
寺田屋事件との区別・近江屋事件について
次に近江屋事件ですが、これは1867年に起こった坂本竜馬の暗殺事件です。坂本竜馬は犬猿の仲と言われていた薩摩藩と長州藩の同盟締結に尽力しましたが、それが倒幕の考えを生んだとして幕府などから命を狙われるようになっていました。
このため過去にも襲撃されており、後に詳しく説明しますが坂本竜馬が襲撃されたのが2度目の寺田屋事件です。この時は負傷するのみで助かりましたが、醤油商を行っていた近江屋へと身を移した坂本竜馬は1867年に暗殺されてしまいます。実行犯には様々な説がありますが、京都見廻組による犯行説が有力です。
つまり、「近江屋事件=坂本竜馬の暗殺事件」であり、2度目の寺田屋事件である坂本竜馬襲撃は文字どおり襲撃止まりで暗殺は成功しておらず、坂本竜馬が実際に暗殺されることになったのが1867の近江屋事件になります。ですから「坂本竜馬の死=近江屋事件」を覚えれば良いでしょう。
こちらの記事もおすすめ

そもそも「藩」って何?!「薩摩藩」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説
寺田屋事件の簡単なまとめ
では、寺田屋事件もまず簡単にまとめてみましょう。1回目の寺田屋事件は1862年に起こったもので、薩摩藩の過激な攘夷派を藩の最高指導者である島津久光が始末した事件です。「攘夷派の征伐」という点で池田屋事件と似ていますが、上記で解説したとおり池田屋事件を起こしたのは新選組になります。
一方、寺田屋事件を起こしたのは薩摩藩の指導者・島津久光であり、新選組は一切関係ありません。ですから「新選組が攘夷派を征伐した=池田屋事件」、「島津久光が攘夷派を征伐した=寺田屋事件」と区別すると分かりやすいと思います。
2回目の寺田屋事件は1866年に起こったもので、これは伏見奉公所の役人が坂本竜馬を襲撃した事件です。「坂本竜馬を攻撃する」という点でこれも近江屋事件と似ていますが、「寺田屋事件=襲撃」、「近江屋事件=暗殺」という大きな違いがあるため、ここで区別できるでしょう。
こちらの記事もおすすめ

明治政府の内閣顧問にも就任!政治家「島津久光」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説
\次のページで「倒幕の意思がなかった島津久光」を解説!/