定相続人に

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エリザベス2世が10歳のとき、1936年1月、祖父ジョージ5世国王の崩御で伯父エドワード8世が即位。しかしアメリカ人女性で2度の離婚歴のあるウォリス・シンプソンとの結婚問題について、当時のスタンリー・ボールドウィン首相らが退位を迫った結果、同年12月に退位。

そして、エドワード8世の弟でエリザベス2世の父ヨーク公が、ジョージ6世として即位。王位継承権者第1位となったエリザベス2世は一家でバッキンガム宮殿に移住、王太子ではなく推定相続人に。
このときはまだ弟が生まれる可能性もあったため、また子供心にも将来の重責を予感したエリザベス2世は毎晩、「弟が生まれますように」とお祈りした話は有名。

1-4、第二次世界大戦では疎開せず、その後、軍で働くことに

Hrh Princess Elizabeth in the Auxiliary Territorial Service, April 1945 TR2832.jpg
By Ministry of Information official photographer – http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib//20/media-20543/large.jpg This is photograph TR 2832 from the collections of the Imperial War Museums. , パブリック・ドメイン, Link

1939年9月3日にイギリスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発。1941年12月8日には極東で日本とも戦争状態になり、1945年8月15日日本の降伏まで続くことに。

ロンドンにも何度もドイツ軍による空襲があったので、ロンドン居住の多数の子供が疎開していた頃、国王一家のエリザベス王女とマーガレット王女姉妹についても、政府から安全なカナダへの疎開が提案。しかし母エリザベス王妃が「私の子供たちは私のもとを離れません。また、私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と述べて拒否、バッキンガム宮殿で国王一家は居住、王室所有のスコットランドのバルモラル城やノーフォーク州のサンドリンガム離宮、ウィンザー城などで過ごすことも。

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